少女がこぼした。
「帰るところ、なくなっちゃった」
かぶったままのコートをぎゅっと握りしめた。痛みと強がりの混じった、か細い声だった。
家族の終わりを突然告げられる。何度も繰り返されてきた光景。ベテラン職員大庭英樹(52)が振り返る。「何回経験してもつらい。たまらんです」。眼鏡を上げ、両目尻を押さえた。
少女は父と2人で暮らしていた。幼児のころ、ここにやってきた。経済的困窮による養育困難。父が愛梨を預けた理由だった。
父は1~2カ月に1度、面会や行事で訪れた。愛梨はそのたび大はしゃぎした。「お父さん、大好き」。大型連休の後、父はぱったり来なくなった。何度連絡してもつながらなかった。
「お父さん、どうしてるかな」。愛梨は毎日尋ねた。小さな心と体は徐々に悲鳴を上げていった。髪を引っ張り、血がにじむまで爪で腕をひっかいた。
ある日、こども家庭センター(児童相談所)から連絡が入った。父は住居を移し、新しい家族を作っていた。事実を告げなければならない。愛梨が落ち着くのを待った。1年以上を要した。
わが子を傷付ける親がいる。受け入れられない親がいる。育てられない親がいる。「若いころは『なんちゅう親や』と思っていた」と大庭。でも多くの親子を見てきた今は違う。「この親たちも同じように育てられたんやな」。腹が立たなくなった。ただ、負の連鎖は必ず断ち切る。
大人たちは見守った。戸惑いや心細さに耳を傾けた。愛梨の顔からちょっとだけ、とげとげしさが消えた。
「悲しいけど、区切りがついた。ここからが我々の仕事です」。大庭が言う。子どもたちが失った時間を積み直す。裏切らない大人がいると伝えたい。ここにいる間に気付いてほしい。
「あんたは存在価値があるんやで。生きてていいんやで」(敬称略、子どもは仮名)
【児童養護施設】虐待や経済的困窮、死別などが原因で、こども家庭センター(児童相談所)に一時保護された子のうち、家庭に戻れない2~18歳(原則)が入所する施設。2017年4月時点で全国に602施設あり、兵庫県内は32施設。近年、児童虐待が増加傾向にあり、児童養護施設にいる子の約6割が虐待経験があるとされる。里親や里親ファミリーホーム、児童自立支援施設などを含め「社会的養護」と呼ばれる。
■子どもたちは何も悪くない 児童養護施設で職員奮闘
のどかな田園風景が広がる神戸市北区道場町。木もれ陽の注ぐ道の先、小高い山の上に児童養護施設「尼崎市尼崎学園」がある。通称「尼学(あまがく)」。親と暮らせなくなった子どもたちが暮らしている。
神戸にあるのに尼崎学園。その歴史は72年前にさかのぼる。
かつては関西学院の修養道場だった。第2次世界大戦中、兵庫県尼崎市の児童が集団疎開してきた。終戦後、関学が土地と建物を尼崎市に提供。1946年2月、尼学の前身が開設された。
戦災孤児や引き揚げ孤児が暮らした。食べるものや寝る場所のない浮浪児も身を寄せた。高度経済成長期、バブルの崩壊。時代が大きく変わっても、社会の隙間からこぼれ落ちそうになった子たちを受け入れてきた。
そして現在。ほぼ全員が親のいる子だ。虐待のほか、親の病気や逮捕、経済的困窮で保護された18歳までの約40人が暮らす。
適切な家庭環境で育たなかったため、基本的な生活ができない子がいる。勉強が苦手な子、他人とのコミュニケーションが難しい子。小さなトラブルはしょっちゅうだ。それでも職員は口をそろえる。「子どもたちは何も悪くない」
職員や地域の人がそっと光を当てる。その中で少しずつ成長していく。副園長の鈴木まや(50)が強く願う。「人を信じていいんだ、と思える大人に育ってほしい」
子どもたちの生活に「当たり前」を取り戻す。長期の密着取材を通じ見えてきた原点だ。奮闘する大人たち、ゆっくり育つ子どもたち。尼学で営まれる日常を描く。
(記事・岡西篤志、土井秀人、小谷千穂)
(写真・三津山朋彦)