2018年を迎え、新しいチャレンジに挑戦することにしたのでお知らせです!
7 年半勤めた Google を退職し、来週からスタートアップで働くことにしました。また、それに伴い 4 年半住んだアメリカベイエリアを離れ、再来週から東京に引っ越すことにしました。
退職してしまいますが、今も Google は大好きで "Google is the best place to work in the world!" と本当に思っています。よい機会なのでちょっと 7 年半を振り返ってみたいと思います。
●2010年、入社。
入社したときは Google の東京オフィスで働いており、エンジニアでもないのに Developer Relations Japan country lead をやるということで本当に右も左もわからない状態で入社しました。DevRel のチームメイトの皆さんや、Google のエンジニアの皆さん、そして Google API Expert / Google Developer Expert(GDE) や Google Developers Group (GDG)、html5j などの開発者コミュニティの皆さんに助けて頂き、教えて頂きながら開発者コミュニティの支援活動を行っていきました。
Google Developer Day Japan という、Google I/O に次ぐ Google にとっては二番目の規模の開発者イベントの主催者を 2010 年、2011 年と務めさせて頂いたのもよい思い出です。
日本の GDD は「開発者の、開発者による、開発者のためのカンファレンスにしたい」ということで多くの開発者の方や Google 社員の皆さん約 100 人にボランティアで運営に参加してもらい、みんなで作り上げるカンファレンスを目指しました。会場には Google による展示だけではなく、Google technology を使った開発者の皆さんのプロダクトの展示もたくさん行って頂き、+1 シールや缶バッジの交換、プロフィール交換、Google 社員への質問コーナーなどインタラクティブなセクションも多く設けて、楽しいカンファレンスを皆さんと一緒に作り上げることができたと思います。
●2011年、東日本大震災が発生。
Crisis Response なんて誰も知らなかったけど、Google 東京オフィス中のみんなが「自分にできることは何か?」を考え Crisis Response の活動を始めました。膨大なアイディアで伸びていくスプレッドシート、結局 40 ものサービスがローンチ。マネジメントから東京オフィスの皆さんに「せめて土日は休んでくれ。体も大切だ。」という司令が出るほどみんな不眠不休で動いていました。
この事態に、DevRel としてできることは何か。Amazon Japan や Microsoft Japan や Yahoo Japan など、いつもは競合他社の会社の皆さんと一緒に「今は日本の危機。会社の枠を超え、対抗するのではなく連携しよう。この未曾有の事態にエンジニアができることは何だ!」と Hack for Japan を立ち上げ、日本中とオンラインでハッカソンを開催しました。
現地に行かないとニーズがわからないということで4月に東北に視察に行ったところ、マグニチュード7.4の余震を体験するということもありました。
当時、放射能の正しい情報がわからなくて、Hack for Fukushima でお会いした福島の方に「私の娘は結婚できるんでしょうか」とつきつけられた言葉が心に残っています。世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする会社に勤めていますが、わからないものはわからない。情報の大切さ、情報の開示の重要性、情報は人の命を左右するということ、情報は人生に影響を与えてしまうということ。あれこれ考えました。
そしてまた災害が起きた時、日本社会はどういう情報をもっているのか、どう情報を使うことができるのか、あるいは使えないのか。Project311(東日本大震災ビッグデータワークショップ)は日本を次に起きうる災害に備えるために始めたプロジェクトでした。3月11日から1週間の朝日新聞記事、Google Trends、東日本大震災直後のテレビ放送テキスト要約データ 、3月11日から1週間のツイート 、NHK総合テレビ大震災発災直後から24時間の放送音声書き起こし及び頻出ワードランキング、Honda インターナビ通行実績マップデータ、レスキューナウの鉄道運行情報/緊急情報/被害状況のまとめ情報、ゼンリンデータコムの混雑統計データを各社に提供して頂き、約2ヶ月をかけて参加者の皆さんがデータを分析し、今後起こりうる災害に備えて、どのようなことができるかを議論していきました。
