ソニーの平井一夫社長が会長に退き、最高財務責任者を務めている吉田憲一郎氏が社長になると発表された。このニュースに関連し、平井氏がソニーをどのようにけん引し、最高益を出すまでに至ったかを振り返ってほしいと編集部から依頼を受けたとき、最初に思い出したのは6年前のことだ。
日本の電機メーカーがそろって巨額赤字を出し、ソニー、パナソニックという世界的な企業でトップ交代劇があったのは2012年。リーマン・ショック、東日本大震災、タイ大洪水などで疲弊した電機メーカーは、この先もう上昇の芽がないのではないか。そんな風に言われていたあの頃のことだ。ソニーは英国人ジャーナリストでソニー・ピクチャーズ エンタテインメント社長からソニーグループCEOに上り詰めていたハワード・ストリンガー氏から、ソニー・ミュージックエンタテインメントからソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)に移籍、同社社長兼ソニー本社副社長となっていた平井一夫氏に社長をバトンタッチした。
ソニーは1990年代まで電機メーカーとして”特別な存在”だった。しかし2000年をピークに下降線をたどり始め、この頃には特別な存在ではなくなっていた。少なくとも「SONY」をかっこいい、特別なブランドであると認識していた若年層はいなくなっていた。SONYが特別な意味を持っていたのはゲーム機の世界だけだった。
当時の平井氏に対する評価は、決して“最高”といえるものではなかった。久夛良木健氏の後を引き継いだプレイステーションのビジネスを引っ張って来たチームの主役ではあったが、一方で平井氏はマーケテイング出身。ハワード・ストリンガー氏の元で出世したのも「英語がうまいからだ」と言われた。ハワード時代末期、一部マスコミは「英語三銃士(英語が堪能な幹部3人)の誰かが次の社長だ」などと語るところもあった。
その出自から、多様なテクノロジーエンターテインメント製品を発明してきたソニーという企業をリードする力はなく、合理化によって収支を整えていくに違いない。スマートフォンの登場で市場が縮小していたエレクトロニクス製品部門の売却に言及するメディアも少なくなかった。
しかし、平井氏が進めた戦略は、むしろエレクトロニクス部門の強化だった。ソニーグループ全体をみたとき、エレクトロニクス部門は収益性が低く、将来の成長性も低いと見られていた。だが、ソニーを復活させるには”SONY”ロゴを付けた製品の価値を高めることだとして、エレクトロニクス部門再建を優先課題にしたのだ。
筆者が平井一夫氏と初めて話をしたのは、ソニー・コンピュータエンタテインメントの米国法人社長から昇格し、SCE全体の社長となった直後のことだ。プレイステーションの生みの親であった久夛良木健氏が一線を退く際、その後任となり、同時にソニー本社の副社長としての役職も引き受けた。
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