投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(235)
  2. アルベア論(975)
  3. 虚構の大石寺疑惑(2)
  4. 正義のあかし(47)
  5. 掲示板の注意事項(1)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 2月16日(金)23時53分18秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

一年

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 2月16日(金)22時57分27秒
  今住んでいる所に引っ越してきて今日で一年たちました。
大聖人様御生誕の日を選んで引っ越して来たんですけど。

今まで激励してきた友と住むところが離れてしまったのでメールと
電話が中心になってしまいましたがやはりここぞという時には実際に
会わなければいけません。

さすがに海外には行けませんが、結構忙しくなりこの一年大変でした。
この間、地区部長さんが家庭訪問に来られたのは四回でした。

さて一年に四回とは多いととるのか少ないととるのか?
まあ季節ごとに来るんだから良しとしましょう(笑)
いわゆる未活動家でもないので優先順位がありますから。

地区部長さんがあまりにも頼りなくて地区の人たちが可愛そうだと
思ったので真心で一回厳しく言ったら来なくなりましたね、残念です。
日程表とか婦人部の方が持ってきてくださるので何も困りませんが。

不思議なものでどこにでも悩める友はいるのです。いろんな出会いが
あってここでも人とのつながりが出来てしまいます。どこにでも使命は
あるんだなと実感します。

前の地区では20年住んでいたのでみんなよく知ってる人だから言いたい
放題、家庭訪問し放題でしたが、さすがに新しく越してきてよく知らない
人がそんなことやってたらまずいでしょう。

でも一年たったのでこれからはわかりません。悩み苦しむ人がいれば
どこへでも飛んでいきます。それが私の使命だと確信するからです。
 

同盟題目は23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 2月16日(金)22時55分25秒
  池田先生と奥様のご健康を祈ります。
よろしくお願い致します。
 

【ほぼ bot 】より

 投稿者:mission  投稿日:2018年 2月16日(金)22時08分20秒
  昨日の座談会で担当幹部は、以前阿蘇地域の中心者だった方。
勝ち鬨の章のことを話された。

全く描かれなかった合掌作りの小屋は寒い阿蘇に先生を少しでも暖かくしてお迎えしたいとの真心から。

緋毛せんや手縫いの座布団も用意して、炭火を焚いて部屋を暖かくした。
そこに先生は少し横になられたと。


 

ツイッターから。密室で査問、一人で来い?反人権体質だな。埼玉県創価学会。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 2月16日(金)20時59分8秒
  私はね 埼玉の件は 弁護士つけたほうがいいと思うよ
会員さんの側も


密室で査問、一人で来いって。一体どれだけ反人権体質なのか(怒)
 

同志の歌 様へ

 投稿者:mission  投稿日:2018年 2月16日(金)20時48分25秒
  いつも ありがとうございますm(__)m 遅くなって ごめんなさい。

私も「会合参加禁止」になり2年が過ぎましたが、同志の歌様と同じで外側からの対話を続けています。
虹様との投稿で書いた20年近く組織から忘れられた部員さんは、転居してから半年の頃に話が出来る様になり、我が家に来て貰える間柄になりました。

その前に「会合参加禁止」になってたのですが、後もう一人を含めて3人で毎月ミニ座をしていても、組織が放り出したままの人達には何の関心もされませんでした。
『師弟』を忘れた組織には呆れます。

『身方は少なし敵多し、今だ懲りず候う』ホントそうですね。
私も自分で自分を励まし祈りながら、池田先生の御心を伝えています。

 《戸田先生の御指導》
【断じて人間にほめられてはいかん。
ご本尊様に誉められるようになろうではないか。
また人間に、いくら悪く言われても、人間にいくら叱られても、ご本尊様に叱られないようにしようではないか】

今 気付いて無い同志の人達に、忘れてしまった『師弟』を思い出してもらう対話も『折伏』だと思っているのですが、今までの知識が邪魔するのか、本来の折伏より手強いですょね(^^;

私は昨年「財務」拒否の宣言をしたので、そりゃぁもぉ内外ともにヒデェ噂が飛び交ってますが(笑) 私達がしている行動は、決して御本尊様に叱られてはいませんから(^^)d

地道な闘いに思う時や、一歩進んで二歩下がる時もあるかも知れませんが、そこから1㍉でも進めば前進です!
その1㍉を積み重ねた時に、必ず何かが見えてくるはずだと思っています。
闘う場所は違えども、へこたれず…時々 泣きべそかきながら(笑)共々に頑張りましょう!


 

ツイッターより。埼玉文化会館での会員に対する査問は2月18日です

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 2月16日(金)20時41分2秒
  えーっと 埼玉文化会館での 会員に対する
幹部がおこなう査問は 現時点では
2月18日 午前10時からの予定ですね
 

北朝鮮危機、ピョンチャン冬季オリンピック後の限定的な空爆奇襲作戦の可能性大!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2018年 2月16日(金)20時18分50秒
  堕地獄必定の国際勢力、天魔の北朝鮮に遂に軍事攻撃の鉄槌下る!ピョンチャン冬季オリンピック後の展開を刮目して注目するべし??  

虹と創価家族様

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 2月16日(金)19時47分50秒
編集済
  合言葉ありがとうございます。
命に刻ませて戴きます。

今、何をすべきかを自身に問いながら、弟子として日々祈り、戦わせて戴きます。

虹様もお身体を大切にしてください。

わざわざの御返事ありがとうございました。
 

3・11に向けて

 投稿者:瑞相御書(1)  投稿日:2018年 2月16日(金)19時27分6秒
  抜粋1140-1
夫れ天変は衆人をおどろかし地夭は諸人をうごかす、仏法華経をとかんとし給う時五瑞六瑞をげんじ給う、~
- 6
夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる云々

以下次号にて
 

うしみつ様への御礼

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 2月16日(金)19時12分43秒
編集済
  過日のご投稿にて、まず私ごとき無作法者に過分なまでの労りと共感のお言葉を寄せていただき誠に恐縮です。
さしたる文才もないのに、このところ物書き仕事の依頼がちらほら舞い込むようになり、ここニ、三日は執筆に専念しておりました。
ゆえに御礼の言を申し上げるのが遅くなりましたことお許しください。

以下、波紋を起こしたらしい過日の拙稿について、自身の弁解でも釈明のつもりでもありませんが、、、

自分は今日に至るまで、確かに人の親になった経験はございませんが、14年とやや短い男子部生活で転居による所属組織の異動もある中、ほぼ切れ目なく未来部「育成」の現場に立ち会わせてもらう機会に恵まれました。
壮年部の今も支部未来本部長を数年来担当しております。
よそのお子さんが相手ですが、一人ひとりの成長過程であくまで基本「近所の兄ちゃん、おっちゃん」として関わる中、子供の目を通した親御さん方の信心の姿が浮き彫りにされ、良くも悪くも多くの示唆を私に与えてきたように思います。
それをどのように咀嚼して自身の生き方にどう生かしてきたかについてはここでは触れません。
そのことよりも目下、私にとって懸念すべき事態が進行中です。
私の住む町は23年前の大震災でおおぜいの学会員さんが被害に遭われ、お住まいやご家族を突然喪なった方も多数おられ、その後の生活再建の苦闘の道しるべとして、また心の支えとして、瓦礫の中からやっとの思いで探し出したような御書や池田先生のご著作を文字通り宝物として大切に取り扱うご家庭も少なからず見聞してまいりました。
そうしたご家族を持つ未来部員たち、自分の担当であるかどうかは別として、成長に伴い、進学→就職→結婚といったふうにプロセスを踏むかその途中で親元を離れ住居を別にしてから、改めて先生の書籍を読み直そうとするか、または大人になってようやく読む意欲が湧いて、実家にあるものとは別個に一般書店まで足を運ぶか聖教ブックストアに注文するなどして自ら買い直す。
ところがそうやっておもむろに手元に取り寄せた先生の著作が今や、聖教ワイド文庫版『人間革命』を筆頭に数多くが改訂と称して壊滅的とも言える改竄処置がなされたものであったりして、なおかつ親が読んできたものと自分が今から読むものとでは随分と中身が違ってしまっている事実に、誰かの指摘がなければ気付かないままの人が無数にいる。本人であれ親であれ、そして次に生まれてくる子供たちにまで。

憂慮の念を示しているとか、誰かに問題提起しているとかではありません。全国で今起こりつつある事態をただ直視しているということです。

「祖母が引いた無数の赤線や書き込み」が詰まった書物とは、名前が同じでも書かれてある内容が微妙に異なる本を読み込み、祖母の心を引き継いだと思っている自分......冷静に俯瞰する第三者の視点から見ればどうなのか?

