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【芸能・社会】

欽ちゃん「真屋順子さんは銅メダリスト」 「欽どこ」ファミリーがお別れの会

2018年2月16日 紙面から

真屋順子さんの遺影を手にする萩本欽一(七森祐也撮影)

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 昨年12月28日に全身衰弱のため75歳で亡くなった女優真屋順子さんのお別れ会が15日、東京都内で行われ、真屋さんが約10年間レギュラー出演したテレビ朝日系バラエティー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」で共演した萩本欽一(76)、前川清(69)、細川たかし(67)、関根勤(64)、小堺一機(62)ら番組出演者・スタッフ29人が参列した。

 会場中央の祭壇には2009年に息子の高津健一郎さん(55)が撮影した真屋さんの遺影。元気だったころの真屋さんの笑顔の写真に誘われるように、参列者も懐かしい笑顔の思い出を次々と明かした。

 真屋さんと夫婦役を演じた萩本は「番組の成功は順子さんの笑顔でした」と感謝。「僕はお客さんの前で笑うなという修業をしてきた。順子さんも舞台で笑っちゃいけないという伝統ある女優だったので、本当にこらえきれなくなった時に笑う。ステキな笑いでした」と振り返った。

 関根は「ネタがものすごくウケなかった時、真屋さんがニコッとして『私は面白かったわよ』と。心の痛みがスーッと引いた」と回想。小堺もリハと本番で違う展開に緊張していた時、真屋さんから笑顔で「大丈夫よ」と励まされた思い出を披露。3姉妹の「わらべ」として娘を演じた倉沢淳美(50)は「いつも普通のお母さんのように『勉強してる?』『寝てる?』と。お母さんでした」としのび、横にいた高橋真美(50)は号泣した。

 見栄晴(51)は昨年10月に萩本と一緒に真屋さんの病室を訪問。真屋さんは結婚や出産の報告をしなかった見栄晴のことを気にかけていたそうで、見栄晴は「真屋さんから『大将(萩本)は残って。見栄晴は帰っていい』と言われた。まだ怒ってるのかな?」と苦笑い。萩本は「順子さんは後半ギャグが言えるようになった」とフォロー。最後に会った時は「ほとんどしゃべらなかったが、小さな声で『ありがとう』と言われた」と明かした。

真屋順子さんの「お別れの会」に出席した(前列左から)若原瞳、西澤祐一郎、見栄晴、萩本欽一、高津健一郎さん、倉沢淳美、高橋真美、(後列左から)関根勤、叶和貴子、前川清、細川たかし、鳥居かほり、小堺一機

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 萩本は「欽どこ」に真屋さんを起用した理由について「化粧してないブロマイド写真を見てステキだと思った。大奥でお姫さまをいじめているような役をしていると聞いて、女優で一番嫌な役を引き受けているのもステキだと思った」と説明。後に真屋さんに写真の話をしたら「失礼ね。あれでも化粧しているのよ」と言われたという。

 坂上二郎さんとの「コント55号」など数々の名コンビを組んだ萩本は、報道陣から真屋さんとのコンビについて順位を問われると「二郎さんは譲れない。(コント54号を結成した)前川清さんも譲れない。申し訳ないけど銅メダル。でもメダリストです」と真屋さんの功績をたたえた。

◆息子・高津さん「もう一度リアルにやりたいと」

 高津さんは晩年の真屋さんが「年を重ねた出演者でもう一度『欽どこ』をリアルにやることを望んでいた」と番組に深い思い入れがあったことを明かした。

 真屋さんは「欽どこ」出演者やスタッフが関わる番組を欠かさずチェックして「私も一生懸命生きなければ」と闘病生活の励みにしていたという。「欽どこ」DVDが発売されると「自宅でほぼ流しっぱなしにして、セリフが覚えられるくらいだった。(慣れないバラエティー番組に)最初は胃炎になるぐらい苦労して『このときはこうだったのよ』と話していた」と回想した。

<主な出席者> 萩本欽一、細川たかし、前川清、関根勤、小堺一機、叶和貴子、鳥居かほり、若原瞳、見栄晴、倉沢淳美、高橋真美、西澤祐一郎 =順不同

 

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