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あなたに会えて、あなたを好きになれて、よかった!

美しい金色の輝き、放熱の笑顔、突き上げた指先の残心。ずっと、ずっと見たかった光景が、現実のものとして広がっていました。平昌五輪フィギュアスケート男子シングル、フリープログラム。世界最高のプログラム『SEIMEI』を滑り終えたとき、それはまだ順位付けが終わる前のことでしたが、僕の心は勝利で満たされていました。羽生結弦は、僕の好きな人は、すべての困難に打ち勝って、今できる最高の演技をしたのだと。

言霊というものがある、彼はそんなことを意識しているといいます。弱音をクチにすれば本当に悪いことが起き、強気を言葉にすれば現実があとからついてくる。そんなまじないのようなことがあるのだと。それは陰陽師の「呪」のように、僕の心にも誓いを立てさせていました。決して弱音はクチにするまい、不安に心を向けまい、彼を応援するということはそういうことなのだと。不穏なものに心とらわれるのは、彼に寄り添おうとする者にとって「恥」なのだと。

だから、僕は「信じる」とか「祈る」とか言いたくなかった。それは心の疑いを示す言葉だから。絶対に不安を見せない、弱気にとらわれない、言霊に乗せない。そのために僕はこの結果を「知っている」と言ってきました。そう、こうなることは知っていた。知っていたけど泣けてくるのは、それだけ素晴らしい物語だったのでしょうね。これからの人生で何度でも繰り返し泣ける。宝物のような記憶となりました。

決して怪我による不安をクチにしなかった彼の振る舞い、もしかしたら世間的には「全快」のように見えていたのかもしれません。いいえ。それは幻なんです。仮面なんです。そんなわけないんです。11月に足首の靭帯を損傷し、一度氷を離れた選手に「全快」なんてものはないのです。氷を離れれば体力は落ちますし、試合を離れれば試合勘は鈍ります。120%を出すにはほど遠く、もはや数字ではなく「最善」としか表現できないものを尽くすことが彼の精一杯なのです。

できることなら団体戦も出たかったでしょうし、仲間の応援もしたかったでしょう。開会式の空気を吸うことも、ピンバッジ集めたりビビンバ食べたりするのも、いい経験です。五輪のすべてを感じてほしかった。順風満帆に金色のじゅうたんが敷かれたグローリーロードを歩みながら、すべてのライバルと最高の演技をぶつけあって、すべてをことごとく乗り越えてほしかった。そんな姿を思い描いていた。

けれど、それは叶わなかった。

ほとんどすべてのものを諦めないといけなかった。

彼はクチにはしないけれど、本当にギリギリの滑り込みでここに間に合ったのでしょう。表彰式後には五輪に間に合うかどうかはおろか、この先スケートそのものができるのかと思い悩むような怪我であったことも明かしています。残された時間のすべてを回復に充て、必要な動き以外のすべてを取り止め、練習すら可能なかぎり短い時間で切り上げる。1本のジャンプに集中し、決してぞんざいにしないように心と動きを整える。切れそうな靴紐の最後の糸1本のような何かを、どうかフリーが終わるまで切れないでくれと願いながら、温め、包み、いたわるようにしてきたはずです。

できる、勝てる、そう言いつづけてきた。

不安をクチにすれば、その1本は切れてしまうから。

集中を高め、慎重に美しく、練習のひとつひとつをこなした。

倒れたときの負荷で、その1本は切れてしまうから。

その一見して盤石に見える姿に、勝手な皮算用や心ない言葉をぶつけられようとも。

みんなの期待、計算、安心を、言霊として受け止めるように。


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決着のフリープログラム。素晴らしい展開でした。前日のショートで痛恨の失敗演技となったアメリカのネイサン・チェンは4回転ジャンプ4種・6本を繰り出す驚異的な演技。それは羽生氏が持つフリープログラム世界最高記録の223.20点に迫る、215.08点の高得点でした。地球最高の戦いを仕掛けるにふさわしいものでした。

これにより上位選手の心から迷いは消えたでしょう。300点を出さなければメダルはない、守っても仕方がない、ならば自分がベストと信じる演技で超えるしかない、と。五輪の魔物に翻弄されるものもいないわけではありませんが、多くの選手はこの素晴らしい舞台で人生の宝となる演技を見せていきます。佳き日、佳き雰囲気です。

