1. トップ
  2. コラム
  3. コラム詳細

平野歩夢 単独インタビュー
銀メダルを取ったいま、伝えたい気持ち

スポーツナビ
銀メダル獲得から一夜明け、平野は落ち着いた口調で今の気持ちを語った
銀メダル獲得から一夜明け、平野は落ち着いた口調で今の気持ちを語った【スポーツナビ】

 男子ハーフパイプで2大会連続の銀メダルを獲得した平野歩夢(木下グループ)。ショーン・ホワイト(米国)やスコッティ・ジェームス(オーストラリア)らと頂点を争った試合は、日本代表の村上大輔コーチも「ハーフパイプ史上に残るハイレベルな戦い」と評価する。


 結果は前回と同じ色のメダルでも、15歳だったソチ五輪当時から平昌五輪を終えた今、平野はどのような成長を感じたのか。スケートボードで東京五輪に挑戦する可能性も報じられたが、今後はどのような道を歩み、どのような足跡を残そうと考えているのか。試合翌日の平野に話を聞いた。

悔しい気持ちは今後につなげたい

――ジャッジに悔しい思いをしたという声もある大会でした。一晩経っていかがですか?


 悔しい部分は当然ありますが、結果はいくらやっても変えられないので。五輪だからこそもっと細かいところを見てほしいという部分も当然ありますが、素直に受け入れなければいけないと自分でも分かっています。


 金メダルを目の前にして、取れたのに取れなかったという形で銀メダルになってしまいました。もちろんそれもすごく大きいことだと思うんです。あとはこれをどう生かしていくかだけなので、うまく自分の今後につなげられればなと思っています。


――結果が出た直後は「ショーンが過去一番の滑りをした」と語っていました。その後に映像を見直したりして心境に変化があったのでしょうか?


 いや、最初から自分の悔しい気持ちもありました。でも(試合直後は)いろいろなメディアの方もいて、ああだこうだと言うのも変じゃないですか。自分自身に対して悔しい部分もあるし、スノーボードをずっと何年もしているので細かい部分について言わせてもらえば、こうだったのかな、なんていう部分もあります。でも表面的には(淡々とした)表情で受け答えをしなければいけないと思って、そこはわりと割り切っていました。

知らないから嫌いになる。だから向き合う

金メダルがその手からすり抜けた瞬間、平野はそっと座り込んだ
金メダルがその手からすり抜けた瞬間、平野はそっと座り込んだ【写真は共同】

――五輪イヤーには多くの報道陣に囲まれると思います。私自身も含めて、競技について熟知していない人も増えてくると思います。そのなかで平野選手は、たとえ質問がずれていても、ご自身でかみ砕いて、本心で答えているように感じました。簡単な受け答えで済ますこともできると思いますが、そこまでして伝えようという理由はなんでしょうか?


 いろいろな人の気持ちや意見を聞いて受け入れることも、自分の成長になるのかなと。いろいろな人を見て、いろいろな人と会話して、この人はこう思っているけれど、周りはこう思っていて、と感じることは、あらためて自分を見つめ直すために必要だと思っています。


 周りの人の意見も聞きながら、自分の本心を貫くにはどうしていけばいいのかと考えながら、コミュニケーションを取るようにしています。


 人にはそれぞれ人生があって、それは否定したくありません。自分をぶつけられる場所はスノーボードしかないので、そこでは自分がやりたい矛先と意思をしっかり持ってやれればなと思います。


――ソチ五輪の銀メダルで一挙に注目を集めるようになったとき、平野選手はまだ15歳でした。「このおっさん何言ってんだ?」と思った時もあったのではないでしょうか?


