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前文部科学事務次官・前川喜平が「道徳」教科化に警鐘──「国体思想的な考え方は子供たちを“分断”させかねない」

[2018年02月15日]

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「教育はそれを必要とするひとりひとりの『個人』のためにある」と考える前川喜平氏。だが、文科省の官僚や政治家の中にはそこを勘違いしている人も多いという

「加計学園問題」で一躍、時の人となり、昨年11月に『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書)を上梓した前文部科学事務次官の前川喜平氏にロングインタビュー!

前編記事(「教育無償化」が単なるバラ撒きにならないために必要なこと)に続き、後編では教育に持ち込まれている「国家主義」「新自由主義」の弊害、そして今年から教科化される「道徳」教育の危惧すべき中身を語る──。

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─教育無償化など、教育行政の問題が議論になるたびに考えさせられるのは、国や自治体が支える「公教育」はそもそも誰のために、何のためにあるのか…という素朴な疑問です。長年、文科省で教育行政に携わってきた前川さんはどうお考えですか?

前川 基本的に教育はそれを必要とするひとりひとりの「個人」のためにあると私は考えています。そして教育はカネやモノではなく「人間の心」を扱う。その本質は「現場」にしかないし、それを実践している主体は学校の先生たちです。

しかし、文科省の官僚や政治家の中には「教育はこうあるべきだ」と考えて、それを現場にやらせるのが自分の仕事だと勘違いしている人も多い。今は特に、それなりの権力や影響力を持った政治家が教育の中身に介入して、ある意味「国家主義的」な観念を植え付けようという動きが強まっている。これは非常に警戒すべきことです。

―特にここ数年、前川さんが指摘された「国家主義的」な、例えば子供たちに「愛国心」を強要するような教育や、経済の世界と同じように教育にも「自由な競争」「民営化」を進めるべきという「新自由主義的」な考え方を持ち込もうという動きも強いように感じます。

前川 ただ、それは最近に始まった話ではなく、おそらく中曽根内閣の頃からそうした国家主義的な方向性と新自由主義的な方向性が大きくなってきていると思います。それが小泉内閣、安倍内閣と時代を経るに従って、あからさまになってきたということでしょう。

新自由主義的な部分でいうと、最近は自民党よりも、むしろ維新のほうが強いかもしれませんね。つまり「教育も経済と同じように市場原理に任せればいい。競争原理に任せれば、結果的にいい教育が残るはずだ…」という単純な信念を教育に持ち込んでしまうという。

―それって、例えば全国統一テストの点を公開して、学校間、地域間で競わせれば、お互いが切磋琢磨して結果的に教育レベルが上がる…みたいな発想ですよね。

前川 しかし、教育は「人間」を相手にするものですから、商品のように単純な尺度では測れない。市場で買われる教育が「いい教育」だということになれば、例えば「中学受験に強い小学校」というニーズに合わせて、国語・算数・理科・社会だけに集中して、体育や音楽の授業はやらないほうがいいということになってしまいます。

そういったビジネス的な学校経営という発想から生まれたものに「勉強しなくても卒業できる高校」というものがあります。授業料を納めれば高校卒業資格をもらえるわけですから、これはニーズが大きい。そこでは低コストで、もはや教育とは呼べないくらいの極めて質の低い高校教育が行なわれています。

―高校卒業証書販売ビジネスですね。

前川 「株式会社立学校」は小泉政権の時、「構造改革特区」で導入されたのですが、その弊害が明らかに表れています。

その最たる例が一時期、メディアでも話題になった三重県のウィッツ青山学園でした。ここは通信制高校ですから、規定された日数のスクーリング(教室で教員と直接対面して行なう授業)が必要なのですが、ユニバーサル・スタジオへの旅行でスクーリングをしたことにしたり、学習の実態がない「幽霊生徒」を名前だけ入学させて県からの就学支援金を騙し取ったり…と本当にひどいもので、2016年度限りで廃校しました。


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