日本の田中刑事、ずっと逃げられていた4回転をようやく捕まえられた。人生の宝となる五輪での三度の演技。決して満足がいくものではないでしょうが、胸を張って帰れる演技にはなりました。この経験、大事にしてください。一生使える経験のはずです。たとえば「田中刑事先生に教わる子どもたち」がいつか現れるとしたら、きっと今日の演技を尊敬で見つめるはずです。あなたの言葉を信じるはずです。あなたの今日の頑張りが、あなたの未来を助ける。そんな演技でした。

ウズベキスタンのミーシャ・ジー、そしてアメリカのアダム・リッポン。真・4回転時代にあっては勝利を求めるには難しいプログラム構成ではあるけれど、「フィギュアスケートはそれのみにはあらず」ということを示す世界観を五輪まで実力で持ってきてくれました。「美しさは一面的なものではないのだ」「跳べるヤツらもそれを忘れるなよ」「拍手の数なら負けないぜ」と空気を入れ替えてくれた。人生も、フィギュアスケートも、多様性があるものです。それを改めて知ることができました。

カナダのパトリック・チャン。競技生活の集大成になるであろうこの演技、最後の最後まで苦労させられたトリプルアクセルをようやく手なずけた。メダルに届かなかったことは、前回の銀が癒してくれるはず。前回の銀が癒してくれないものを今回手に入れられているなら、とてもうれしい。できたんじゃないかな、そんな演技に見えました。

中国のボーヤン・ジン。一緒に4回転時代を拓いた仲間、そしてこの舞台に向けて怪我からの復帰をはたした似た者同士。困難な挑戦は、最初の誰かが打ち勝ってからようやくあとにつづく者が生まれます。「この崖は飛び越せる」と示す最初の誰かが必要なのです。あなたはそういう存在のひとりだった。ラスト3人を残して暫定トップに立ったあなたチカラは過去のどの大会でもメダルに値するものでした。この素晴らしい時代の口火を切ってくれてありがとう。跳ぶ決断に向かわせてくれてありがとう。

そして、最後の三人。

羽生結弦、ハビエル・フェルナンデス、宇野昌磨。

チカラは十分。自分の演技をやり切れば、メダルを獲れる300点の世界に棲む選手たちです。色の行方も終わるまでわからない。この舞台でどれだけのことがやれるか、チカラを出せるか。金メダルの器がなければ、先に滑ったボーヤン・ジンがマークしている総合297.77点は超えられないでしょう。「300点」という大きな節目を超えた者にメダルが与えられる、そんな最終局面です。

リンクに降りた羽生結弦、すなわちSEIMEI。見守り、育ててくれたコーチたちと最後の握手をかわし、滑り出していきます。歓声とバナーが場内をにぎわせ、そして静まり返る。自身の息遣いから始まる調べが響くと、いつもより軽やかな狩衣をまとい、羽生結弦が一度きりの平昌五輪のフリーを演じ始めます。

冒頭のジャンプは4回転サルコウ。美しく決まったジャンプの出来栄えは満点となるGOE「+3」。もっとも得意とするアクセルジャンプの裏返しの形で跳ぶサルコウを、ここに持ってきた。完璧に跳ぶことができたなら、羽生結弦のサルコウはより高難度のジャンプとも戦える、そんな信頼を寄せて。それはさながら「美しいフィギュア」とでも呼ぶべきものでした。

つづく4回転トゥループ、入り、出、幅、高さ、流れ、空中で始まり空中で終わる回転…ジャンプの出来栄えに影響する要素を満たして、完璧に降り立った。こちらもGOE「+3」の満点評価。いける、いける。積み上げた技術は失われないことを、世界最高の演目は改めて示していきます。

スピンやステップ、そして要素にはカウントされない演技中の所作すべてで、羽生結弦の両足は激しく動き、技を繰り出していきます。意味のない動きはなく、何かをするための準備もない。「要素+要素+要素」の連続ではなく、一本につながった「SEIMEI」が演じられていく。これでチカラは最後までもつのか。時間とともに確実に減っていく燃料の残りが気になります。

演技後半、再びのジャンプ部分。後半冒頭の4回転サルコウからのコンボは美しく決めるも、コンビネーションにしなければならない4回転トゥループは乱れた着氷でコンボをつけられません。それでも右足は柔らかくねじれて、体重を支えてくれた。よくこらえた。よくもってくれた。手をつけば出来栄えでマイナスになる場面、転倒すれば金メダルの器を失う場面で、右足が最後まで粘ってくれた。