 当然ありましたね。中学生でしたし右も左もまだ分からない年ごろで、正直スノーボードしか知らないただの少年でした。嫌なものは嫌で、「何言っているんだろう」と本音では思っている部分はあったんですけれど、でもそういうことを何回も繰り返すうちに、そこから何か吸収できるものなのかなって逆に思うようになったんです。


 嫌なものは自分が知らないからこそ嫌なのであって、それを良い方向で吸収することは可能なのかなと考えるようになりました。そう変換できるようになってから、スノーボードでも自分の生活でも、嫌なことに向き合って、嫌な練習に向き合っていけるようになったのかなと。


 自分のやったことのないことでも手を出してみること。そして、そういう嫌な感覚に慣れてみること。人と話すうえでも、スノーボードでも生活でも、すべてを共有させることで、自分自身がもっと大きい土台で成長できればなと思っていました。この4年間でちょっとずつそういう変化があって、自分の考えのベースがだいぶ大きく変わったのかなと思います。

ずば抜けないと海外で成功するのは難しい

――14日の決勝ではUSAコールが起こるなど、まるで米国ホームのような雰囲気でした。X GamesやUSオープンとなればその比ではないのでしょう。アウェーとも言えるなかで戦い続けるのは大変ではないですか?


 スノーボードの大会はほとんど米国開催なので、応援しているギャラリーは米国色が強くなることは仕方ないと思います。


 僕らは数少ない日本人のなかで、さらに数少ない選手。よっぽど「こいつはすごいな」と認めてもらえる滑りをしないと、みんなと同じレベルの滑りをしても、点数が全然出なかったりします。特に初めて海外の試合に出る日本人選手は、すごい不利というか、平等ではない部分があると感じたり、悔しい思いをすることがほとんどだと思います。


 ナメられている……じゃないですけれど、どう思われているのか分からないですが、人と同じ滑りをしてもそう見られちゃうだけなので。周りに興味を持たせるような、滑りもライフスタイルも「こいつは誰だ?」ってなるようにずば抜けていかないと、海外で注目を浴びるのは難しいことだと思います。


――かつては国内でも大きなプロツアーがありましたが、今は逆風が続いています。日本で大きいプロツアーに出たいという気持ちはありますか?


 ありますね。自分も家族もそうですけれど、「日本でX Gamesをやってみたいね」とか、米国のX Gamesをやるんじゃなくて、日本にX Gamesを作っちゃおうよって。日本に外国人を呼んで、こっち主催でやりたいなと。そういうものが実現できればいいと思っています。


 そのためには自分の実力と説得力と、周りの仲間が必要になってきます。当然、それは難しいことだとは思うんですけれど、アクションスポーツもそうだし、それ以外も横乗りを絡んだ形で大きいものをやりたいなと思いますね。

スケートボードなら「夢を変換できる」

2大会連続で銀メダルを獲得した平野歩夢、その視線の先に見据えるものとは?
2大会連続で銀メダルを獲得した平野歩夢、その視線の先に見据えるものとは?【写真は共同】

――もしスケートボードで2020年の東京五輪に出ればホームの環境になると思います。東京五輪のことを想像しますか?


 スケートボードで五輪に出たい、東京五輪に出たいというのは、それ自体が目的ではないんです。自分の人生として、スノーボードをやってきましたし、またスケートボードもやってきました。自分は人がやっていない道をたどりたいというか、何の足跡もないところを目指しているので。スケートボードは次回が初めての五輪競技で、またともに横乗りで冬と夏の五輪に出ている人は今まで日本人にはいないと思います。


 両方に挑戦することで、俺も夏も冬も目指すんだという大きい夢を子どもたちが持ってくれたら(うれしい)。横乗りを目指す子どもたちは、両方目指すことで精神的な面でも強くなるだろうし、人間的にも大きい夢を追い続けられるし、それ以外にも共有できる力を持てると思います。


 スノーボードだけやっていたらやっぱり、五輪でダメだったら、次もその次も「金メダル」「金メダル」と言われ続けて、すごい苦しいと思うんですよね。それは、そこにしか自分のフィールドがないから。スノーボードの調子が悪いからスケートボードやってみようとか、スケートボードの調子が悪いからスノーボードやってみようとか、そうやって変換するものがあったほうが、目指すことも楽だと思いますし。


 夢を大きく持ってそれを変換できるものを探しているので、そういう意味ではチャンスなのかなって。まだやる、やらないということは置いておいて、自分の考えていることをしっかりとまとめてから、やると決まったら動こうかなと考えています。

ボードじゃなくてもいい、夢を持ってほしい

――スケートボード、サーフィンが五輪種目になったように、横乗りのカルチャーは以前よりも市民権を得るようになりました。しかしまだメーンストリームとは言い難い部分があると思います。今後どのように変えていきたいですか?


