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対話の外部部屋-Ⅱ

対話の外部部屋のⅠが50を超えますので、次のページを作成しました。
以下のリンクは当コメント記事部屋関連のものになります。

ブログ&コメント義…元記事です。この記事のコメントから始まりました。

対話の外部部屋…外部コメント用

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対話の外部部屋-Ⅱ” への1件のコメント
  1. あべひ より:

    monlingen管理人さんが「対話の外野部屋2」を作られる前から「外野部屋」のほうで
    コメントを書き込んでいたようで、葛西さんへのコメントを書き込ませていただいたことをこちらにも記しておきます。

  2. あべひ より:

    他者の信心を否定できるほどの信仰生活がmonlingen管理人さんにあるのか?
    という趣旨の葛西さんの問いに対し、
    学会活動を羅列したうえで、中傷めいた愚癡を公然と書いて相手の様子をみているのでしょうかね。
    葛西さんはなにもmonlingen管理人さんが活動をしていないなどという腹積もりなど
    ないでしょうし、アンチさんに対して「信心のありかた」を説くという行為を責める
    つもりもないと思います。

    monlingen管理人さんは、自己を正当化するために

    >>(御本尊)を求める自分自身の「生命」の根源の場所には、
    >>「信仰体験」 が隠されているのです。
    >>貴方はこの事実を完全に見落としています。

    と正論を述べることができるのに、なぜ批判的な学会員に対しても
    「信仰体験」が隠されているとは感じられないのかと言いたいのでは。

  3. 匿名 より:

    前ページで
    あべひ様の慧眼素晴らしいですね
    について聞かれていたので一言。
    あべひ様 >拙にはmonlingenさんと現役法華講員とのやりとりについて“破折が不十分ではないか?”とか“法華講員に言われっぱなしではないか”いったような葛西さん抱かれた御不満が根底にあるのではないかと感じました。>
    これ法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね。それに対し葛西様の返答が
    >①アンチから馬鹿にされる
    「感得、感得」と言っていますが、
    しっかり勉強をし自らの考えを言語化する努力をした上で、
    「それでも理よりも体験が大事だ」と言うならよいですが、
    管理人さんはそもそも論理的に話そうとされず、すぐに「感得」を持ち出します。
    こんな主張をすれば、
    「学会員は馬鹿だ」といわれるのは当たり前。
    私も学会員ですが、管理人さんのロジックは意味不明です。>
    とあったので、やはりあべひ様の言う通り葛西様は学会寄りというより学会員だったのだ、あべひ様の慧眼素晴らしいと言った次第です。
    このブログの感想というより管理人様への感想は前回の何となくの近況に家庭訪問行った先のお宅の子供たちにエサまいて手なずけるってありましたが酷いなと。いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。こんなのでも暖かく包括してもらえて向上できるんだから有り難い組織だなと思いました。以上

  4. 匿名 より:

    すみません、失礼過ぎるので訂正します。
    >いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。
    >いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。

  5. あべひ より:

    匿名さんへ

    >法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね

    ご指摘の通りです。 
    単なるアンチなら、いちいちmonlingenさん本人の言質を細かくとりにこない
    でしょう。

    >いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。

    子どもさんになにかを与える行為は同じでも「心根」がちがえば金とウンコですね。
    それと同じで、破折という行為は同じでも「心根」次第で金にもウンコにもなっています。

  6. 葛西 より:

    あべひさん

    ありがとうございます。

    「宗門を独善的に攻撃する人間は、
    その矛先を容易に同志に向ける」とは、
    非常に考えさせられました。

    私も血気盛んだったころ、法論とやらをやりましたが、
    当時が一番攻撃的な時期だったように思います。
    また、管理人さまの「ミカツ」批判や、
    コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、
    アンチへの攻撃と地続きのようです。

    議論はやや漂流気味で、
    「感得」というテーマから逸れてしまいましたが、
    引き続き管理人様と対話させていただければと考えます。

    また、「感得」については、
    うるとらまん氏の見解もお伺いしたいところです。
    とはいえ氏もまた、「感得」や「サンプル数の少ない経験的命題」を基に主張されることの多い方のようなので、
    議論は難しいと思いますが。