「4回転ルッツに挑ませてくれてありがとう」
「痛めてしまってごめんなさい」
「でも五輪まで歩けたよ、ありがとう」
「最後まで無理させてごめんなさい」
「でもこらえてくれてありがとう」
「あと少し、あと少し、頼むよ」

もっとも得意とするトリプルアクセルからの三連続ジャンプ。4回転を跳べるチカラを持ちながら、この舞台で挑むことはできなかった切ないトリプルループ。着氷の乱れで痛みが甦るトリプルルッツ。スピードがじょじょに鈍るなかで跳びつづけるジャンプを、絶対に手をつかないという気持ちで乗り切った。いや、不思議なチカラでリンクに落ちずに済んだ。そんな気がする、不思議なこらえでした。

「4回転ルッツ我慢できずにごめんなさい」
「いろんなこと諦めさせてごめんなさい」
「でも大事に使ってくれてありがとう」
「最後までいたわってくれてありがとう」
「もう二度と負けない」
「このルッツ、今度はこらえてみせる」

観衆はわかっています。この時点で大過失はもう起こらないことを。300点を超え、メダルが確実であることを。あとはどこまでやり切れるか。燃やし尽くせるか。悲鳴のような声が響くリンクで、SEIMEIは最後の魔を蹴散らしていく。リンクに映える鮮やかな黒いブレードが切り裂いていく。どうか炎よ消えないでくれ。あと1分、あと30秒、あと10秒…。そして、最後の魔を地に封じたとき、蒼い炎が一際眩しく燃え尽きました。金色の灰を噴き上げて。

↓あぁ、こんな顔で演技を終える推しの姿を見られるなんて、何て幸せなオリンピックだろう!

フリープログラム206.17点!

総合317.85点!

満足できる、納得のいく、素晴らしい五輪だった!

この顔が見られただけで、僕は本当に満足です!


↓乱れ飛ぶプーさんの雨!歓喜のプー吹雪だ!



紙吹雪⇒わかる

桜吹雪⇒わかる

プー吹雪⇒ふぁっ!?

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残されたわずかなチカラを、大事に大事に燃やしながら過ごしてきた3ヶ月。このひとさじが最後だ、もうこれ以上は残っていないかもしれない、そう思いながら、4分40秒を滑り切った。最後まで炎を守りつづけた。それは潤沢な燃料をくべて業火を生む戦いかたではなかったけれど、もっと精緻で、研ぎ澄まされた戦いでした。終幕の右足を踏み込んだとき、最後の一滴をポタリと使い切るような。

久々に姿を現したとき、公式会見に臨むとき、演技を迎える前、演技を始めるとき、常に彼の言葉には「感謝」があふれていました。支えてくれる人、応援してくれる人、ライバル、あらゆる人に恵まれて自分はここまで頑張れた。蹴落とすべき敵としてではなく、すべてが自分を高めてくれたことに感謝するように。そう、感謝。それこそが彼を支えた最後の燃料だったように思います。

足が痛い、自分の最高の技術はもはや出せない、たくさんのものを諦めないといけない、けれど、けれど、この感謝を示さず逃げることはできない。どこまでできるのかはわからないけれど、砕け散るなら胸を張って砕け散ろう。4年間、一時も逃げず、自分を見守ってくれるすべての人に恥じない生き方をしてきた。これ以上ない生き方をしてきた者だけが見せる迷いのない表情が、その覚悟……そうするしかないというたったひとつの道に臨む者の心を物語っていました。

僕は、感謝こそが究極のモチベーションであると思っています。自分ひとりの「欲」で戦う選手の限界などたかが知れています。「自分の喜び」は「自分の苦しみ」とトレードオフの関係です。「こんなに辛い想いをするならやめてしまおう」となってしまう。しかし、愛への感謝はどんな苦しみとも打ち消しあうことはないのです。だから、どんなに苦しくても逃げるわけにはいかない、自分の限界を超えなければならない、強い理由となるのです。そして、他人が与えてくれるものが源泉だからこそ、決して尽きることないチカラとなるのです。足が折れようとも、心が枯れようとも、そのチカラはわいてくる。