鶏の足君が綴ったエピソードを読んで諸氏が発したコメントに欠落していると私なりに感じた点を縷々書き記しましたが、少し攻撃的とも受け取れる言辞で一部ご不快な気持ちを抱かれた人もいたようです。

ともあれ見ず知らずながら、普段から慇懃無礼な口調、婦人部相手でも臆せずにズケズケ物申してやたらと波風を起こすタチの悪い「殿方」の一人に、温かい励ましのお言葉を賜り心から感謝申し上げます。

気づく人は気づいていますが、貴女と私、そして鶏の足君の投稿によって、当掲示板にある種の化学反応が起こりつつあります。

どちらのお住まいかは存じませぬが、まだまだ寒さ厳しい折、三人のお子様ともども健やかに毎日を過ごされますよう御祈念致します。では。。
 

ツイッターから。埼玉県の創価学会が会員を査問!理由は「執行部を極悪と批判」何を恐れているのか創価学会執行部は!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 2月16日(金)19時02分22秒
  埼玉県の創価学会では 潮出版社の社長の名前で
会員への査問出頭指示が出されています。
会員を査問する理由は「執行部を極悪と批判」 したからだそうです。
 

寄り合い!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 2月16日(金)16時29分26秒
   その昔、“寄り合い”という地域会合があったのをご存知の方も見えるでしょうか。その昔の“隣り組”から派生してきた、いまでいう自治会会合のような集りです。秋になると、台風に備えて近所の堤防の凹み部分をどう補修するか、小学校の敷石の崩れをいつ直すかなどの打ち合わせをしたりする場所でした。他の人のためにやる作業ですから、慈善活動には違いありません。もちろん、終わったあとの飲み会が楽しみで出席する“飲兵衛”もいたりしました。

 草創期は、学会の会合をその“寄り合い”と呼ぶ人もいました。居酒屋なんていう格好のいいものはありませんでしたから、酒屋の一角で飲む、これもいまでいう立ち飲みに誘うと、「いや今日は学会の会合でね」「なんだ寄り合いかぁ」な~んて会話もあったものです。父、いやお爺ちゃんたちから聞きました(笑い)。

 いまは学会活動がどんどん、その“寄り合い”の形態に戻っていっていますね。悪いすることをするのではなく、慈善の他者貢献なのですが、どうも学会活動からはどんどん遠ざかっていっています。信心から遠ざかっているということです。

 慈善活動だからいいようなものですが、“寄り合い”の決定的な欠落点は、それが地域なりの“社会枠”の中にあるということです。その“枠”からはみ出して活動できない局面があるということです。組合活動などを含め、この属する“社会”の活動との時間調整、行動調整というのは草創期のほとんどの人が頭を悩ませてきた問題です。常識や、社会性重視は熟成してきた会として踏まえるべきでしょうが、それは決して“迎合”ということではないはずです。信心の根底はいかなる時代も変わってはならないはずです。

 そのあたりをはき違えるから、身延寄りも、政権寄りの発想が出てくるのでしょう。オルテガ・イ・ガセットだったですか、「慢心しきったおぼっちゃま」の“横車”であるのでしょう。


 

ミネルヴァの梟さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 2月16日(金)16時26分5秒
  ミネルヴァの梟さん

 そうでしたか、御免なさい。私の記憶からの思い込みかも知れませんね!?。その箇所を削除しておきました。鋭いパンチの投稿はこれからもお願いします。
 

mission 様

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 2月16日(金)16時13分56秒
  mission 様 2018年 2月16日(金)13時16分38秒

深く同意されて有難うございます。

「信心の血脈」とは、「体感」です。「思考・概念」の人々には感知できないのです。次元が異

なるからです。

「脈拍」「脈動」は「生体現象」です。「信心の血脈」は自我機能による「思い込み」「信じ込

み」「上書き」の人には無いのです。「体感」が生じないからです。

今、執行部の面々は、苦渋し、苦悩しています。「自我機能」の世界にいるからです。「智慧」

が現象化しないからです。著しい劣化は「策に走り」取り繕うとする浅はかな人々の意識の反

映・投影なのです。

「日蓮と同意ならば」ということは「体感する事」です。自我機能の創価には同意は無いので

す。日寛上人の「蓮祖が其の身に入る」という事が無い方々が創価を牛耳っているのです。無慈

悲な選挙運動・無慈悲な記念行事しかできないのです。若者は離れて当然です。「犬の条件付

け」の創価信仰なのです。

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたる べし」(御書234ペー

ジ)なのです。「思い込み」「信じ込み」「上書き」だと「仏界に至らない」のです。「疑う心

なくば」とは自然体である事の覚知がなければ、即「思い込み」「信じ込み」「上書き」に反転

してしまうのです。残念ながら、生命現象として御書を読む事を指導する教学部師範がいないの

です。「気づけない」次元の貴族仏教教団なのです。

「皆目見当つかない」のです。大聖人以降の弟子たちと同じ過ちを今、犯しているのです。

教学的事項の「思い込み」「信じ込み」「上書き」と池田先生の指導を切り貼りによる「思い込

み」「信じ込み」「上書き」の世界を循環しいているだけなのです。

聖教新聞・大白・中継行事・VOD等の編集も智慧は無く、慈悲無く、勇気・希望も促す事がで

きない長の一念の狂いが反映されているのです。聖教の写真の冷たさは、まともな人ならば感じ

ているハズです。貴族仏教は形式主義・官僚主義であり、縄張り拡大の世界にあるのです。「相

対的現象・現実」の世界だからです。

既存の宗教の時代は、崩落し終焉する方向に時間は流れています。

「思考・概念」の循環にあるから「歓喜」が湧かないのです。

 

五老僧

 投稿者:人力車  投稿日:2018年 2月16日(金)15時42分16秒
  現代文明と宗教  質問対談集 より
1972年

仏教は、権威で押しつける宗教ではありません。万人が、心から納得し、自ら信ずるものです。この本当の信は、知性による批判と思索とに充分、耐えるものでばければならない。知性の批判を避け、神秘性や権威主義で押しつけた信仰は、たんなる妄信にすぎないからです。

妄信は、当座は純粋で立派そうに見えても、何かの試練にあったときは、たちまち崩れてしまう、脆いものです。仏法は、六波羅蜜の中に、智慧があるように、知的判断と思索とを仏法を学する上での大事な条件としております。

日蓮大聖人御自身「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法あるべからず。」と教えられ、法門について、つっこんだ質問をしてきた人に対して、求道心の尊さを説かれ、称えられている例は枚挙にいとまがないほどです。これも、思索することの大事さを、仏法が深く認めている実例といえましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五老僧が悪いというのは、なにも、常髄給仕しなかったことが悪いのでなく、大聖人の教えを歪め、誤って伝えたから、それが悪いというのです。真実の師弟不二とは、師にいつも付いて、師の口真似をすることではない。師の教えを正しく理解し、伝えるとともに、その教えを自ら実践し、師の理想を実現することです。


第42回本部幹部会スピーチ より

釈尊の時代には、提婆達多が出た。大聖人、日興上人の時代には、五老僧が出た。五老僧は、一番上の弟子である。それが5人も裏切った。不思議なことに、卑劣な退転者は、上のほうに現れる。退転し、反逆して、最後に無残な仏罰を受ける。それによって、厳しい因果律を明快に皆に見せていくのである。

ここに仏法における一つの方程式がある。ゆえに立場が上になればなるほど、徹して自身を律していくことだ。戒めていくことだ。また、周囲も遠慮せず、意見を言っていくことだ。


御書と師弟2 より

師匠に打ち込んでいただいた折伏精神を失い、世間に迎合して、広宣流布の和合を破壊するような五老僧の末流とは、断固として戦い抜くのです。

***********
先生は五老僧の末流にたぼらかされないように、御指導されています。

打ち出しプリントをこなしたり、報告・報告と焦らせたり、激励の打ち出しがなければ対話・家庭訪問しない、といった活動にならないようにしたいですね。

真実の学会が小さくなろうとも、海原に向かって流れてゆくに違いない。
 

師弟大道

 投稿者:青葉  投稿日:2018年 2月16日(金)14時14分28秒
編集済
  九州で行われた本幹で、先生の真剣な指導の最中、笑うべき指導ではないところで、へらへらと笑う者がいた。

