【長谷川豊】マツコさんの意見は半分、あってるんじゃないか?先日、「5時に夢中」の中でコラムニストのマツコ・デラックスさんが、マネージャーの運転する車で速度違反にあった時のエピソードを話しました。
要点をまとめると
「下り坂で速度が出そうなところで隠れて見張ってた」
「ほかの車もバンバン速度違反してるのに、私たちだけ捕まった」
「卑怯なことするぞ、愛宕警察は!」
まぁ、おなじみの面白コメントで別にマツコさんは他意はなかったはずですが、それに対して、現役愛宕警察署の方がサイゾーの取材に対して匿名でコメントを出していました。

●マツコ・デラックスの“警察批判”で愛宕署に苦情電話殺到!? 現役警察官が真っ向反論へ(http://exci.to/1LjBXDr)

警察官の反論は、お馴染みのやつです。
「ほかの車が速度違反しているからと言ってマツコさんのマネージャーの車が速度違反していい理屈にはならない」
「警察の取り締まりが一目瞭然だと、交通違反現象のきっかけにならない」
など。

私は、二つ目は理解できると思っています。陰でやらないと、抑止力にならないことは理解できます。しかし、この文中の現役警察官も言っていた通りで、そもそも警察の速度取り締まりは、過去に警視庁が国家公安委員長から『国民から“ズルい”と言われないような取り締まりを』と苦言を呈されたこともあるくらいで、はっきり言って国民から総スカンを食らっている部分は否めないのが現実のところなのです。その理由が上記したうちの一つ目の反論にあるのではないでしょうか?

マツコさんは「私たちだけじゃない」と主張しているのですが、それは「私たちを許せ」と言っているのではなく、「法の下に公平性を保て」という当然のことを言っているに過ぎないのです。
それに対して、手抜き取り締まりをしているにもかかわらず「ほかの車が速度違反をしていたらマツコさんの車がしていい理論にならない」というきり返しは、実はただの「論のすり替え」にすぎず、マツコさんの指摘している「法の下の平等を軽視しているのではないか?」というに指摘に対する返答にはなっていないのです。

速度違反を取り締まることは大切なことですが、それと同じかそれ以上に、法治国家日本においては「法の下の平等」はとても大切なものであり、それが崩れると「行政不信」や「警察不信」など、様々な社会への悪影響を引き起こすのです。その指摘に対して現役の警察官が見苦しい論のすり替えをしたり反論をしているのはどうなのでしょう……。

もちろん、多くの現役警察官が真面目に、日本のために働いてくれています。それを忘れてはいけませんが、ちょっとどうなのかなぁ……と感じました。

長谷川豊(Hasegawa Yutaka)