彼は、無限のチカラを手に、戦っている。

この過程のどこかで、くじけそうになったかもしれない。けれど、そのたびに無限にわきだすチカラが彼に注がれたのではないか。「感謝」を繰り返す彼の姿に、そんなことを想うのです。もしかしたら、最後までフリーを演じられたことも、最後のルッツをこらえられたことも、演技の最中まで声と拍手と旗で愛を送りつづけた人々への感謝が、その場で「最後のひとしずく」に精製されて燃えたのではないかと思うほどに。



心の勝利を手にして、結果へのこだわりなどなく見守れるラストふたりの演技。生涯最高の演技なら金に届くかもしれないふたりです。もしそうなったら、それはもう仕方ない。ベストを尽くしたあとの勝負とは、涼やかで、さっぱりとしたものです。

盟友ハビエル・フェルナンデスは4回転の本数は少ないこともあり、すべてを完璧に決めることが必要です。序盤、それは美しく果たされていきます。見果てぬ夢に挑む「ラ・マンチャの男」。美しかった。さすがだった。ほんのわずか、絶対に決めなければならない4回転サルコウが抜けたことは惜しまれるけれど、きっとこの演技を「ベスト・オブ・ハビエル・フェルナンデス」のクライマックスにもっていける。「予定通りの2回転」と言い張れば、ミスすらわからなくなるほどの演技でした。




最後の演技者、宇野昌磨クン。金を狙っての演技は、冒頭の4回転ループで転倒し、厳しい立ち上がりとなります。あぁこれが五輪か。直前の練習からジャンプに苦しむさまを見ていたので、またひとつ五輪の魔物の残酷な仕業を予感してしまうような転倒でした。

しかし、むしろそれをきっかけに演技はいつもの落ち着きを取り戻していきます。「完璧な演技ならトップになれると思っていたが、ループで転倒して笑えてきた」と試合後に語った宇野クン。何という立ち直りの早さ、何という独特の理屈での立ち直り方。「失った」と考えるのではなく、「笑える」と考えるなんて。そして最終的な感想が「あぶねー」というフランクなものだなんて!何も考えてないんですかね!特に何も考えてないのかもしれないですね!もしかしたら、それはスポーツの世界で「ゾーン」と呼ばれる無の境地なのかもしれないですね!常駐する前提のものじゃないですけど!




↓素晴らしい演技を出し合った戦いは、羽生・宇野・ハビエルの金銀銅で決着!

よかったね!みんなよかったね!ホントによかったね!

あぁ、夢で描いたとおりの結末が現実になった!

こうなると知ってはいたけれど、心臓割れたわ!


↓表彰式でふわふわした推しがメダルをさげる尊い光景!

さわりたい!そのメダルにさわりたい!

メダルにさわった勢いで抱きしめたい!

いやらしい意味じゃなく欧州風の祝福の意味で!

ゆづるーーーー好きだーーーーー!!

「好き」が「勝つ」って最高です!!

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さて、こんな祝いの場で言うのも何ですが、僕が思うに羽生氏には「まだ上がある」のではないでしょうか。ベスト・オブ・ハニュウユヅルを作るとき、どれをクライマックスに持ってくるかという点では、まだ議論の余地があっちゃうんじゃないですかね?

もちろんこの平昌五輪は最有力候補ではありますが、全会一致になるかというとどうでしょうか。世界記録で優勝を果たした試合、すべてを完璧に決めた試合、この日の演技以外にも素晴らしい演技はいくつもあります。候補がいくつもある中で、満票を獲るのは難しいのではないでしょうか。

それに、「今できることのすべて」と「できることのすべて」はまたちょっと違ってきますよね。もっとできることがあるし、やらないで終わるのはもったいない。「これ以上の演技はもうできない」と自分でも思えるものを、後世に遺してみてはどうでしょうか。

少年漫画のヒーローは、最後のほうで「ちょっと長く連載しつづけてしまったな」と思われるくらいでちょうどいいのです。次の4年間、簡単に決められることではないと思いますが、期待して気持ちを待ちたいと思います。もっとスゴいことが起きたら嬉しいなぁと思いながら。

戦わずに生きるのはつまらないでしょう?

次に戦うものが何なのか、決まったら教えてください。

まずはお疲れ様、そしてありがとう。

戦いつづけるあなたに、これからも翻弄されたいです!

これからもよろしくね、ゆづ!


パレードは最低でも全国六都市ツアー&クリアファイル配布を希望!