先生は間髪入れずに、「ふざけとユーモアは違うんだ!私は、これからも、内部から膿を出す為にどこまでもスピーチしていきます!私のスピーチはその為にもあるのです!」とふざけた者を叱咤しながら師子吼されました。

その慢心とふざけを見破られ叱咤された幹部は、後に公明党の議員となり、自らを見つめる事もなく退転し反逆しました。

先生は、会員や生徒の為に、本部や創大からも、傲慢で欲深い職員や幹部らを厳しく呵責され続け、膿を炙り出されたのです。

我々は、日顕宗とは戦えど内部の魔を知らず、人よく学会活動していました。
しかし先生は、会員に分からずとも内部に潜む魔を呵責し抜かれ、真面目な学会員を護って下さっていたのです。

今まで、先生は、会員の前で秋谷や原田と大場らを厳しく呵責されてきました。

内部の不正と戦う私達が、いかに排除されようとも、御本尊の確信に溢れ、師弟大道を走り抜ける事を、先生に感謝であります。
同時に、裏切り者への仇討ちしかありません。

先生は、「天魔の一番気をつけなければならない事は、天魔の入った者を見抜けず、従い操られたならば、自らが天魔となり師弟に嫉妬し悪事を犯す事です。ゆえに魔に従ってはならない、魔を見抜き題目で打ち破っていくのです!」と、魔との戦いの来たるべき時に対しての用心と重要な呵責の指導をされました。

先生に呵責され出た膿は、日顕宗の坊主らが寺や檀家を牛耳ったように、本部や会館、組織を牛耳り好きに徘徊しているのです。

広宣流布の一凶となる、天魔つけ入る輩は、これこそ創価学会から追い出し打ち破らなければならない。

そして、日々対話を進める中、操られた一人一人の無明を打り破り、仏性覚醒をなす大誠実の対話こそ大事であると実感しています。

最も大事なのは「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」との御金言の実践であります。

猛然たる題目で、池田先生の御健康、御長寿と共に、先生の敵である天魔を断固打ち破ってまいりましょう!
 

アルベア様へ

 投稿者:mission  投稿日:2018年 2月16日(金)13時16分38秒
   強く同意します。
過去帳に於いても16日は『日蓮大聖人御聖誕』→「生」を『聖』として記載されているのに、「寸鉄」にだけ短く扱う原田学会は『日蓮大聖人』も怪鳥の傘下に置いたに等しい。

以前 南米にある国の聖教新聞を見せて頂いた事がありますが、大聖人様の御生涯や称える記事を大きく紙面を割いて載せてありました。
聖教を長年購読している読者ばかりでは無い。少し前から又その日だけ読んだ人達の為に何度でも掲載すべきだと思います。

─大聖人御聖誕の日。広布誓願の実践に信心の血脈は厳然。192ヵ国の連帯に─
2014 年の「教義変更」で、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく「本門の本尊」であります」(ダーハラ)

【信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり】(生死一大事血脈抄)では、血脈とは信心の異名であるという『信心の血脈』の根拠となる有名な文があります。
いくら「寸鉄」に『信心の血脈』と謳っても原田学会の実践には消え失せていると思います。

そして、ダーハラ失効部達が崇めている「宮田」は、『生死一大事血脈抄』を偽書と言ってるのだから、『信心の血脈』等の言葉は使ってはいけない。
 ─貴族仏教教団の「いいぐさ」である─
本当です。《アルベア様》の仰るとおりですね。


 

(無題)

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 2月16日(金)13時10分58秒
  螺髪氏へ。

時間が無いので一言だけ。

私が公明党地方議員?

何を突拍子もない事を言い出すのやら。情報確認してから言うべきだ。
 

螺髪さん

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月16日(金)12時59分0秒
  お久しぶりです。
暖かい言葉ありがとうございます。
いつも力強いコメント読んでましたよ。
又、よろしくお願いしますね。


大いなる希望さん

言葉が足りなかったようですみません。
あとで返事書きますね。
 

ミネルヴァの梟さん!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 2月16日(金)12時52分20秒
編集済
   ミネルヴァの梟さん、一言、いいでしょうか。

 文章を書くというのは、“ものづくり”と同じようなところがあります。一回、一回が新たな創造です。その時の感情の起伏、思い浮かぶ言葉の想起があります。だから同じ文章は書けません。そうは思いませんか。感情ですから思惑です。言葉ですから見惑です。つまり、五住の煩悩の見思惑です。

 この板の方も、何人かはご存じでしょうが、メディアに出てくる文面や映像の内容というのは、それを確認するために取材全体の十分の一か、それ以下となってしまうものです。できる限り「確かめる」必要があるということです。「事実」というのはそれを確かめることに一番の手間がかかるのです。確認するために、十倍も、二十倍、あるいはそれ以上の時間と労苦を費やします。そして、そこにも取捨選択が入ります。

 掲載される内容を「らしい」「ようだ」としてしまって、その上で自身の見方を断言的に語るほど、メディアは確かではないということです。だから“一流”ほど一次情報を求めます。人のものの見方というのは時間的にも、見る角度からも、必ず“断片的”です。一次情報で事実掌握の漏れがあって、それをまとめるのにまた書き漏れがあり、それを読むのにも読み漏れがあり、さらにそれを参考にして書き上げるにも書き漏れがあるというのが、執筆作業の現実だということを心にとどめておく必要があるのではないでしょうか。

 何かの“秘密協定”を“独占スクープ”するというならいざ知らず、「こうも見れる」「こうなのではないか」程度の話では、世の中にそれこそわんさとあり、そちらのほうで見た方がよっぽど凄みがあります。

 人を思う心と、人を諫める心にも善悪があります。言葉の選択があるということです。「涙は善悪に通ずるものなり」(諸法実相抄1360㌻)、「瞋恚は善悪に通ずる者なり」(諫暁八幡抄584㌻)と。せっかく手練れの文章を書けるのですから、本筋の問題を掘り下げられたらどうでしょうか。正義の瞋りの言葉には、貫く「正義」の伝播がどこかにあるのでしょう、読んでいてどこか爽やかさが残るものです。きっと、新渡戸稲造の「偉大なる心は常に感恩の情に満つ」と同じ次元のものなのではないでしょうか。


【2018・2・16 16:30 冒頭の一行を削除しました】

 

枝野氏の重要な国会質問

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 2月16日(金)12時40分5秒
  2月14日の予算委員会に於ける、立憲民主党枝野氏の質問。

100分を超える、野党第一党党首の渾身の質問だ。
これをニュースで取り上げない犬HKは、公共放送としての公平性を著しく欠いている。

ニュース価値の大小を、いったい何を基準に判定しているのだ。
もうこれでは「責任者出て来い!」と言わざるを得ないレベルだろう。
犬HKは放送法を遵守し、公平性を保つべきだ。政府に不利な情報は、一切流さないという決意でもしているのかと呆れた。

枝野氏の質問。まだ前半しか観れていないが、いくつも重要な指摘がなされている。

裁量労働制の問題に関し、厚労省の出してきたデータは、平均的な労働者の1日の労働時間を23時間としているなど「馬鹿なのか?」と言わざるを得ないほどの酷さだ。
1日は24時間しかない事を知らないのか?
こんなクソデータを基にして議論しても、時間の無駄だ。

この裁量労働制。ごく一般の営業職にも適用される可能性があるが、そうなれば残業代0でタダ働きさせられる事になる。無関心が、自分の首を締めることになりかねない。


今日本政府は盛んに、北朝鮮とアメリカの武力衝突の可能性を煽り立てているが、その一方では、北朝鮮とアメリカが衝突する様な事は無いし、将来にわたってもあり得ないなどと、精神分裂症かと疑うような二枚舌を使っている。

今、ある陸上自衛隊員が、安保法案は憲法違反なので、防衛出動命令が出ても従わない、として訴えを起こしているのだが、その裁判資料の中で政府は、そういう日本の存立を危うくする様な事態は、現在も将来も起こらないなどと言っているのだ。

だったら「イージスアショア」など買うな!いったいいくらすると思っているのだ。
一基800億とか言っていたはずだが、どうせあんなもの、1000億を超えて来るに決まっているのだ。