また、「震災で何もかも失った地元で僕たちは今後生きていけるのか、農業も漁業も工場もやられて親はみんな仕事を失っている、僕達はこの街にいて、将来仕事はあるのか。」と不安がる子どもたちを見て、東北にいながらアプリ開発者として生きていける人材が育ってくれればと東北Tech道場を始めました。
●2013 年、渡米。
震災後の日本で始めた色々な活動がきっかけで傾倒していった Crisis Response, Civic Innovation, Open Data や Open Government, Internet governance の様々な課題に Google DevRel としてどう取り組むべきなのか。上司と相談し、Mountain View 本社への転勤を決めました。しばらくは DevRel チームの中で一人プロジェクト Project Open の立ち上げという形で、講演やら小さなプロジェクトの立ち上げやら、バラバラと色々なことをやっていました。
思い出に残るプロジェクトとしては IGFのコンテンツをオープン化する Friends of the IGF があります。
ある日、同僚から「Vint Cerf からの依頼だぞ」というメールが入ります。国連が主催する Internet Governance Forum (IGF) というカンファレンスがあり、internet governence のあらゆる側面について世界中から参加者達が集まって議論をするのですが、その動画が撮影されているはずなのに何年たっても公開されない。IGF は超重要な会議なのに、ログが残らないので議論がその場で消えてしまう。誰かなんとかしてくれーと。さっそく国連本部と連絡を取るも、「動画がどこにあるかわからないし、見つけてもアップする暇もないし、誰かやってくれないと無理!」という回答だったので、それならその誰かになってやろうじゃないの。。。とジュネーブの国連本部に一人で赴き、動画のデータ(DVDとかハードディスクとか)を探し出し、IGF の YouTube アカウントに一気にアップロードしてサイトにまとめる、という荒業に出ました(笑)それを見ていた IGF のボードの一人が主体となってくれて Friends of the IGF という NPO を作り、APNIC からのスポンサーシップもあり、次の年からは完全にお任せして安定運用となりました。めでたしめでたし。
●2014年、 Google Social Impact へ異動。
Google Social Impact というのは、「テクノロジーを使ってどう社会をよくするか」を考え、実現していくための部署で、Civic Innovation, Google Crisis Response, Google.org, Google Ideas (現Jigsaw), Google Giving で構成されていました。
Google I/O 2014 ではチームメイト達がこんな講演で紹介しています。
私は Civic Innovation と Crisis Response チームに参加し、色々なプロジェクトを立ち上げさせてもらったり、参加させてもらったり、外部のプロジェクトの支援活動をさせてもらったりしました。
その一つが、Civic Bridge。市役所と提携し、その都市の大きな問題に対して、そこに住む Google 社員をボランティアで派遣し、一ヶ月間フルタイム、3ヶ月 20% プロジェクトの合計4 ヶ月をかけて問題に取り組んでもらうというもの。Google 社員にとっては自分が住む街の大きな問題を解決できるまたとないチャンスですし、市役所にとってはテクノロジー人材が役所内には少ない中、Google 社員が問題解決に取り組んでくれる、というプロジェクトです。
最初のパイロットはサンフランシスコ市役所と行ったのですが、実際にやるとなると調整調整の連続、毎日のように色々な弁護士に説明をしに行ったり、デザインの絡むプロジェクトなのにデザイナーが見つからず、せっかく見つかった Googler の上司がやっぱり忙しいからダメだと言ってきて説得しに行ったりと一筋縄ではいかなくて、毎日駆けずり回っていました。
サンフランシスコ市役所(San Francisco Mayor’s Office of Civic Innovation)と取り組んだ問題は2つ。
Department of Emergency Management とのプロジェクトは、緊急通報用電話番号「911」への通報が異常に増えているが、オペレーターの増員は時間がかかる。しかし、オペレーターが足りない状態だと緊急で助けが必要な人を助けられないことになる。911 のパンクは、人の命に関わります。この通報の増加は一体何が原因なのか、データ分析を行ってほしいという案件。最終レポートはこちら。
