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ゆづ、ついに僕が役に立てるときがきたんだね!

家の中に昔からあるゴミ扱いの熊の木彫りが、漬物のフタを閉めておくという役割を与えられたような気持ち。僕は今ようやくお役に立てるときがきたという万感の想いでキーボードをリズミカルに打ち鳴らしています。カタッカタタタッカタカタカタタッ!ターン!(GOE+3)

平昌五輪で金メダルを獲得した羽生結弦氏が、18日に一夜明けの会見を行なった際、その席上で衝撃的な言葉を漏らしていました。「ほんとのほんとの気持ちは、嫌われたくないって思う」「いろんな方に見られれば見られるほど、いろんなことをしゃべればしゃべるほど嫌われる」「いろんなこと書かれるし、うそみたいな記事がたぶんこれからもっともっと出てくる」という辛い言葉を。

お祝いの!歓びの!会見で!日馬富士なら酒飲んで赤ら顔で出てくる会見で!そのような辛い想いを吐露させるなんて。本人的には「それでも僕は頑張る」という結びのようでしたが、やっぱりイヤな想いはしているんだなと残念な気持ちです。やはり僕が立ち上がらねばならない(すっく)。スケートに関しては滑るのがやっとの僕ですが、他人を無視することに関しては日本代表クラスのチカラがあると自負している僕が、羽生氏のために立ち上がらねばならない。

まずハッキリと原因と解決法を言いましょう。

原因があなたが有名人である、その1点です。有名であればたくさんの人に知られ、日本だけでも1億人の人に羽生氏は知られています。その中に0.1%の面倒なヤツがいただけで、10万人もの面倒なヤツが存在するのです。その10分の1がアクティブなクソ野郎であった場合、1万人もの熱心で面倒なクソ野郎…俗に「アンチ」と呼ばれる手合いが存在することになるのです。

<インターネット界で広く知られた名言「さてはアンチだなオメー」>



アンチが発生する原因は、ハッキリ言ってありません。特にインターネットにおいては何ひとつ理由はありません。インターネットで何かの話題を採り上げるとき、ネットクソ野郎は「褒める側」と「貶す側」に最初からわかれるのです。理由は何でもいいのです。「イケメンだから褒める」「イケメンだから貶す」あらゆる属性が正負両方の理由になる。アンチは役割であり、アンチはポジション。電池のプラスとマイナス、磁石のエヌ極とエス極のように必ずセットで正負が存在するのです。

もちろん、その正負の偏りが発生することはあります。しかし、それは社会的に悪とされる行為…「不倫」とか「窃盗」とか「他人のドリンクに禁止薬物を入れる」とかをしない限り、少々嫌われ者であっても大きく負に偏ることはありません。特に羽生氏のように大きな偉業を成し遂げた人を「負」の方向に持っていくのは困難です。大局が「負」に寄らなければ、負の勢力は大きく成長することはありません。何故なら、ネットクソ議論で言い負かされるのは不愉快だからです。みんな勝ち馬に乗りたいんです!

ネットクソ議論は、他人の行為に対して安全圏からポジションをとり、対立陣営を言い負かす遊びなのです。それは現実に影響を及ぼすつもりは毛頭なく、どんなにいい議論をしてもネットクソ野郎の行動が変わることもありません。だって、アレは言論ゲームだから。「電車に乗ってくるベビーカー問題」で「邪魔だ去れ」と言うヤツが実際にベビーカーを蹴るわけでもなければ、「社会が支えるべき」というヤツが乗降を手伝うわけでもありません。行動を起こす人は、議論の前に行動に移ります。ネットクソ議論なんてその程度のもの。

有名人はそのトークテーマになりやすい、ただそれだけのことです。ちなみに僕の好みのポジションは「自分が好きな人が絶対不利な状況のときにたったひとりで擁護する」ポジションです。僕も羽生氏も逆境が好き、なのかもしれないですね。なので、解決法は「気にしない」ことです。気にして、怒ったり、反論したりすると、ネットクソポジション偏りは「負」のほうに傾きます。何故なら、反論されると辛いので再反論したくなるからです!ホント、身勝手な話ですよね!

ちなみに雑誌とかは最終的に「商売」がかかわってきますので、羽生氏が自分の仕事を一生懸命頑張っているかぎりは大丈夫です。ウソみたいな記事でもあなたの記事が売れるから載せているわけで、商売であるならばどこかで歯止めというものがあります。記事で破滅を迎えるのは、記事に書いてある「不法行為」をあなたが実際にしている場合だけ。何もやましいことがなければ、記事で殺されることはありません。殺しにくるのはいつだって社会や法律です。

だから、気にしないでこれまでどおり頑張ってください!



