ステファニー・ケルトン「赤字をどう考えるかが違っている」 by ステファニー・ケルトン(OCT. 5, 2017)

ニューヨークタイムスの ”How We Think About the Deficit Is Mostly Wrong”
(ttps://www.nytimes.com/2017/10/05/opinion/deficit-tax-cuts-trump.html)



九ページにまとめられた「フレームワーク」を掲げ、トランプ大統領と議会共和党は、政策アジェンダを勝利に結びつるべく減税を目指しています。 トランプ氏は「わが国の歴史の中で最大の減税」を提供すると約束していました。

対してワシントンでは珍しく超党派的な意見の一致が見られます – 右派からも、左派からも、この計画が赤字を増やす可能性があるという心配の声が上がっています。 民主党のチャールズ・シュメル上院議員(ニューヨーク州)は、この計画が赤字を5兆〜7兆ドルも深刻化させると警告しました。 共和党のボブ・コーカー氏(テネシー州)は、「1ペニーでも赤字が増やすと思われるようなら、法案に投票するつもりはない」と述べました。

果たしてこの減税提案は、裕福な人々への大きな贈り物でしょうか? それは確実です。ではこの減税は、宣伝されている通りに好況を呼び起こし、広く恩恵を人々にもたらすでしょうか? 私はそうは思いません。トランプ氏の計画は、今でさえ危険なまでのに広がっている富や所得の格差をさらに拡大させするものです。減税の恩恵のほとんどはトップ富裕層に行ってしまい、消費者全体の支出や雇用全体の改善にはほとんど影響しないものだからです。

この計画に反対する理由なら、これだけでもう十分です。しかし単純に減税に反対するのは、またこの件に限らず、単に赤字を増やすからと言う理由で国の法案に反対するのは賢明ではありません。

なぜでしょう? 国の財政は赤字が増えても壊滅などしないからです。しかし残念なことにワシントンでは財政効果が太陽で、あらゆることがその周りをまわっています。私たちは、一兆ドルを、史上最大の減税ではなく、ぼろぼろのインフラに対してやメディケア・フォー・オール法案に使うべきなのではないでしょうか。

このような提案すると誰もが口にする言葉があります。「どうやってそれを支払うのですか?」理由は簡単です。議員たちは、赤字の増加を避けることに頭を占領されてます。

まるでパブロフの犬です。これがいつも私たちを押し戻すのです。どちらの党の政治家たちも、財政政策の指針として赤字の額を使うのは止めるべきです。 そんなことより、生活水準を高め、長期的な繁栄に不可欠である教育・技術・インフラへの公共投資を目的とした法律を作っていくべきなのです。

ところが今、挑戦的なことは何であれ議会予算局(CBO)に採点されます。 良い法案であっても「悪い」スコア(つまり財政赤字が増えるとみられるもの)が出るとすぐに廃案にさせられます。 議員たちは「帳尻が合わない」と説得されてしまうからです。これが問題です。

実際のところ、帳尻は常に合います。このことは政府のバランスシートよりも広い視野で見なければわかりません。こう考えてください。政府の支出が経済に新たなお金を足し、その一部が税によって取り除かれます。 プラスとマイナスが絶えず起こります。そして彼らのマイナスが私たちのプラスです。

政府の支出が税金よりも多い時、政府の帳簿に「赤字」が記帳されます。しかしそれは話の半分です。 残り半分の話は、簡単な複式簿記の原理によって浮かび上がってきます。 たとえば政府が経済に100ドルを支出し、税金で90ドルを徴収し、誰かのところに10ドルが残っているとします。 この増えた10ドルは誰かの帳簿に黒字として記帳されます。 つまり政府の赤字10ドルは、経済の他の部分の誰かの黒字10ドルと常に一致します。 ミスマッチはありません。 バランスシートはバランスしていなければいけません。 政府の財政赤字とは、経済における「政府以外の黒字」の写し鏡なのです。

問題は政策立案者がいつも片目だけ閉じていることです。彼らは財政赤字だけ見ていますが、対応するもう半分の黒字を見落としています。 多くの米国人もそれを見逃しているので、政府予算のバランスを取る努力に拍車がかかります。それが民間部門の黒字消滅を意味しているにもかかわらずです。

誤解が広まりすぎているため、米国人は、ナショナリストたちが国債が外国に買われる危険性を煽ろうとする恐怖戦術にすぐ引っかかります。中国(でもそれ以外の国でも)が米国の財政赤字のための支払いを拒絶することを心配する理由など、ぜんぜんないというのが本当です。経済の中にお金を送り込むこと自体が国債の対価なので、政府支出とは自己ファイナンスと考えるべきなのが事実です。

赤字ができて、その新しいお金の一部が国債と交換できるということです。公的議論でいつも欠落しているのが、国債を購入するためのお金は赤字支出自体から来ているという事実です。

政府が国債に金利を払っている事実は見逃してもらえません。議員たちは、財政に占める金利とは、ちょうど家計の中でどんどん膨れ上がっていくケーブルビル(訳注:ケーブルテレビやネット回線などの費用。悩む家庭が増えているそうです)のようなものという考えに囚われています。それは違います。家計と違い、政府は財政の帳尻を合わせるために他の費用を削る必要がありません。議会はいつでも自由自在に財政出動の余地を創り出すことができるのです。教育・インフラ・防衛などにもっと多くのリソースを投入するためにです。それは純政治的な意思決定です。

もちろんできることには現実の限界があります。労働力・機械・コンクリート・鉄鋼がなければ、大規模なインフラ投資を約束することはできません。支出が過多になるとインフレという問題が発生します。私たち人々や工場、原材料を効率的に使用するように財政を調整していくのがポイントです。

ところが「債務」と「赤字」という言葉が政治的な目的のために武器になっているキャピトルヒルにおいては、上のような話が認識すらされません。この二つの単語は、困っている地域社会への資源の投入を拒否したり、当たり前の計画への需要を減らそうとする政治家の格好のボディアーマー(訳注:防弾チョッキのすごいやつ)です。

人を騙すために財政赤字を使う「芸」にかけて、下院議長のポール・ライアンよりも熟練している人はいないでしょう。彼は予算見通しを「財政の脱線」と言い表したり、将来の世代が「債務負担に押しつぶされる」ことから守るのだ、などと言って、社会保障やメディケアなどのプログラムの予算削減を主張します。彼は選挙の洗礼を受けた、扇動的な言葉を選びます。「急いで収支を均衡させなければ」という雰囲気を創り出すのが目的です。この雰囲気により私たちは、国の支出の「帳尻が合わなければ」と言われることになっているのです。

合理的な世界になれば、議員たちは、今のような単純なCBO式の採点モデルなど捨て去り、過多な支出によるリスクとは破産ではなくインフレーションだと認識するでしょう。債務シーリングをめぐる実りのない論争など存在せず、債務とは。それ自体が不平等や貧困や経済停滞と戦う武器として配備されるものなのだと理解されるでしょう。


ステファニー・ケルトン、上院予算委員会民主党の元チーフエコノミストので、ストーニーブルック大学の公共政策と経済学の教授。