憲法改悪の国民投票。

政府自公は、憲法9条の第1項、第2項を今までどおり残すので、第3項で自衛隊を明記しても、平和憲法は今までどおりで何も変わらない、などと言っているが、それは大嘘だ。

第1項や第2項という古い法の内容と、新しい法である第3項の内容が矛盾したりする場合は、新しい第3項が優先され、第1項、第2項は無力化されるのだ。

だから正確には、第3項の書き方次第でどうにでも変えられるという事だ。

安倍首相はその最重要の第3項の内容について、それは自民党憲法審査会が決める事で、総理大臣としての立場では、答えるべきではないとして逃げまくっている。

しかし安倍氏は、総理大臣であると同時に自民党総裁だ。
屁理屈を言うのも大概にしてもらいたい。

国民に、戦争出来る国に変えるためという、憲法改悪の内容を正確に知らせないまま、とにかく国民投票で賛成させてしまえというのが、政府自公の思惑だ。

しかも仮に国民投票で否決された場合でも、自衛隊合憲という部分だけは変わらないという都合の良さだ。(失笑)普通そうなれば、自衛隊違憲と解釈されるべきなのに、何を言っているのだ。

そんなどっちに転んでも良いような国民投票なら、850億円も税金を使ってやる必要など、カケラも無い。

我々国民は騙されてはいけない。
公明党の大嘘に一番騙されそうなのは学会員だが、もしも賛成するように学会員から頼まれた場合、逆に反論し論破してもらいたいと思う。「目を覚ませ!!」と怒鳴りつけてもいいぐらだ。



 

虹様

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 2月16日(金)12時32分8秒
編集済
  虹様のご意見に大いに賛同致します。
先生の創価学会は、大聖人の仏法を広める折伏の団体です。折伏をしている人が、一番です。
昔の大先輩は、幹部に厳しかった。しかし、結果も出して戦っていました。だから、先生のお気持ちも、伝わっていたのでしょう。

先生と共に戦ってきたメンバーが、声を上げて切られていくのは、あり得ない事です。

一人も、もれなくが先生の心。
敵をも味方にと。
 

フェイク 第1604号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 2月16日(金)12時28分11秒
  (発行=18.02.14)

「臨終ニ当リ俄ニ法号ヲ乞フハ愚挙」
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊦
「葬式に僧を呼ばないのは大聖人の考え」

日蓮正宗の機関紙「大白法」が書いていた御授戒の記事は間違いで、実際は
学会の初代会長・牧口先生の提案により始めたことは前号で記した。今号では
戒名不要論、葬儀の僧侶不要に関して述べることにする。

まず、死後の戒名については日蓮大聖人の御入滅から約二百年も経った頃に
発生したと言われている。この「亡くなった時につける戒名」について碩学の
日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と
記されている。これを「大白法」編集部は知らないのか?

仏教発祥の地のインドにも戒名の習慣はなかった。

中国では本名に「字」(あざな=生前の通称)や「諱」(いみな=死者への
贈り名)をつける習慣があり、そこから出家者に法名が与えられるようになっ
たが、死後に戒名をつけたのではない。

我が国では仏教伝来の頃から中国と同じく出家名・受戒名が用いられ、奈良
・平安時代には、聖武天皇には「勝満」、藤原道長には「行覚」など、上流貴
族が受戒すると戒名とか法名が与えられていた。これは出家名の意味で、今の
死後の戒名とは異なる

日蓮大聖人は、御両親を正法に導かれて「日蓮」の一字ずつをとり、父に「
妙日」、母に「妙蓮」の法名を授けられたと伝えられているが、御書には「戒
名」の語句はない。

富木常忍の「常忍」、南条時光の「大行」なども生前からのもので死後の戒
名ではない。

つまり、大聖人御在世当時は出家名のみで、死後の戒名の慣習はなかった。

死後の戒名は故人の成仏に全く関係ないのである。

 次に葬儀については昭和四十三年十一月度本部幹部会で池田会長(当時)が「
化儀は時代に即応」との視点から葬式仏教ではなく生きるための仏教であり、
葬式に必ずしも僧を呼ぶ必要はないと述べて「呼びたい人は呼んでもいいが、
呼びたくなければ呼ばなくてもいい」と強調した。

しかも「これについては、総本山も大聖人の根本精神につながった考えです」
と宗門が賛同していた事実を明かしていた。

 それを今になって葬儀に僧が必要だと信徒を欺いているのが日蓮正宗である。

御書には「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せ
しむ」と指南されている。

故人の成仏は、葬儀の規模・形式、坊主の導師の有無など関係ない。題目を
根本とした追善回向が肝心であり、真心の題目で送る学会の友人葬、家族葬に
参列者からも感動と賛同の声が寄せられている。

昨年は「アエラ」でも「友人葬という〝先端〟」と題して友人葬を取り上げ
ていた。「僧侶の代わりに『導師』という古参の学会員が進行役を担い、遣族、
親族、参列している学会員たちも一緒にお題目の『南無妙法蓮華経』を唱える。
導師は創価学会の『儀典部』に所属。信仰歴が長く、教義に造詣が深く、葬儀
方法を熟知しているベテランが多い」と紹介。「お布施が必要なく、戒名もな
い。原則として香典も必要ない」等と記して反響を呼んでいた。

葬儀の先端で仏教の本義に照らしても正しい友人葬、家族葬が時代の流れで
ある。

 

池田大作氏が平和提言!さらに創価学会インタナショナルがICANに参加していた!公明党とその支持者の間にひろがる乖離!!~

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 2月16日(金)11時52分11秒
  池田大作氏が平和提言!さらに創価学会インタナショナルがICANに参加していた!公明党とその支持者の間にひろがる乖離!!~岩上安身によるICAN運営委員
https://www.youtube.com/watch?v=otWeeSZZ6-4
 

虹と創価家族さま

 投稿者:カエル  投稿日:2018年 2月16日(金)11時51分22秒
  >故に、折伏もせず執行部を批判している方を見ると「何か違うな」と感じてしまいます。
 なによりも、折伏していない方では、広宣流布を進める事はできませんね。<
との言葉。
重く受け止めさせて頂きました。

ありがとうございます。
 

生誕 から 誕生

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月16日(金)11時46分58秒
編集済
  今日 2月16日は、日蓮大聖人(1222~1282)生誕の日

アルベアさん
>大聖人を軽視している創価意識の愚考が溢れている<

私もそうだと思います。

大聖人の「生誕」(旧本)が、新本「教学入門」の大聖人の御生涯のページでは、「誕生」と言葉を変えています。

現代風に、又庶民的感覚のある語彙に変えたという説明で説得すると思いますが、
そこまでする必要があるかということです。
 

辺野古問題と仏法 7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月16日(金)11時29分9秒
  1、九識論の削除

    <八識について>

 宿業の貯蔵庫である八識を削除 = 宿業というのは信じない思想

 しかし、現実には八識を削除しながら、別ページでは「宿業」について書いている。

 この意図は、今の時点では難しいが、いずれは「宿業」の思想をなくした方が広く会員を
 多く募れるので、その方向にかじをきる下準備でしょう。

 もともと平和研究所の研究員達は、良し悪しは別にして、何十年も前から自由に仏法を
 解釈することを許されていたようです。

 宮田教授、松戸様、友岡雅弥氏などが、現実におられます。

 そして、その人達の考えの中から、できるだけ厳しい仏法概念を除くもの

 や、極力、宗教色のない概念が好まれ取捨選択されてきているのだろうと思われます。

   その一例として下記をあげます。

    友岡雅弥 因果を超える

    http://fallibilism.web.fc2.com/080.html

 友岡氏が言われているように、過去世の宿業に呪縛された固定的業報因果論を説くのは、
 もちろん仏法ではありません。

 仏法は、宿業とは固定的なものはなく自分で転換できるという教え、又その方法を教えて
 いる宗教です。

 宿業の概念に対して、このような負の評価しかできなく、はては輪廻まで否定する考えも、
 研究所では、長年許されてきた事に対しては、驚きを禁じえません。

 それがずっと学会の伝統であり、少なくとも彼らが学会の教学にある程度の影響をずっと
 与えてきたのは明らかでしょう。
 彼らに一度聞いてみたいものです。

 そういえば、以前指摘したテヘラニアン教授と先生の対話にもそうした部分があったのを
 思い出します。

 そういう意味では、きっと私は、ずっとひとり相撲をしていたことになるのでしょうね。


  <九識について>

 九識の「識」は三世間の中の五陰世間の「識」です。

 個別の生命や集団の宿業の領域(八識)の更に奥深くにある九識は妙法の住所であり、

 この識を触発することによって、宿業転換が成し遂げられると説くのが大聖人の仏法では
 なかったのでしょうか。

 100歩譲って、九識と言う言葉を使わないでも「南無妙法蓮華経」と言えば説明できると
 いうのでしょうが、大聖人が使っている「九識」という言葉を、わざわざなぜ消したがるの
 でしょうか。