  7. 匿名 より:

    池田先生は常々「子供に対して一人の人格として尊重すること」と言われていました。
    不軽菩薩の礼拝行じゃないけど家庭訪問に行かれるのならば、せめてそれくらいは頭に入れて欲しいですね。(人妻の家で話すのは危険な香りがするとかも書いてましたがどう思おうと勝手ですけどちょっと情けないなと)
    他人の子供にエサをまくと言って憚らない管理人様は他人の仏界を冒涜して平気なのでは?
    一体管理人様は何を信じているのか?感得って何だ?己心の妙法ではないのか?自分の仏性は信じても他人の仏性は信じられないのか?他人の仏性が信じられないのは何故か?等々の疑問が生じますね。

  8. 台湾から より:

    先程、葛西氏との対話部屋での管理人のコメントを読みましたが、
    この人、本気でこんな馬鹿なこと書いてるんでしょうか‥

    もし本気だとしたら、
    本当に馬鹿、というか、彼が言うところの生来持っているはずの思考力を持っていない人ですね。

    他のスレで、管理人の言動で学会を嫌いになる人が出たらという質問がありましたが、
    この管理人の馬鹿さ加減はとても折伏をしてる友人には見せられない恥部ですね。

    管理人はコメント主が活動してるかを気にする方のようなので記載しておくと
    私は現在台湾在住の学会員。 
    言語の壁から現地人への折伏はなかなかうまく行きませんが、
    台湾に新しく来た駐在員の奥さんを現在折伏中で、2日前一緒に三唱しました。もちろん折伏するのだから、ここ最近は毎日5時間の題目をあげています。まぁ、仕事が遅くなるときは周一程度で3時間になりますが。

    日本って大変なんですか?  
    私には葛西さんより、管理人さんのほうが必死でおかしく見えます。

    こういう人間は、少なくとも台湾sgiではお目にか買ったことがありません。久々にブログ村を見て、こういう人のブログがアウトランキングで一位なのを見てビックリしました

  9. より:

    あらー、とうとう言われてしまいましたねぇ。

    皆さん、こういう場所では
    プライベートな内容は書かないようにしましょう。
    生贄にされますよ。
    先日も多くの学会員さんが粛清されました。

    前にも言いましたけど、
    反応しないのも反応のひとつですよ。(*^-^*)

  10. より:

    台湾から さんへ

    今は地震による被害で大変なことと思います。
    私の方からは何もできませんが、心は国境を越えて
    どうか一日も早い復興と御健闘を
    と祈りつつお題目を送らせていただきます。

  11. あべひ より:

    葛西さんへ

    >議論はやや漂流気味で、「感得」というテーマから逸れてしまいました。

    台湾からの来訪とおっしゃる方が指摘されていましたが、現在、葛西さんとmonlingenさんの「感得」についての対話よりも、こちら外野部屋2のほうがブログ村ユーザーから注目されている状態ですね。
    昨日はmonlingen管理人さんも本幹同時放映に参加されたそうですが、その帰宅後に
    「小さな話に右往左往する」などという書き込みですから、関西の人間としてはちょっと悲しいです。
    ちょうど原田会長に指導に「感得」にかかる非常に示唆に富んだ内容がありました。
    折伏と個人指導は両輪だというテーマでした。
    “折伏の成果は、すぐに見える形で現れるので周囲の同志から賞賛もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました”と指摘されていましたね。
    monlingen管理人さんふうにいえば成果という「感得」があったのに信心が崩れる場合があると警告されているわけです。
    monlingenさんは
    『折伏が出来る人が、どうしてアンチなどと言う組織体に所属し続けるのか、理解不能です。そんな事実は一切存在しません。』 断言していますがそれは
    彼の考える学会活動家とは単純に 唱題 と 折伏 ができているか否かで天秤に掛けられているからでしょうね。
    簡単に言えば「成果重用主義者」です。ダメ幹部の典型。
    仮に彼が幹部として現場でもおなじようなことをやっているなら
    部員さんは可哀想です。

