ベルを鳴らしてからエサを与え続け、ベルを鳴らしただけでヨダレを垂らすようになったパブロフの犬のように、そのシーン、1枚の画像を見ただけで涙腺がバグったように涙が出る映画やドラマ、アニメがいくつかある。
例えば、映画『容疑者Xの献身』の石神と花岡家のささやかな回想シーン、映画『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』のひろしの回想シーン、あとそれこそ映画『美少女戦士セーラームーンR』のセーラー戦士のうさぎに対するそれぞれの回想シーン…と、基本いわゆる『回想シーン』ってヤツに弱いんですが、26分30秒の上映時間オールエンドレスで涙ダダ漏れの映画、
それが『ドラえもん おばあちゃんの思い出』です。
普段は「鬼の目」と呼ばれ涙を流さない俺ですが、この1枚でもう泣いてる。だめだこれ。俺の家には「のび太のばあちゃんで出た涙拭く専用タオル」があります。
開いてんだか開いてないんだかわからない目がニパッとまん丸く見開くだけで泣く。愛おしすぎる。高村章子さんの声といい、腰の曲がり角度といい、歩く速度といい、全てが涙腺スイッチ・のび太のおばあちゃん。冒頭で「回想シーンに弱い」と書きましたが、『おばあちゃんの思い出』は言ってみれば『オール回想シーン』。のび太のばあちゃんは「回想が服着て歩いてる」みたいなもんだ。
『おばあちゃんの思い出』は、のび太の母・玉子がのび太が子供のころ愛用していたくまのぬいぐるみを捨ててしまおうとするところから始まり、亡くなったおばあちゃんを一目見たいと、のび太とドラえもんがタイムマシンで会いに行く、という話なんですが子どもの頃に見たときと今では感じ方がまるで変わる。「タイムマシンで過去に戻る」からこそ「時は決して留まることなく流れる」ということの本当の意味がわかる。
後半、ばあちゃんがのび太(このときは、まだのび太だと気づいていない)を部屋に招き、
「いつまでもあの子のそばにいて世話をしてあげたいけど、アタシも年だから…せめて小学校へ行くまで生きられればいいんだけどねぇ…ランドセル背負って学校へ行く姿…ひと目見たいねぇ…」
と話すシーンがあるのだが『過去に戻って死んだ人にもう一度会う』ということ、それは暗にその人に「未来の自分の姿を見せることができない」のを告げてしまうことにもなる。だから、のび太がランドセルを背負ってばあちゃんに
「ぼくのび太です。小学5年生ののび太です」
と言ってしまうのは、ある意味でとても残酷な言葉なのだけど、ばあちゃんはのび太のその言葉に対して1ミリも疑ったり驚いた顔をせず、
「やっぱりそうかい…なんとなく、そんな気がしていましたよ…」
「おばあちゃんに会いたくって会いたくってぼく来たんだよ…でも小さいころの僕はワガママばっかり言ってた…ごめんおばあちゃん」
と微笑み、のび太を抱きしめる。
そして、
「いいんだよのびちゃん、悪いのはおばあちゃんのほうなんだよ…のびちゃんの喜ぶ顔が見たくてねぇ、ついつい構いすぎちゃうんだねぇ…だからのびちゃんに、あっち行けって言われちゃう…でもねぇ、あんたの喜ぶ顔を見るとおばあちゃん嬉しくて嬉しくて…のびちゃんのおばあちゃんで良かったって思うんだよ…あなたのおばあちゃんで良かったってねぇ…」
と涙。のび太に「愛情」だけを伝える。全部わかったうえでばあちゃんはのび太を抱きしめる。ランドセル姿ののび太を見ることはもう叶わない。それでも、だからこそ自分に会いに来てくれたのび太がかわいくてかわいくてしょうがないんだ。愛しかねぇんだ。世界には愛しかねぇ。
…ばあちゃんだけじゃなく、こっそりランドセルを用意するドラえもんも、小さいのび太を慰めるしずかも、くまのぬいぐるみを取り返そうとするジャイアンとスネ夫も、ボロボロのくまのぬいぐるみを縫い直す玉子も全てが優しく、温かい。その温かさで俺は溶けてなくなる。
そしてラストの、
「おばあちゃんは大きくなったらなんになりたいの?」
「おばあちゃんはもうなりたいものになっちゃったからねぇ…」
「え!?なんになったの?ねぇねぇ?」
「のびちゃんのおばあちゃんに…」
は俺も人生で絶対言いたいセリフの一つになった。
上司「…お前もう入社して4年目だろ?もっとしっかりしろよ!お前は会社でどうなっていきたいんだ!?」
俺「いや…もうなりたいものになっちゃってますからね…」
上司「えっ?」
俺「長谷川部長の部下に…」
上司「お…お前……」
愛。
のび太の結婚前夜/おばあちゃんの思い出新装完全版―映画ドラえもん (てんとう虫コミックスアニメ版 映画ドラえもん Vol.)
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