 妙法蓮華経は九識なり、十界は八識已下なり
   御義口伝 p714


 古徳のことばにも心地を九識にもち 修行をば六識にせよと をしへたまう
   上野殿後家尼御返事 p1506


 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と
 唱うる胸中の肉団におはしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足
 とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは
 天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり
   日女御前御返事(本尊相貌抄)p1244


 ちなみに教学入門の中でこの文を引用している箇所がありますが、ちょうど「是を九識心王
 真如の都とは申すなり、」の直前で切っています。

 宮田教授がブログで書かれているように、学会では御書を書きかえる作業が10年以上
 続いているようですが、こういうことでしょうか。
 

一人のSGIさん

 投稿者:大いなる希望  投稿日:2018年 2月16日(金)10時47分5秒
  初めまして 私は何年も閲覧組みだが、毎日ここの皆さんの投稿を読ませてもらっています
「教学に重きを置く私は異端者なような感じ」。。。螺髪氏をはじめ、大聖人の御書の一節や先生の指導を引用し、投稿されている人は他にも大勢います
SGIさんを異端者扱いや教学の投稿を批判されていたことは記憶にないけど。。。あったの?

それに宿坊の皆さんは「選挙の結果」にも深く関心を持っているし「警鐘や波紋」を投げかけていると思うよ
ミネルヴァの梟氏は鋭い観点で投稿されているので、毎日感服しながら読ませてもらっています
一方的に決めつけておられるみたいだが、読まれてないのかな?それとも「心から憂慮していないから責任がある」ように見えているのですか?

今の原田学会や与党公明に対して組織のなかでも声をあげ、また元職員が立ち上がりサイレントの人数も増え、数多くの報道を動かせるほどになっている
この宿坊の中でも参加者はおられるだろう
あなたの言葉をそのまま借りるけれど「諦めて長い物に巻かれ声をあげることや行動もやめてしまい弱い自分や煩悩と闘ってない」ように、外国から見えているのなら少し失敬に感じるね
「あまりにも無責任」というSGIさんだが、あなたが上げている「民主主義のレベルまで転回させる」「野党とのバランスのとれた力関係にさせる」には、どのように行動すれば良いと思われているのかを聞かせて下さい

そして「長年声をあげる会員を組織の言われるがままに排斥し、それを許してきた私たち会員の側にも原因があるのでしょう」
あなたは何も分かっていないね、査問や除名をされた経緯は長年声をあげたことにあり、処分された人も処分されていない人も異議の声をずっと投稿されている
「原因」をすべての会員に押しつけてはいけないと私は思いますね

大聖人の教学を考察することは素晴らしいし大事です しかしもっと大事なことは、それをどう行動に生かすか。。。先生が今まで指導されてきたのは、そこではないですか?
ご自分の持論を示され責任を問われる投稿をされるのであれば、自分は今どんな風に行動をされていることも同時に書いて欲しいですね
教学と照らし合わせ提示するだけは簡単です それをいかに行動で表すのかを宿坊の皆さんは、日々悩みながら投稿されていると私は感じていますが。。。
SGIさんが今されていることや、日本の会員たちが今している他に、どのように行動すれば良いのかがあれば教えてもらえませんか?お願いします


今日は有給消化のため時間があったので書かせてもらいましたが、初めて投稿した先日の文章は行間を空けすぎたりで書くのは難しいですね
宿坊の皆さんを尊敬します 今後は心して読ませていただきます

 

辺野古問題と仏法 6

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月16日(金)10時24分48秒
  創価学会は、そしてその傘下にある公明党は一体どうなってしまったのだろう。

その答えは教学の変遷をみれば明らかです。


数か月前に、2年前に発行された最新の学会教学の本「世界宗教の仏法を学ぶ 教学入門」を購入して読んでみました。

驚いた事に、私がみたところ、大聖人の仏法哲学の基礎であり、御本尊御図顕の礎となる「一念三千の法理」に含まれる理論の中から、かなりの部分が削除されて
います。

(但し、私が読み逃していたら指摘をお願いします)

詳しくは述べませんが、私には、学会の組織が会員の方達に知らせる事なく、大聖人の仏法を破壊しているとしか思えません。

私にはよく分かりませんが、もう二年にもなるのに、学会員の方々からの声がいろいろなブログ

を見てもほとんどないというのは、もともと教学の解釈というのは自由であるべきで、時代に

あわせて変えてもいいという考えの会員の方がほとんどという事なのでしょうか。


とりあえず、削除されている語句と、それに伴って削除された思想、又は、その思想を別ページ

で説明してはあるが、そう言っているその側からその思想の根拠となる「論」を削除している

悪質な自己矛盾(お得意の二面性ですが)である箇所を6つほどあげてみます。

それと、ある語句の表現の変化について、その意図を考えてみました。

 

本日は「日蓮大聖人(1222~1282)生誕の日」

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 2月16日(金)10時04分3秒
  日蓮大聖人(1222~1282)生誕の日

「寸鉄」でかろうじて触れているだけ。聖教は創価仏の条件付けばかり、大聖人を称える記事は

皆無・これが貴族仏教の栄光の姿、「思い込み」「信じ込み」「上書き」の宗教教団である。

ちなみに創価ネットの創価学会の概要・会憲では正統性を述べているわりには、現実は既に日蓮

大聖人を軽視している創価意識の愚考が溢れている。「体感・体験」なき「思考・概念」の教団

だからである。

概要より

創価学会は、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人(1222~1282)の仏法を信奉する団体です。

その目的は、仏法の実践を通して、一人一人が真の幸福境涯を確立するとともに、生命の尊厳を

説く仏法哲理を根本に、恒久平和、豊かな文化、人間性あふれる教育の創造を推進し、人類社会

の発展に寄与することにあります。

会憲より

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大

聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。

貴族仏教教団の「いいぐさ」である。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、セルビア大使館に表敬訪問されなかったんデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 2月16日(金)09時32分58秒
  おはようございます。原田怪鳥様、2面左下にちいちゃ~く、セルビアナショナルデーとのコトで、国際渉外部の方の訪問記事がありマスが、

原田怪鳥様は祝意を伝えに訪問されなかったんデスかぁ~(笑)

まあ、百の単位で「除名」されマスたからねぇ~、「大使、私(原田)は、仏法を基調とする平和運動を貴国で行っている人を百の単位で処分しました。」

なんて、セルビア大使の前で言えませんデスねぇ~(笑)

祝意を伝える前に、セルビア大使に陳謝するのがスジってもんじゃないデスかぁ~(大爆)


また、「池田先生と共に、新時代を進む(26)」にはイイことが書かれてマスねぇ~(笑)

>「この御本尊と大聖人と自分とが区別がないと信じ、感謝を込めて誓願の題目を唱えてごらん!<
(政教珍聞2月16日2面より抜粋)

でもねぇ~、原田怪鳥様、新教義では、一大秘法も六大秘法も使用しないというコトになってマスよねぇ~、

あたかも「人法一箇」を否定しているような今の教義では、いくら「信じ」ていても、教義の裏付けが無いわけデスのでぇ~、

単なる「独りよがり」とドコが違うのか? 愚鈍なる小生にもわかるように説明して頂けませんでしょうかぁ~(笑)

さらに、とってつけたような「友を励ます、私の挑戦」などと銘打った記事がありマスが、

ナニよりも原田怪鳥様の挑戦をお披露目頂けませんでしょうかぁ~(笑)

尚、「励まし」だの「訪問」だのが毎日のように紙面を賑やかしてマスが、拙宅には誰も訪問されてませんよぉ~(笑)

原田怪鳥様の一日も早い「訪問激励」を祈ってまぁ~す(大爆)


さて、「珍・人間革命」勝ち鬨も、『田原坂』にきたのデスが、『一献歌』が描かれないとしたら寂しい限りデスねぇ~(笑)

