神は言った。
「天の下の水よ、一つ所に集まれ。
乾いた地よ現れよ」
神はその乾いた地を陸と名づけ、
水の集まった所を海と名付けた。
神は「地に、青草と、種をもつ草と、種類に従って実を結ぶ果樹よ生え」
地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって実を結ぶ木とを生やした。
夕となり、また朝となった。
三日目である。
神は言った。
「天の大空に光があって昼と夜とを分け、
印のため季節のため日のため年のためになり、
天の大空にあって地を照らす光となれ」
神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、
小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造った。
神はこれらを天の大空に置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、
光と闇とを分けた。
夕となり、また朝となった。
四日目である。
神は言った。
「水は生き物の群れで満ち、
鳥は天の大空を飛べ」
神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造した。
神は見て良しとすると、それらを祝福して言った。
「生めよ、増えよ、海たる水に満ちよ、鳥は地に増えよ」
夕となり、また朝となった。
五日目である。
神は言った。
「地は生き物を種類に従って出せ。
家畜と這うものと地の獣とを
種類にごとに出せ」
神は地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、また地に這うすべての物を種類ごとに造った。
神は見て、良しとされた。
神は言った。
「我々の形に象(かたど)って人を造り、
これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、
地のすべての獣と、
地のすべての這うものとを治めさせよう」
神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち神の形に創造し、男と女とを創造した。
神は彼らを祝福して言った。
「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従わせよ。
そして海の魚と、空の鳥と、
地に動くすべての生き物とを治めよ」。
神は言った。
「我は全地表の種をもつすべての草と、
種のある実を結ぶすべての木とを
お前たちに与えよう。
それはお前たちの食べ物となるであろう。
地のすべての獣、空のすべての鳥、
地を這うすべてのもの、
すなわち命あるものには、
食物としてすべての青草を与えよう」
夕となり、また朝となった。
六日目である。
こうして天と地と万象が完成した。
神は七日目に作業を終えて休まれた。
神は七日目を祝福して、これを聖別した。
これが天地創造の由来である。
****
このあと、造られた男女のヒトから、アダムとイブが生(な)っていくわけですが、そのあたりの展開は皆様それぞれにお調べいただくとして、実に興味深いのは、ここまでの記述が、古事記とたいへんよく似ていると思われることです。
ためしに第一日から三日目までを次のように読んでみたらどうでしょう。
「はじめに地は形なく、むなしく、
闇が淵の表にあり、
神霊が水の表をおおっていた。
そこに光の神があらわれ、
次いで闇の神があらわれた。
次に青空に天の神が生られた。
次に陸の神と海の神が生られた。
陸には、青草の神、種をもつ草の神、
種類に従って実を結ぶ果樹の神が生られた。」
するとなんと、記紀の記述にたいへんよく似てくることに気付かされます。
つまり旧約聖書では、
「唯一絶対神が森羅万象を創造し、人を造った」
と記述しているのに対し、
記紀は、むしろ旧約聖書で神が行った個々の事象に感謝して、それぞれをまた神と名付けているかのようです。
実は、ここに日本的多神教の寛容性・受容性の根源があるように思います。
ただ単に、唯一絶対の存在に畏怖するのではなく、その偉大な存在がもしあるとするならば、その偉大な存在がなしたあらゆる事柄にも、感謝を捧げ、それをありがたいこととして受け入れる。
それが日本文化の寛容性や受容性の元となっているように思うのです。
日本をいわゆる多神教国として分類する方がおいでになりますが、日本的多神教は、ただ花の精や、木の精がいるといった妖精信仰とは異なります。
その根幹に、感謝の心があります。
そしてその感謝の心は、まさに、神語によって裏付けられているわけです。
たとえば古事記に、黄泉の国から帰られたイザナキ大神が祓(はら)い、禊(みそぎ)をして神々をお生みになるシーンがあります。