……。

……。

…で、終わりたいのですが、一応プロ向けにエゴサを前提とした話もしようと思います。

羽生氏はエゴサはしていません。していませんが、仮定の話で、仮にエゴサーチをしたいタイプの有名人がいたとした場合の話です。まず、その人の心が相当強くないかぎり、エゴサはオススメできません。例を挙げれば、吉田沙保里さんくらいでなければダメです。吉田さんの場合は、どれだけ心ない言葉をぶつけられても「コイツら…アタシが高速タックルかましたら全員泣きベソでジャンピング土下座やで…」と心のなかでマウントをとれるから耐えられるだけで、それは普通の人には無理です。

エゴサをすれば前述のアンチに必ずぶち当たりますので、必ず傷つきます。耐えられないなら見るべきではない。見なければ傷つくこともありません。羽生氏の場合、周辺にいる人や実際にショーや試合に会いにくる人は、お金と時間をかけてわざわざくる人たちばかり。アンチは基本的にそういう面倒なことはしませんので、無理に探さなければ視界に入ることもありません。

なので、羽生氏の問題とは直接つながらなくはなりますが、エゴサをしながらネットクソ野郎から自分の心を守るコツについて、似たような問題を抱えている人のために記しておきます。

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ネットクソ議論から心を守るための6ヶ条

●大前提としてやましいことをしない
難しいことではありません。普通に生き、清らかに暮らすだけです。法に触れること、公序良俗に反することを避ける。そして最近のトレンドとしては、差別に加担しない。普通に生きていれば「痛いところ」そのものが生まれないのですから、どこを突かれても心は大丈夫です。

差別については極めて難しい問題ですが、大方針としては「あらゆるモノ・ヒト・コトに多様性を認め」「あらゆるヒト・モノ・コトを尊重し」「属性にとらわれず、現象のみを見る」ことです。いろんなものがあるんだなぁ、それぞれにそれを大事に思っている人がいるんだなぁと受け入れましょう。そして「男が」「相撲取りが」などのくくりで語るのではなく、「電車で席を独占するのはよくない」「デンモクやゴルフクラブで他人を殴るのはよくない」などと行為のみを指摘しましょう。属性で指摘すると「属性内のそうでない人」が一斉に負のポジションにまわりますので。

羽生氏に関しては僕が見るかぎり、まったく問題ないと思います。そんなところもしゅき…。


●フェアネスを失わない
「公平であること」もとても大切です。不公平は不満と嫉妬を生み、負の感情を募らせます。誰かひとりと握手をすれば、握手をしてもらえなかった人は少なからず嫉妬します。やるなら全員に、やらないなら誰にもやらない。

その点、羽生氏は本当に素晴らしいので、僕はもう心の底から安心しています。投げ込んだプレゼントに紛れ、フラワーボーイが持ってきた贈り物を「今は受け取れないよ」と公平に扱ったうえで、舞台裏で抱きしめてあげるとか。ファンレターの差出人やプレゼントの送り主など、住所がわかる限りの人「全員」に手紙を送る姿勢とか。

メディアとのつきあいもそうです。公平に応じる限りにおいては、彼らもそれは納得します。一番マズイのは「他社に出し抜かれる」こと。それは彼らの社内での立場も悪くなりますので困る。しかし、現状のような「この日は取材日です。みんなきてください。個別インタビューも撮ってください。写真もどうぞ」という形で応じていれば、みんな同じネタしかないのですから、公平に退却できるのです。

これを実践するのはとても難しいことですが、羽生氏は本当に素晴らしいと思います。いっぱいしゅき…。


●SNSをやらない
SNSは楽しいです。すごくワクワクします。それがきっかけで商売が上向いたりする効果もあるでしょう。しかし、それは同時に、自身もまたネットクソ議論に参戦する設備を備えているという意味です。戦車があるのに戦争をする気はない、などという話はネットクソ議論には通用しません。戦車を見かけたら、たとえそれが休眠中であっても、そこを標的にミサイルを撃ち込むのがネットクソ議論です。

隠れて裏アカウントなどを作るのはもってのほかです。アカウントがあればそれを友だちに教えたくなり、友だちはそれをセンテンススプリングに売りたくなります。裏だと思って安心している内容が、すべて「負」の要素になります。どうしてもやるなら、公式マークつきの公式アカウントのほうがまだマシ。基本的にはやらないことに勝る戦術はありません。存在しない国には戦争を仕掛けられないのです。

インスタも、ツイッターも他人の投稿はパソコンで見られます。アプリでラクしようとせず、パソコンからの検索で世評を探りましょう。


●どうしてもやるならツイッターよりインスタグラム
ツイッターとインスタグラムはまったく異なるSNSです。ツイッターは言論をベースにしており、インスタグラムは画像をベースにしています。当然、ネットクソ議論に向いているのはツイッターです。ロクな話が出てきませんので、見ないにこしたことはないでしょう。

その点、インスタであれば画像がベースですから、いきなり悪評が目に入ることもありませんし、そもそもネットクソ議論が好きな層がやらない類のSNSです。その世界の戦闘力は画像の美しさであり、画像の美しさにおいて健康で・文化的で・幸せな人にはかなわないのです。わりと何でも燃える可燃性有名人の槙野智章さんや安藤美姫さんも、インスタではすごくあったかい世界を築いています。

↓インスタは今のところあったかいSNSです!