    ——-

    >コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、アンチへの攻撃と地続き・・

    monlingen管理人の
    「貴方は,今,現在は何をしています?お題目は?折伏は?
     折伏、題目を現時点で苦労しながらもやり続けている人間は、
     決してアンチ系の思想は持ちません。」 と主張してます。

    では アンチ“系の思想” とはなにかというと

     「アンチとは何?」と言う,どうでもいい話を「対話」の主要論点に持って来る 
      こと自体が、チンケすぎます。」

    と反論する程度ですから、自分でも説明できない概念なのでしょう。
    monlingen管理人さんは「創価学会に対するアンチテーゼ」と
    「自分の主張に対するアンチテーゼ」が等価値、もしくは同じだと考えているらしいので、自分に対するアンチテーゼは即、創価学会全体への批判とみなしているのです。
    ですが彼自身、論理展開がやや強引すぎることを自覚しているので「信心の話」とやらにもっていきたいのではないでしょうか。

    ここでいう「信心の話」とは 唱題の功徳について だったようですが
    困った事にmonlingenさん自身が
    「彼等アンチやミカツ、宗門系の個々の信心状態など、私にとっては何の興味もありません」などと否定していますから、彼の主張に反論を試みる「アンチ系」の人間は信心の話ですら門前払いで聞いて貰えそうにありませんね。

  12. 匿名 より:

    粛清って何でしょうか?
    当方、本部批判したこともするつもりもありません。
    普通に活動している一会員です。
    さりげなく仲間扱いされても困るで念の為。

    • より:

      匿名さんへ

      管理人さんの
      「貴方がたの発するゴミのような意見など、ここには入る隙間もない」発言(2018年2月5日 9:25 AM)
      のことです。本部を批判していようが批判していまいが、
      自分の気に入らないコメント者をことごとくまとめて追放処分する彼の
      独裁的なやり方を指して「粛清」と表現しました。

      • 匿名 より:

        わかりました。
        大変に失礼いたしました。コメントとはいえ一方的になってしまったことお詫びいたします。返信いただいてありがとうございました。

  13. miu より:

    こんばんは

    monligenさんとコメントのやり取りをされてる方や創価批判をしてる方々の全員がmonligenさんの文章は整合性がとれてないと言う趣旨の発言をなさってるように感じます。

    どの場面で発言したかは調べるのに時間かかりますから調べません

    すべてmonligengenさんの文章です。

    ケース1
    A 私に、ゆっくりやりましょう
    と書いてます。

    B 創価批判をしてる方や創価を破門した宗門を激しく厳しく攻撃してますよね
    monligengenさんは唱題が好きなようで、10時間唱題をしたことがあるのかと他の学会員によく質問されてます。

    ケース2
    A 個々の信心の状態など興味ない
    つまり創価組織を批判することが許せない趣旨の発言

    B 創価を途中で辞める人に創価を批判してほしくない
    内部アンチは学会員のくせに組織否定は許せない発言
    文章の内容ではなく批判してる人間の人格否定発言

    ケース3
    私の友達からメールで聞いた話です。
    創価を静かに去ると言うブログにコメントをなさったとか?
    そのブログの管理人は1~2日、monligengenさんの文章を公開しましたが削除なさったようで私は見てません。

    A 私の友達の話では
    monligengenさんは毎日勤行唱題、会合は月1回の座談会と同中のみ、新聞推進、折伏なしで現在未活動と自己紹介

    B 退会者や非活に今の創価の事はわからないはずと発言

    静かに創価を去るブログのコメント者の方々から、そのブログにコメントしてる人々は元地区部長支部長、元白ゆり長地区婦人部長で
    未活のおっちゃんより、私達の方が比べものにならないほど組織の事をわかってる、組織の為に時間お金、精神力、忍耐力ストレスを味わってきたとmonligengenさんを激しく攻撃されている

    間違っていたらごめんなさい
    間違ってますと書いて下さい
    AとBは正反対で矛盾してます。
    私にはその時思った事を書いてるだけのような印象を受けます。
    誤解なら誤解を解いて下さらないと、訳わからない、意味不明と言われて全てがお互いに徒労に終わるように思います。

