「赤報隊の行為は許されないが、赤報隊を褒め称える言論は許す」 称賛を認めるって、遠回しに認めてるだけだろ。 どこが赤報隊の行為への「対抗」だ。
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「許す」とは一言も言っていません。そうではなく、それを言う自由は認められるべきだ、と言っています。
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直接事件を肯定してるわけじゃないって主張されたいようですが、 「殺人を称賛するのも自由なので認められるべき」って結局自分も殺人を肯定してるだけじゃないですか。
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「殺人を称賛するのも自由」がなぜ「自分も殺人を肯定してるだけ」になるんですか?
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リプ失礼します。 「(他者の)殺人を賞賛する」 イコール 「自分も殺人を肯定している」 になると思いますが。
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「(他者の)殺人を賞賛する」ならばそうですね。私は賞賛していませんのでその指摘は当たりませんが。
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「Aの殺人をBが賞賛する」 それを言論の自由として寛容する、ノットイコール、 「自分が殺人を肯定する」。 でも言論の自由とは「不寛容に対して不寛容である」ことが付帯するのではないのでしょうか?
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言論の自由を批判するような言論であってさえ、言論の自由は認められるべきです。
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なりません。
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「暴力やテロをする自由もあるってこと」です。「赤報隊は義挙であると述べること」と「赤報隊のようにテロをすること」は全く異なる行為だからです。
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横から失礼。話したり分析することと実際に行動することは違う、という事ではないでしょうか?
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そうです。
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「暴力に訴えて言論を圧殺する行為」は絶対に許されないが、「その主張を擁護する権利」はそれが言論である限りは許容されねばならない。ここまでは分かります。しかし「言論を圧殺すべし」とする言論をどこまで認めるか、ここで皆が引っかかってるのだと思います。
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言論の自由を否定するべきだという言論に対しても、言論の自由が認められるというのが言論の自由の理念です。そうであってなお、言論の自由を否定する言論を退け続けることが、民主主義国家が維持される条件だと私は考えています。
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「私は君の意見に反対だが君が自分の意見を主張する権利は全力で守る」という言説はよく聞きますが、それはたとえ「お前の意見を潰してやる」という意見であっても適用されねばならない、という事ですか。
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そのとおりです。「言う権利」は守られなければなりません。
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分かりました。ならばこちらに出来る事は「間違ってる。お前の意見には反対だ」とあくまで言葉で主張し続ける事であって、もし公権力等に頼って言葉すら規制してしまえばそれはテロによる圧殺と何ら変わりはない、という事ですね。
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