【この画像を見てツイッターで言われそうなこと】
「新しい恋人ですか?」
「その距離感はいかがなものでしょうか」
「グンソクに近寄らないで!」

【この画像を見たインスタでの実際の声】
「グンちゃんの写真ありがとうございます!」
「素敵な写真ありがとうございます!」
「美姫さんの今後の活躍お祈りします!」


●検索するときは最初から好ましいフィルターをかける

「耳の痛い言葉にも耳を傾けねばならない」なんて想いがある人がエゴサーチをしがちです。それは半分正解で半分間違いです。耳が痛いにも程度があり、釘を脳髄まで突き刺すつもりの言葉と、愛のある小言では天地ほど差があります。いちいちマフラーの巻き方ひとつで釘を脳髄に刺されてなんていられません。

フィルターをかけるときは、最初からポジティブワードをセットにしておくとよいでしょう。たとえば「フモフモコラム 面白い」「フモフモコラム 好き」「フモフモコラム イケメン」などです。ポジティブワードを混ぜながら叩くのはわりと難しいので、基本的にはいい評判だけが出てくるでしょう。心の傷つき率がグッと減ります。まぁ、出てくる評判の数もグッと減りますが。ちなみに「フモフモコラム イケメン」はツイッターで2件、自分の記事タイトルだけでした。

もし本当に問題のある行為、耳を傾けなければならない過ちなら、ポジティブワードとセットでも出てきます。「好きだけど、コレはダメだよ」的な感じで。参考にするのはその程度で十分ですし、そこで見るものは基本的に見なくても済むものです。周囲にいる人の言葉を聞いていれば、絶対に正さなければならないことはちゃんと聞こえてくるはずです。


●それでも見えてしまった悪評は尊重し、聞き流す
大前提の話に戻りますが、この世は多様性に満ちています。時代によって常識も変わりますし、国や地域で意見はさまざまです。それをいちいち整合性つけようとしても無理です。「いろいろだなぁ」と思い、いろいろを尊重してあとは流せばよいのです。

「●●嫌い」という意見もあるでしょうが、それは正しい世の中の姿です。僕もゴキブリは嫌いですし、この世から滅べばいいとは思いますが、ゴキブリにも何らかの所以があるのでしょうから、僕の家の中にさえ入ってこなければいいです。

大切なのは多様性のなかに、そのひとつとしての「自分」を持ちつづけること。いろいろあって、全部それぞれ素晴らしいもののひとつが、「自分」なのです。「みんなのルール」「みんなのマナー」に触れない部分において、あなたはあなたとして尊重される。もし、それがマズイときはあなたを否定するのではなく、みんなのルールやみんなのマナーが改定される、そういう段取りです。

その多様なるすべてを自分の好ましい状態に仕立てるというのは無理であり、そうすべきでもないのです。全体が何となく青であれば、多少赤やピンクが混ざっていても青でいい。そのぐらいフワーッとした受け止め方でいいのです。自分の周囲は濃い青だけれど、遠ざかるほどいろんな色が混ざる。そんなグラデーションが世界の自然な姿なのですから。

↓世界にはきっと「見れば見るほど、しゃべればしゃべるほど好きになる」という手合いもたくさんいますよ!


全員がメロン好きなはずないじゃない?

でもメロンは世界で大人気でしょう?

それじゃダメ?
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なので、こういった現象を見守る人たちも、「尊重し、聞き流す」という心持ちを忘れずにいたいもの。ネットクソ議論に参戦すれば、それは互いにやり合うことの意思表示となります。投げられた石を投げ返せば、さらに石は投げ返される。そんなときは、石を拾って、遠くの広場に運び、「誰が投げた石かはわからない」という体裁で、その行為の不当さを静かに表明するくらいで十分です。

もし、その行為の不当さが多くの人に支持されれば、戦況不利と見てネットクソ議論・負の勢力は撤退戦に入るでしょう。ただ、そこで「負の勢力」が誰であるかがわかってしまうと、そこに戦線が移動するだけで本質的に事態は変わりません。「押し勝っているだけ」です。それは平和を望む人にとっては、ベストな状況ではないでしょう。大事なのは勝利ではなく、平和。それを忘れずに。

どうぞみなさんもネットクソ議論で傷つかずに生きるために、尊重し、聞き流していきましょう!


ダルビッシュ有さんはネットクソ議論界の戦闘民族、つまり趣味です!