  14. 空伽羅おじさん(最初で最後) より:

    いつも楽しく拝見しております。
    過去に本尊義について管理人様に
    ご教授を頂きました創価アンチの輩です。

    随分、管理様への
    厳しいコメントが、
    御座いますね、、。

    そもそも麗しき創価の庭では、
    自由闊達な意見があれば健全。

    凡夫同士で在る事を
    忘れてはいけないと。

    感得でも、何でも、良いです。

    創価学会に入信して
    私は、
    これだけ幸せに成りました!
    池田先生のお陰です!と、
    幸せ自慢(現証)をされたら?

    良質なブログを目指していた
    ブログ主様の当初の目的が
    達成されないのは悲しい事です。

    駄文コメント失礼致します。

  15. monlingen より:

    単純化してお話しします。

    揚げ足取り…文章の根本的な意味を理解もせずに、途中にある気になる言葉に激しく反応すること。

    この意味に於いて全員とは勿論言いません、ある種の人々はどうでもいい、またこちらの意図の逆を取り込んで必死に攻撃するものの、本当の論点に対しては完全に黙秘する事って、対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?

    言い訳では無く、当ブログの一つひとつは自分の作品と考えています。それらに対しての「意見」であればともかく単なる中傷ばかりするのは,余り健康的な人間のする行為とは言えません。それに対する真正面の、賛否は問いませんが、批判をして行くべきだと考えます。そんな「意見」に対して私は頑否定したことは,一度もありません。

    その意味で考えてくれる人はいると思っています。中心を探る話がしたいのです。
    ここでの私の「提案」、誰一人としての回答はありません。これは不思議の現象と言えますね…。

  16. あべひ より:

    monlingen管理人さんへ

    葛西さんとの対話にも共通していることですが、貴殿が造った「抽象的な概念」
    をもちいて物事を説明しようとしたり、特定の人物をささず「抽象的な三人称」を
    もちいて葛西さんとの対話と無関係の提案をもちかけ回答を求めるような進め方こそ、
    葛西さんとの対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?

    それともこちら(外野スレ)に書き込みのされたことのないどこかのブログの誰かに
    「提案」されているのでしょうか。
    拙は基本的に、特定の誰かに対する返答であることを意識してコメントを書くように
    しています。
    理由は、第三者が読んだ場合でも「自分のこと」を指して批評をしているのではない
    と理解しやすいようにするためです。
    monlingenさんは、あえて特定の誰かを明示せずに呆れてみせたり嘆いてみせたりすることで批判責任を回避したいようですが、逆効果です。
    突っ込まれた時に「あなたのことではありませんよ」とか「そう感じたのならあなたのことでしょう」などと逃げれるとお考えなのかもしれませんが、そういった逃げ道を造っておくこと自体、対話に積極的ではない証拠でしょう。

    “誰一人として回答がない”のは不思議でもなんでもありませんよ。
    葛西さんとの対話の行く末を見守る方にとって、突然降ってわいた関係のない
    「提案」ですからね。
    「誰一人」の中に含まれれるであろう、monlingenさんファンの「うるとらまん氏」や「ちよ」さんからも回答がないのは不思議には感じないのでしょうか。

    monlingenさんが、批判的意見を書き込む連中がいかに不誠実で不健康であるのかを印象つけるための伏線があの「提案」であったことは、ちょっと討論慣れしている方ならわかりそうなものです。
    だから、あれだけ援護をしてくれる「うるとらまん」さんも「ちよ」さんも示し
    合わせたようにスルーされているのだと愚考してます。

    まぁmonlingen管理人さんが学会アンチではなく「アンチ系」の思考をもつ学会員
    にたいする「新説」をまとめあげて記事にでもされた折には、ホトボリが覚めた頃に
    しかこない彼や彼女らが提灯コメントをいれて祝いでくださることは容易に想像ができます。

    ともかく、管理人さんは葛西さんとの対話で粗相がないように真面目に「作品」に
    とりくむことを優先なさってください。

  17. うるとらまん より:

    管理人さん
    お二人が集中するためにこちらは閉鎖した方が良いと思います。
    管理人さんの提案は絶対に回答する人はいません。

  18. 台湾から より:

    「提案」とやらですが、拝見しました。下記に反論してみろ、ってやつですよね?