でもねぇ~、執筆チームの皆さ~ん、アナタ方が書かれているモノを読むより、宿板に御投稿頂いた『一献歌』のエピソードのほうが、

はるかに感動するのは、いったいナゼでしょうかぁ~(笑)

それはねぇ~、宿板に投稿された『一献歌』のエピソードが「ホンモノ」だからでぇ~す(笑)

執筆チームの皆さんも資料を基に書き進められているのでしょうから、すべて「ニセモノ」とまでは申しませんが、

上っ面ダケ書き進めても、感動は生みませんよぉ~(笑)

まあ、いよいよ「関西青年平和文化祭」に向かっていくのでしょうから、どうか「ホンモノ」のエピソードを交えていただいて、

感動を呼ぶモノに仕上げて頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

54年問題から学ぶ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 2月16日(金)09時31分9秒
編集済
  虹には、心から尊敬する人がいる。

その人は、どんなに迫害を受けても希望の対話をやめない。
処分を受けても、折伏をやめない方がいるのです。

今も目前の悩める友に、池田先生の心を伝え続けています。
何があろうと、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、池田先生を人生の師匠とした信仰を貫き、折伏を続けているのです。


最近思うのですが、54年当時から執行部と戦い続けてこられたのは、池田先生ではないでしょうか。
より丁寧に言うならば、執行部に潜む組織内の『権力の魔性』と戦い続けてこられたのが、池田先生です。

会長辞任後、池田先生は真っ先に現場会員を守りに走られた。
そのエピソードは、涙なしには語れない内容ばかりです。

54年当時の先生の戦いから学ぶならば、まず会員を守る中に、実は権力の魔性と戦い抜くカギがあるように思います。

故に、折伏もせず執行部を批判している方を見ると「何か違うな」と感じてしまいます。
なによりも、折伏していない方では、広宣流布を進める事はできませんね。

虹が個人的に思うのは、会員を守ることが主であり、そのために悪と戦うのです。

最優先に考えるのは会員(民衆)です。
会員を置き去りにしたら、それこそ天魔と同じ人間になってしまいます。

民衆との対話を続けるからこそ、民衆を味方にする事ができる。
折伏で苦労するからこそ、民衆の心をつかむ言葉を身に付ける事ができる。

その中に、天魔を打ち破るカギがあると思っています。

 

同志の歌様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 2月16日(金)08時51分49秒
  >自分は組織を外され内部からは、戦えませんが、外側から、元部員の人達に対話をし、外堀から池田先生の心を訴える事をしています。<

ご投稿を読まさせて頂きました。

素晴らしいですね、池田先生の心を伝える戦いに敬服いたします。
どうかお体を大切に頑張ってください。

合言葉は「今だ懲りず候う」です!
 

ヨッシー劇場『信濃藩家中見聞、いよいよ弐の巻へ』(再)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 2月16日(金)07時39分16秒
  信濃藩家中見聞、いよいよ弐の巻へ
  2016年11月29日

投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年11月29日(火)10時29分28秒   通報
ご好評いただいております「信濃藩家中見聞」も、無事、壱の巻(平成二十五癸巳ノ年)が終了いたしました。次はいよいよ弐の巻(平成二十六甲午ノ年)に入ります。
聞くところによりますと、事情をよく知る信濃町界隈の方々にも愛読されているとのこと。内々では「ご城代が」とか「勃樹が」とか呼ばれているようです。弐の巻も引き続き是非ご愛読ください。

弐の巻開始を前に、感謝を込めて「信濃藩家中見聞」の挿絵をお送りします。一服しましょう。

※これまでの投稿はこちらを。
壱の巻
其の壱  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60044
其の弐  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60103
其の参  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60470
其の四  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60472
其の五  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60473
其の六  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60474
其の七  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60407
其の八  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60468
其の九  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60534
其の十  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60585
其の十一 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60650
其の十二 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60732
 

ヨッシー劇場『信濃藩家中見聞 其の十二』(再)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 2月16日(金)07時37分2秒
  信濃藩家中見聞」 其の十二
  2016年11月29日

投稿者:ヨッシー 投稿日:2016年11月29日(火)01時14分38秒   通報
其の十二

勃樹「只今より、新本城落慶式典を執り行う。各々方、おもてを上げい。ご城代原田函館の守様よりお言葉を賜る」

城代「本城落慶の誠にめでたき今日この時、ご壮健なる殿の膝下にこのように参集いたし、、、、我が藩の繁栄と、、、、共々に、、、、、、、かくかくしかじか、、、」

家臣A「なあおい、この新しいお城だけどよ~、なんかショぼくねーか?」

家臣B「期待した割になー、なーんか冷めてーんだよなー」

家臣A「どう見ても殿のセンスじゃないよなー」

家臣B「皆行の守と由佳の局の愛の結晶だなんぞという奴がおるらしいぞ」

家臣A「ぷっ~、そいつは笑えねー冗談だぜ」

家臣B「しっー、壇上の皆行の守に見つかるぞ」

家臣A「平気だよ、あの御仁、最近は巣魔保とかいうカラクリ手帳に夢中で、こっちなんか見ちゃいねー」

家臣B「あの手でいじくってるやつか?」

家臣A「そうそう、なんでも“スキモンごー” とかいうオナゴの姿絵を集める遊びができるらしい」

家臣B「俺も欲しいなー」

家臣A「オヌシの給金ではとても手が届かぬわい」

家臣B「どうでもいいけど相変わらず話が長げーな、ご城代は」

城代「、、、、、、という事で、皆の者、心合わせて藩を厳護いたすように。以上である」

勃樹「ではここで、落慶を祝して皆で藩歌を高らかに唄おうぞ」

場内「オー!」

♪♪ 濁悪の~、この世ゆく~、、、、、、、、♪♪

  家臣C「おい、なんかよー、最近、藩歌が似合わねーと思わねーか?」

  家臣D「たしかにの~、なんとなく空々しい感じがするの~」

  家臣C「昔は歌うだけで気合が入ったのにな~」

  家臣D「最近は、なんでも“迎合!迎合!”が合言葉だからのう」

  家臣C「このところ、殿のお顔も見れぬし、何だか不安じゃのう」

♪♪ 草木もなーびーくー ♪♪

こうして、新城落慶の年は、とりあえず静かに暮れていったのである。

(壱の巻 おわり)

※これまでの投稿はこちらを。
壱の巻
其の壱  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60044
其の弐  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60103
其の参  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60470
其の四  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60472
其の五  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60473
其の六  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60474
其の七  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60407
其の八  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60468
其の九  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60534
其の十  http://6027.teacup.com/situation/bbs/60585
其の十一 http://6027.teacup.com/situation/bbs/60650
 

わが友に贈る 2018年2月16日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 2月16日(金)07時15分12秒
  広宣流布とは
仏と魔との戦いだ。
破折精神を忘れるな!
真実に勝る雄弁なし。
青年が言論戦の先頭に!
 

一献歌。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 2月16日(金)06時26分28秒
編集済
  今日の新人間革命。
田原坂はあっても、一献歌はなし。
残念です。
中央に近い方も話ていました。

一献歌は出さないよ。都合が悪いから。

ますます、先生の心が消えてしまいましたね。
 

第43回「SGIの日」記念提言 

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 2月16日(金)01時27分23秒
  第43回「SGIの日」記念提言

「人権の世紀へ民衆の大河」 * 下 * ・・・聖教新聞より

広島と長崎の被爆者の思い

私が創立した戸田記念国際平和研究所では、昨年11月、協調的安全保障をテーマにした国際会議をロ
ンドンで開催しました。

会議では、停滞が続く核軍縮を前に進めるための課題を検討するとともに、NPTと核兵器禁止条約の
二つの枠組みが補完し合う点について討議しました。

また来月には東京で国際会議を行い、日本や韓国、アメリカや中国から専門家が参加し、北朝鮮情勢
や北東アジアの平和と安全保障を巡って打開策を探ることになっています。

核軍縮の停滞に加え、核兵器の近代化が進み、拡散防止の面でも深刻な課題を抱える今、「NPTの基
盤強化」と「核兵器禁止条約による規範の明確化」という二つのアプローチの相乗効果で、核兵器に
よる惨劇を絶対に起こさせない軌道を敷くべきではないでしょうか。

その意味で、唯一の戦争被爆国である日本が、次回のNPT再検討会議に向けて核軍縮の機運を高め
る旗振り役になるとともに、ハイレベル会合を機に核依存国の先頭に立つ形で、核兵器禁止条約への
参加を検討する意思表明を行うことを強く望むものです。

先のパウエル氏の言葉に敷衍して言えば、"1945年8月の後、核兵器が使用されるかもしれない
事態が生じた時、それを容認する国に連なることができるのか"という道義的責任から目を背けるこ
とは、被爆国として決してできないはずだからです。

禁止条約の基底には、どの国も核攻撃の対象にしてはならず、どの国も核攻撃に踏み切らせてはなら
ないとの、広島と長崎の被爆者の切なる思いが脈打っています。
被爆者のサーロー節子さんも、「思い出したくない過去を語り続ける努力は、間違いでも無駄でもな
かった」(「中国新聞」2017年11月25日付)との感慨を述べていました。
 

桜の城 『師と共に』

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 2月16日(金)01時26分25秒
  桜の城 『師と共に』

庶民の和楽と栄光の四国

正義の歌声よ世界に轟け!