ここではその禊から、次の12神がお生まれになっています。
衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)。
道之長乳歯神(みちのながちちはのかみ)。
時量師神(ときはかしのかみ)
和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)
道俣神(みちまたのかみ)
飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
奧疎神(おきざかるのかみ)
奧津那芸佐毘古神(おきつなぎさひこのかみ)
奧津甲斐弁羅神(おきつかひえらのかみ)
辺疎神(へざかるのかみ)
辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)
辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)
もちろん、お一柱ごとの神様が、とても貴重で大切な神様とされるのですが、そこに書かれた漢字の意味から、この神々のお名前を読むと、次のようになります。
衝立船戸 邪悪なものの侵入を防ぐ
道之長乳歯 長い道のり
時量師 時間がかかる
和豆良比能宇斯能 主がわずらう(難儀する)
道俣 道の分岐点
飽咋之宇斯能 主が口を開けてのんびりする
奧疎 奥に遠ざかる
奧津那芸佐毘古 奥の沖から渚
奧津甲斐弁羅 奥がの沖が水辺と交わる
辺疎 海辺から離れた場所
辺津那芸佐毘古 海辺の波打ち際
辺津甲斐弁羅 海と渚が交わる場所
神々のお名前は、漢字で書かれることによって、その漢字の成り立ちから、その御神名が示す意味を知ることができます。
詳細は省きますが、それぞれの神様の御神名を順番に意訳し、それをつなげて文章にすると、次の内容がうかびあがります。
「ようやく穢らわしくて醜い国から帰られたイザナキ大神が
やっと安心できる場所にたどり着いて、
邪悪な者たちの侵入を防ぐための衝立としてお祓いをした。
そこにたどり着くまでは
本当に長い道のりで、
到着までに長い日月がかかった
それだけイザナキ大神は難儀した。
やっとその国との分岐点に着いて、
イザナキ大神はあくびをしてくつろぎ、
穢れた国は沖へと遠ざかった。
波の荒い海峡から、やっと静かな渚にたどり着いた。
そこは沖と水辺が交わる場所。
海浜からもすこし離れた場所。
波打ち際で、
海と渚が交わる場所であった。」
古事記が神々の御神名をずらずらと並べて書いているところは、研究者の間においても、どうしても敬遠されがちですし、せいぜい「ただ神々がお生まれになった」とのみ解されるところです。
しかし、神々のお名前に「意味がない」と切り捨ててしまうことの方が、考えてみると先輩諸氏に対して、はるかに不遜な態度といえます。
すくなくとも、古事記にせよ日本書紀にせよ、書いたのはあくまで人です。
そして人が書いたものであれば、そこには必ず書いた目的があります。
しかも古事記は、その序文において、天武天皇の詔に基づき、国家の典教として書いたということが書かれています。
国家の典教ということは、古事記は、日本国家の教典とするために書いたということです。
従ってそこに書かれていることは、いわゆる神々の物語として書かれたのではなく、どこまでも国家形成にあたって必要な知恵として書いたものであるということができます。
そうであるならば、くさかんむりの「菟」をウサギと読んだり、わざわざ高志の八俣遠呂智と書いてあるものを、頭が八つある蛇と読んだりすることは、もちろん子供向け神話としては正しい読み方といえますが、それだけしか読まないのでは、あまりにもったいないといえます。
なぜなら、古事記は、国家の教典として、そこに意味を見出しているから書いているといえるからです。
また、そうであれば、神々のお名前が連なっているところにしても、必ず何らかの意図と意味があって書かれていると考えなければならないし、そのように考えて読み解くと古事記は(日本書紀もそうですが)、偉大な神が行われたひとつひとつの所業を、すべてありがたいこととして感謝の心をこめて、その一挙手一投足を神と名付けていることに気付かされます。
そして、国家の原点に感謝を置いた日本という国が、とてつもなく愛(いと)しく思えてきます。
そして古代において、そのような姿勢を国家の根幹に据えてきたからこそ、日本の文化は、世界中のあらゆる宗教への寛容となっていることは、あらためて注目に値することであると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

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