思い起こすに、昨年は感情で自滅する人の多い年だったと言える。
「この、ハゲー」は大流行語になったが、東大、ハーバードの大学院を出たようなインテリ議員が、感情を爆発させて、その声が録音されて、全国の人の知るところとなり、結果的に職を失うことになった。
選挙の世界では、ここまで激しい感情を出さなくても自滅することがある。「排除します」の一言が傲慢に受け取られ(傲慢であったかどうかは別として、そう言っても自分の人気は揺るがないと思っていたとすれば、おごりの感情はあった可能性が高い)、新しい政治の希望の星が、むしろ多くの有権者を失望させた。ただ、不正を働いたわけでもないのに、一夜にして大人気者から選挙の貧乏神のようになったとすれば、これからの国民生活に大きな影響を及ぼす国政選挙で、政策を吟味するより、その不快感情で投票先を決めた有権者の反応も感情的と言えないことはない。
相撲の世界でも、報告書に書かれていることが事実であるなら、先輩力士が説教しているさなかに若手力士がスマホをいじり、その態度に激高して暴力を振るった横綱が引退に追い込まれた。
昨年はまさに感情の1年と言えるような年だった気がする。
感情の出し方が下手なリスクが高まっている
そういう背景もあってか、感情的になってはいけないと思う人が多いのだと私自身が肌で体感した一年でもあった。
精神医学の世界では、感情を抑え込むとストレスのもとになるし、また心身症につながるということは常識となっている。
しかし一方で、感情の出し方が下手であると、社会的生命を失うことも珍しくない時代になったのも確かだ。誰もがスマホを持ち歩いている時代であれば、感情的になって、暴言を吐いたり、人に危害を加えたりすれば、警察沙汰にならなくても、その姿を世界中に拡散されてしまうのだから。
昨年話題になったものに、あおり運転とそれにまつわるトラブルがある。車というのは密室なので、特に一人で乗っていると感情をエスカレートさせやすい。私もこの件については偉そうなことは言えず、前の車が黄色信号で停まったりすると、「このウスノロ」「お前のせいで渋滞が起きて、地球環境の敵や」などと叫ぶこともある。
ただし、そういう際に絶対にクラクションは鳴らさないし、後ろであおるようなことはしない。それが相手を怒らせたり、感情的にさせたりして、自分に危害が及びかねないことが分かっているからだ。
要するに、感情は発散してもいいが、それにはやり方があると考えているのだ。
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