一九九九年三月五日
ある日、戸田先生は、弟子たちとの懇談で言われた。

「人生、四十代になってみないと、勝敗はわからないよ。
特に女性はそうだ。

いな、人生の最終章の時に、どのような状態であったかで、一生の幸、不幸が
決定される」
さらに、「正しき仏法は、総仕上げの時に勝利できる法である。

ゆえに、信仰は絶対に必要なのである」とは、牧口先生の言である。

その日、私は、関西から、空路、四国の徳島に入った。

一九八一年(昭和五十六年)の晩秋のことである。
空は晴れていたが、風は冷たかった。

学会もまた、厳しき烈風に囲まれていた。

毒蜘蛛のごとき、背信と忘恩の輩による学会破壊の謀略の網は、無数の会員を
締め付け、苦悩の闇に陥れた。

なかでも、四国は、陰険なる坊主が、邪悪な牙を剥き、衣の権威をカサに、
魂の圧殺ともいうべき、弾圧を繰り返していたのである。

私もまた、名誉会長に就任して二年半、わが同志のもとへ、まったく、自由に
動くこともできない状況が続いていた。

しかし!その大難のなかから、獅子は立った。

鉄の鎖を断ち切り、獅子は、激流に抗して極悪への反転攻勢の前進を、勇躍、
開始したのだ。

思えば、その前年(一九八〇年・昭和五十五年)、香川、高知、愛媛、徳島の四
県の千名の友が、私の待つ横浜の港、はるばると白亜の客船「さんふらわ7号」
で駆けつけてくださった。

当時、”学会丸"に襲いかかる荒波をものともせず、波濤を越えて・・・彼らは、
意気軒昂であった。

ああ、この尊き同志よ!

私は桟橋に出て、お1人おひとりに合掌し、抱きかかえる思いで迎えた。

広宣流布に励みゆく方々をば、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬う
が如くすべし」とは、「御義口伝」に仰せの「最上第一の相伝」(御書七八一頁)
である。

皆が帰途についた時には、神奈川文化会館の窓辺で、私たち夫婦は、船が見え
なくなるまで、懐中電灯を振って見送りもした…。

この勇敢なる弟子に、信じあえる同志に、私は、なんしても応えねばならな
いと涙にぬれた。

ここから、私の四国への御恩返しの訪問の決意は、一日一日、限りなく深まって
いった。


 

シディアス様へ

 投稿者:mission  投稿日:2018年 2月16日(金)00時22分25秒
編集済
  ありがとうございます。何度も投稿してすみません。

日本で起こった大震災なのに…それも未だ7年しか経っていない。
私は阪神淡路を経験してますが、23年経った今でも毎年 三宮の東遊園地等で追悼行事があり、震災後に生まれた人達も会う事が出来なかった親族に手を合わす姿があります。

東日本大震災は福島原発の事故も含めて、岩手*宮城*福島の3県を中心に、阪神淡路の2倍以上の人達が命を落とされていますし、生き残られた親族でさえ、あの大津波から命がらがら生き延びた人達なのです。

七回忌は昨年でしたが、命日だからこそ家族で偲びたい方達は、きっと大勢おられると思います。
家族全員が学会員でも「なぜ11日に?」と思われるのに、家族が未入信の青年部は辛いだろうと心配です。

3月11日に総会を開催しなかったとしても、私は執行部や最高幹部達が集まり「追悼勤行」をする事で終わりって所も色々思う事があります。

3.11の一日くらい会合を行わず、各地域や組織で「追悼勤行会」をする通達を出せないのか?
それが難しければ「3.11の○時から全国で、追善回向の同盟題目を30分しましょう」とか…365日の1日だけです。

お金も準備も掛からない お題目で『心』を寄り添うだけなのに。
時々 思います…創価学会って宗教なのか?って。


 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 2月15日(木)23時47分54秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
  
 

凛々しき後継の青年部に一切を託す

 投稿者:賢者の河  投稿日:2018年 2月15日(木)23時35分3秒
  私は今日の新人間革命を学び、たいへん大事な御指導だと思いました。「それは強い自分をつくる、そのための信心であり仏道修行である」というところです。人間革命のための学会活動であり、成仏のための仏道修行であるということ、主客を転倒しないことがたいせつだと思いました。私が繰り返しよんで、暗誦し感動した先生の詩
を一部掲載させていただきます。

青年には未来がある
青年には希望がある
そしてーーー
青年とは挑戦者だ
青年とは先駆者だ
青年とは建設者だ
いかなる国も団体も
未来の盛衰を決するのは
理想を抱き
元気溌溂と実現しゆく
青年である

青年であることは
それだけで
いかなる権力者にも勝る
無限の財宝を
もっていることなのである
いわんや諸君には妙法という
永遠の財宝がある
唯一無上の法とともに生きる人は
菩薩であり仏である
この大切な「青春」という宝を
最高に生かさなければ
あまりにもむなしい
燦然と輝かせていくべきである
そのための信心である
そのための仏道修行である
学会活動である

〈四季の励まし〉  未来を決するのは「青年 」
     2017年5月21日
 

外から

 投稿者:同志の歌  投稿日:2018年 2月15日(木)23時08分12秒
  虹様・mission様、横
からすいません。

自分は組織を外され内部からは、戦えませんが、外側から、元部員の人達に対話をし、外堀から池田先生の心を訴える事をしています。
身方は少なし、敵多しですが、今だ懲りず候うの精神で戦い抜きます。
中々、険しい戦いですが、忍耐強く祈り戦わせて戴きます。
お互い難儀な戦いですが貫き通して池田先生に御応えしましょう。
 

同盟題目、23時に開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 2月15日(木)22時54分39秒
  よろしくお願いします。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。
 

辺野古問題と仏法 5

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月15日(木)22時23分49秒
  そしてこれらの精神は当に「一念三千の法理」に網羅されている価値観なのです。

一念三千の法理から導かれる価値観をいくつか挙げてみます。

 1、九識論に見る八識と九識は、全ての生命は、生死を超えて継続する、、という理論

   十如是によって説明される一貫した生命の機能は、生命とはその独自性を保持したまま
   永遠に回転して継続する、という理論

    そこから引き出される価値観とは -

     「生命を長期的な視点で見ることにより、より普遍的な価値観に根差して生きる事
      ができる」


  2、十界論に見る生命境涯の差

    そこから引き出される価値観とは -

   「日常的な利益の追求を目的とする六道輪廻の低い境涯を超克し、

    利他の幸福を追求する境涯の確立を目的とする」



 3、十界互具に見る、全ての生命に無始無終に備わる「仏界」の生命、自己の「仏」の生命
   の存在。
   そこから引き出される価値観とは -

     「生命の尊厳と平等性を確信すること、全ての生命には全ての可能性が含まれて
      いること」

     「善」の生命を触発することにより、相互の安全保障が自然に確立される」



 4、十如是の「如是因、縁、果、報」に見る「因果の法則」「宿業の法則」

   九識論の八識に見る「個の業」「共有する共業」の存在

    そこから引き出される価値観とは -

     「よりよい未来を築くために、今何をどうすべきか、因果の法則を知り目先の利害
      に捉われない賢い決断をする」

     「集団で決断して蒔いた種は、集団で刈り取らなければいけないことを知る責任感」


 5、依正不二の論拠となる、十如是の「如是縁」や 三世間の「国土世間」

    そこから引き出される価値観とは -

     「私たちの低い環境問題意識こそが、私たちを育んでくれている自然を破壊し、
      最終的に自分たちに戻ってくるということを知る智慧」

     「自分たちの環境は自分たちの精神世界の反映であるということを知る智慧」


   「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり」

     上野殿御返事 p1578



 6、私たちは「一念三千の法則」という生命の法則に則って生きており、人生の操縦は
   私たちの手中にある。

    そこから引き出される価値観とは -

     「自分の一念を何に充てるか、、高尚な理想に向かって命を燃やしていく、
      そこには深い責任感に根差した高邁な精神が築かれ、誰にも崩されない充実した
      人生を送れる力強い生命力が築かれる」