 やっぱりサッカーや野球よりも全然(人気や規模の)レベルが下のスポーツなので。でも、本当にそれくらいビッグで有名なスポーツに持っていくことは不可能ではないと思っています。時間はかかると思いますが、自分がそのきっかけだけでも作って、下の世代にそういう意思を持ってくれる子どもたちが増えることで、このスポーツの影響力を世界中に与えられたらなって。そこに五輪を目指す若い子どもたちが出てくることによって、また夢も大きくなるのかなって思います。


――平昌五輪を見てスノーボードを始める子どもや、久しぶりに滑ろうと思う人が大勢いると思います。彼らにどう楽しんでもらいたいですか?


 スノーボードじゃなくてもいいんです。子どもも大人もおじさんでも、みんな安定した生活より夢を持ってもらいたいと思っています。そういうところに自分は刺激を送りたい。そのことで日本人の力を最大限大きくできればいいですね。

村上大輔コーチが語る平野の成長

 日本代表の村上大輔コーチは「歩夢はこの4年間で人間的にも本当に変わった」と語る。


「勝つためには滑りだけじゃダメだと思ったのではないでしょうか。ソチ五輪のころは受け身でしたが、今は主張することはしっかり主張するようになりました。自分が勝つために、うまくなるために何が最善なのか、先を見据えて考えられるようになったのだと思います」


 スノーボードの技術だけでなく、内面も成長した平野。19歳にして日本代表の誰よりも輝かしいキャリアと経験値を持っているため、チームへ与える好影響も大きいのだという。


「歩夢がいることで、片山來夢や平岡卓(ともにバートン)も歳は上ですけれど負けたくないと思って必死に練習するし、戸塚優斗(ヨネックス)は歩夢が憧れの存在なので背中をずっと見ている。この先、歩夢には滑りで引っ張っていってほしいですね」


 だからこそ、14日に各社から一斉に報じられた「平野歩夢、スケートボードで東京五輪へ」といった記事について聞くと、村上コーチは悩ましい顔を浮かべた。


「もしスケートボードをやるならスケートに2年間どっぷり集中しないといけません。そこでスノーボードのトレーニングの量が減るとなると、うち(スノーボード界)としては……。夏と冬の五輪に両方横乗りで出るのはすごいことだと思います。出るだけならできると思うんですよ。でも歩夢は勝つことを考えています。だからそんな簡単には決断できないと言っています。『スケートボードへ!』みたいに記事が出ていますが、これから考えるんじゃないですか」


 自分の夢と他人の夢と、周囲からの期待と責任と。世界のトッププレーヤーである彼は、19歳にしてあまりに多くのものを両手いっぱいに抱えている。もし人生が2回あるなら、2回送ってすべてをかなえてほしいほどだ。


「僕も帰国したら久々にボードやろうと思っているんです」。取材を終えたあと何気なくそう伝えた時、平野の顔はうれしそうな、純粋な笑顔でほころんだ。初めて19歳らしい素顔を見た気がした。


(取材・文:藤田大豪/スポーツナビ)

【関連リンク】

スポーツナビ

スポーツナビアプリ 無料ダウンロード

iOS
Apple Storeからダウンロード
QRコード
Android
GooglePlayで手に入れよう
QRコード
対応OS
iOS 9.0以上
Android 4.0.3以上
  • アプリケーションはiPhoneとiPod touch、またはAndroidでご利用いただけます。
  • Apple、Appleのロゴ、App Store、iPodのロゴ、iTunesは、米国および他国のApple Inc.の登録商標です。
  • iPhone、iPod touchはApple Inc.の商標です。
  • iPhone商標は、アイホン株式会社のライセンスに基づき使用されています。
  • Android、Androidロゴ、Google Play、Google Playロゴは、Google Inc.の商標または登録商標です。