Mayor’s Office of Housing and Community Development とのプロジェクトは、住宅事情が逼迫するこのサンフランシスコで市役所が制作している affordable housing (安価な住宅)を見つけるためのポータルサイト構築のコンサルティング。デザインスプリントやヒアリングなど、様々な活動が行われました。(サイトの構築自体はあくまで市役所が外注したベンダーが行います)その後市役所がローンチしたサイトはなんと Good Governement Award を受賞したそうです。
発表会には当時のサンフランシスコ市長 Ed Lee も来てくれました。記念写真パチリ :D
この最初の Civic Bridge に参加してくれたメンバーは 6 人いたのですが、「自分のテクニカルスキルがこんなに役に立つなんて!物の考え方が変わった!」と非常に好評で、終了後、一人はホワイトハウス (USDS) に転職、一人はサンフランシスコ市役所に転職、一人は 20% プロジェクトとして Civic Bridge のプログラムを私から受け継いで次の年から運用してくれて、一人は大学に政策を学びに行き、一人は大学に医学を学びに行きました。みんなの人生が変わっていくの、すごい。
。。。とここまでは順調だったのですが、なんとこの年 Social Impact という部署がなくなることに。ガガーン。
●2016年、Google ATAP へ異動。
さあ困ったということで社内転職活動の末、Google ATAP (Advanced Technology and Projects) という今の職場に異動することになりました。
Google ATAP では、Project Soli (レーダーを使ったジェスチャーセンサー)と Project Jacquard (インタラクティブなテキスタイル)を担当することになったのですが、私はレーダー技術もマシンラーニングもシグナルプロセッシングもファッションも完全に素人で、右も左もわからない状態からスタート。チームメイト達に教えてもらい、勉強しながらこの 2 年半やってきました。非常にチャレンジングで面白かったです!
Project Soli の紹介動画
Project Jacquard の紹介動画
Project Jacquard のメイキング動画。
私の仕事は Project Soli がメインで、2015年には Soli Alpha DevKit をリリースし、開発者の皆さんに提供しました。
こうした開発者の皆さんをマウンテンビューにお招きし、Soli Developers Workshop を開催したりもしました。
ATAP に異動してきてすぐにサンフランシスコのマーケットストリートという目抜き通りにある Levi's store に行き、Levi's のジーンズを何枚か購入したのを思い出します。Levi's とのミーティングに他社のジーンズを着ていくわけにはいかないですからね。当時から「このお店に Jacquard jacket が並んだらどういう感じかなあ」とか妄想してました。
なんと、その SF Market Street の Levi's store をジャックして、Levi's が Jacquard jacket のローンチパーティを開いてくれました。
同僚とフォトブースで写真を撮っていたら、なんと Levi's の社長の JC が入ってきて、一緒に写ってくれました!
ちょうど昨年末、Project Soli は非常に大きな開発マイルストーンを達成し、Project Jacquard はLevi's Jacquard ジャケットを発売という非常に大きなマイルストーンを達成することができ、ほっと一息ついたところでとあるスタートアップの方にお誘いを頂き、転職して東京に戻ることを決めました。
本当に楽しくて、勉強になって、密度の濃い7年半でした。繰り返しになりますが、今も "Google is the best place to work in the world!" と本当に思っていますし、退職アンケートにある「また Google に帰ってきたいと思う?」という設問には "Yes!" と回答しておきました :D
さて、長くなってしまったので、来週からの新しいチャレンジについてはまたエントリーを改めて書きたいと思います。
Google の皆さん、Google 時代にお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。
Disclaimer このブログは山崎富美の個人的なものです。ここで述べられていることは私の個人的な意見に基づくものであり、私の雇用者には一切の関係はありません。