識者が日本人の「成熟困難」を語るようになってから半世紀以上の時間が流れて、この国は少子高齢化社会を迎えました。
子どもや若者がいっこうに「大人」にならない──いわゆる、「成熟困難」が問題視され始めたのは高度経済成長の頃です。就活や結婚を親に頼りきる子どもや、マザーコンプレックスな子どもを、マスメディアは時におかしく、時には深刻に紹介してみせたのでした。
「成熟困難」は母子密着や父性の不在といった家族問題と関連して語られることも多く、精神科医が言及しがちな話題でもありました。たとえば、昭和時代の著名な精神科医の一人・土居健郎も、代表的な著書のなかで以下のようなことを書いています。
昭和44年に「生き遅れの季節」と書かれた対象は、おそらく団塊世代とその前後ぐらいと想定されますが、それ以後の世代に対しても、精神科医たちは成熟困難や思春期モラトリアムの延長といった、「大人」の手前で足踏みする若者について語り続け、社会学者たちも概ねそれに同調してきました。
実際、結婚や出産といった、これまで「大人」の指標とされてきた統計指標を眺めると、時代が進むほど「大人」の指標から遠ざかっていることがみてとれます。
なかでも生涯未婚率の年次推移は極端な変化を示していて、結婚をもって「大人」の指標とするなら、なるほど、生涯「大人」になれない人が急増していると考えざるを得ませんし、現代社会は「成熟困難」のきわみにあると言えるでしょう。