  などです。



 

眼差し

 投稿者:dekahappy  投稿日:2018年 2月15日(木)22時14分1秒
編集済
  螺髪様
ありがとうございます。

精神的に追い詰められている、創価同窓の未来部からの友が見つけてくれた、菅原文太さんの2014年の沖縄知事選の応援スピーチを拝聴しておりました。

https://youtu.be/8PFTMiaHXAc

立てわけというと、拒絶反応があるかもしれませんね。

只、言葉ではなく(言葉も大切なのですが)、池田先生の眼差しを感じていきましょう!と言うことなんですが。

私も私の立場で頑張って参ります。
 

辺野古問題と仏法 4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月15日(木)22時00分51秒
  もとより大聖人の仏法は、宇宙に遍満する生命についてその存在の在り方の法則を説いた教えで

あり、しかもその法則は全ての生命に元々平等に備わっているものであります。


しかもその法則を知る「智慧」も、もともと全ての生命に平等に備わっていると説く教えです。

ですから、広義で言えば、又は「総別の二義」の総の見解ともいえる立場から見るなら、大聖人

の仏法では、全ての人が「仏法の修行者」になります。

しかし、その智慧の発動には当然個々の生命の宿業によって差があります。


ここからは、「別して」の見解になりますが、

ではその宿業の「機根」が熟してない人は、長い時間をかけて己心の仏の智慧を引き出す努力を

しないといけないのか。

そこに、大聖人が「一念三千の生命理論」を展開し、それを草木成仏の理論を応用して一幅の

曼陀羅「十界具足の御本尊」を顕された意義があります。


今、目の前で苦しんでいる人を一刻も早く救う道を確立されたのです。

簡単に言えば、禅宗の様に全くの自分の努力で長い時間をかけて「智慧」を拓く代わりに、

大聖人が既に「一念三千の生命理論」を教えています。それが生命の本当の姿です。

私達が手に入れたいその究極の生命境涯「仏の境涯」と「智慧」が顕された「御本尊」との

「境智冥合」を、御本尊を信じる心によって「以信代慧」の功徳が現れ、短期的にでも仏性が拓

かれると説きます。

あとはどれだけ長く、深く、その境涯を継続できるかが修行です。

そういう意味で、御本尊に題目を唱えることができ、深い生命哲学を学ぶ機会のある私たちは、

「別して」いえば恵まれた存在なのです。


しかし先ほども書いた様に、今の組織を見渡すと、残念な事に多くの一般世間の人権擁護活動家

の方達の方が大聖人の弟子というのにふさわしい行動をしている様に見えるのです。

彼ら彼女らの行動は、当に大聖人の精神そのものです。

それは具体的には次の理由によります。


 対話の力を信じ、広く、永い平和建設を打ち立てようとする不屈の信念がある

人間の善の力を信じ、非暴力で国家間の関係が築けると信じ続ける強さがある

「20年先、30年先、40年先を考えて辺野古新基地建設反対を訴えてきたのだが……」- 稲嶺市長
と言われる様に、目先の利益にとらわれない長期的な視野を持っている

巨大な規模で100年、200年という長期間に渡る軍事の拠点となることにより、その因が引き寄せる縁によって受ける報い(結果)のリスクを将来に見て憂える、透徹した智慧がある

子供や孫の代の時代までも視野に入る、生命継続の視点がある

政府がちらつかせてくる短期的な経済面での妥協や取引に惑わされない、長期的で人道的な経済の視点を持つ

依正不二を理解している環境保護の視点を持っている
(トラック3500000台分もの土砂をサンゴの園に投げ込む無謀さを許さない)

権力の横暴と戦い続ける力強い行動力がある

などです。



 

mission様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 2月15日(木)21時46分7秒
  >役職もない部員さん達から数えきれない程の事を学んでこれた私です。<

心の言葉をご投稿して頂きまして、誠にありがとうございます。
1つ1つの言葉に電車の中で「うん、うん」とうなずきながら、全文読まさせて頂きました。

言葉から現場会員の顔が見えました。
血の通った人の顔が見える。
喜びも、怒りも、
その息遣いまでも、そこにあるように感じました。


正しい事を、相手の心に届けるのは難しいですね。
虹も、いつも題目を上げながら悩み、言葉を選んで対話を続けています。

色々な想いが錯綜しますが、ただ一つだけ言える事がある。
自分は今、悔い無き人生を歩んでいることです。

私たちは師を中心に繋がっています。
これからも宜しくお願い致します。
 

辺野古問題と仏法 3

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2018年 2月15日(木)21時43分38秒
  それに比べて、今回の沖縄問題との比較で言えば、翁長知事、稲嶺市長など基地計画に反対する

人々、過去に遡れば太田昌秀元知事、瀬永亀次郎などの政治家などは、大聖人の名も知らない、

御書も御本尊も所持してはいないが、まさしく大聖人の精神を生きている、そして本人達が意識

しているかに関わらず、一念三千の理論を心に宿して行動していると言える偉大な人達だと思い

ます。


御書にはこうあります。


法華経に云く「皆実相と相違背せず」等云云、 天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」等云云、

智者とは世間の法より外に仏法を行ず、 世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり、

殷の代の濁りて民のわづらいしを 大公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきをやめ、

二世王が民の口ににがかりし張良出でて代ををさめ 民の口をあまくせし、此等は仏法已前なれ

ども教主釈尊の御使として民をたすけしなり、 外経の人人は・ しらざりしかども彼等の人人

の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。

    減劫御書(智慧亡国書)p1466



法華経法師功徳品第十九には「諸の法はみな実相と違背しない」等とあり、天台大師はこれを承

けて「すべて世間の政治・経済は、みな実相と違背しない」等と言っている。智者とは世間の法

以外において仏法を行ずることはない。

世間の治世の法を十分に心えているのを智者とはいうのである。殷の世が濁乱して民衆が苦しん

でいた時に大公望が世に出て殷の紂王の頚を切って民の嘆きを止め、二世王が民衆の生活を苦し

めたときには、張良が出て世の中を治め、民の生活を豊かにした。

これらは、仏法以前であるけれども教主釈尊の御使いとして民衆を助けたのである。外道の経書

を持った人々は意識しなかったけれども、それらの人々の智慧は実際には仏法の智慧を含みもっ

ていたのである。


講義

日蓮大聖人は、白米一俵御書のなかでも「まことの・みちは世間の事法にて候(中略)やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候」(1597-04)と仰せである。

生活上の事象と仏法とは一体不二であるから、世間の法がそのまま仏法の全体となるのである。

故に、仏法の真実の相は、生活現象の真っただ中に顕れるのであり、また、逆にいうと、人々が

何を求め、どうすれば幸せになれるかを弁えていくことは、それ自体が仏法を知っていることに

なるのである。

その例として大聖人は中国周王朝草創の功臣・太公望と同漢王朝草創の功労者・頂良を挙げれ、

人々の心を知り、苦しみを取り除いて幸福と平和をもたらした彼らは、仏法者ではなかったけれ

ども、仏法の智慧を内心にさしはさんでいたのであると言われている。

このように、大聖人は、一方では仏教僧たる諸宗の僧を、彼らが仏法の精神に背き、これを破壊

しているゆえに「外道」なりとして厳しく責められながら、仏教者ではない太公望や張良を、

仏法の精神に叶っているゆえに「仏法の智慧をさしはさみたり」として高く評価されている。

ここに、外面的な形にとらわれず、あくまで根本の精神、本質を見つめられた大聖人の鋭さと

思考の幅広さ、精神の柔軟性を――当然といえば当然であるが――拝察することができるのであ

る。

http://www.geocities.co.jp/inae_sokagakkai/k33/newpage1.html#0044



以上転載終わり



 

/1472