    ___________________________________________
    〇「謗法厳戒の日蓮正宗の不思議」…アンチや宗門系からの「反論」が一切ありません。明確な、誰にでも納得出来る「反論」を期待します。
    〇「本当の師弟不二の話」…師弟の在り方を中心にアンチ側(皆さん)に立った反論、そして私の記事の間違いを正して頂けると、有難いですね。
    〇「学会と宗門の信心の相違」…古い記事なんですけど、未だに宗門系(含アンチ)からの反論のない記事です。皆さんにこの記事の瑕疵を正して欲しいと思っています。
    〇「【対談集について】のお話」…アンチ系は兎にも角にも先生の対話に対して難癖を付けます。どうしてなんでしょうか?これも大きな疑問点ですので、宜しくお願いします。
    ___________________________________________

    上記に反論する人がいない理由は、
    「宗門寄りの人間がコメント欄にいないから」ではないでしょうか。
    (恐らく空伽羅おじさんくらいでは)

    管理人さんは、コメント欄の反応が自分に不利になったのを見るにつけ、
    「ここはアンチだらけだ!」と決めつけたようです。
    しかし、自分に不利なコメントを書く人=アンチではありません。
    またあらゆるアンチが宗門にシンパシーを覚えているわけでもありません。

    さらに付け加えるならば、宗門のHPをちょこちょこっと見ただけの記事に、
    わざわざ真剣に反論する法華講員も少ないと考えられます。

    まぁ要するに、そもそもこのコメント欄にいる人間を宗門寄りだと断定した時点で、
    的外れなのはあなただと思います。

    この「自分に敵対した人間は、宗門の人間だ」「信心のある人なら、俺の主張をわかってくれる」という自信がどこから来るのか大変興味がありますね。

    • monlingen より:

      台湾からさんへ

      無視出来ないコメントです。「正規の反論」としては、ここで、ほぼ初めて見るもののように感じます。
      非常に示唆に富むものだと思いますので、以下に自分の考えを記します。

      貴方の私への批判として指摘されたことは、非常に正しいと思います。これは別に茶化している言い方ではありません。そう思っているのです。
      コメント最後に記した貴方の言葉、「自分に敵対した人間は、宗門の人間だ」の決め付けは、確かに私が反省すべきものです。
      もう少し言葉の内容を変えねばならなかったですね。

      私がどうしてこんなコメントをしていたか、若干の時間を頂いて考えて貰うと有難いと思います。以下は、今回の「外部部屋」に送られてきたコメント群の一部です。
      これをどう受け取るべきでしょうか?

      『管理人さんは重要な点を感得でごまかす。
      この指摘は正しいと思います。質問に対して合気道の例を出したりで大事なところは言葉で語らない。ごまかす。』

      『全く無価値な対話ですね、こりゃ。
      閣下の勇気ある発言に、アンチではありますが拍手を御送り致します。
      (実は我が家には、古美術商で買った身延の本尊が押入れの中にしまってあります。大きくて立派ですよ~)』

      「誤魔化す」云々は、「理由」が全く記載されていません。これは,単なる中傷だと判断出来ます。私が何故色々な「方便・例え話」を費やしながら,言葉を換えながら説明しているのか,コメント者は一切考えていません。
      「身延の御本尊が押し入れ」のフレーズは、どう考えてもアンチ創価学会だと判断せざるを得ません。こんな文章を平気でコメントしてくる、そのいい加減さに腹が立つわけです。

      私は真剣な批判であれば真剣に返しています。でも、上記のコメントに対しては,果たしてどう返せばいいのでしょうか…?

      この手のコメントが非常に多いのです。
      これに対しては、多分無視すべきだったんだろうとも,今は思っています。しかし反論を書こうとすると、(まあ、もっと考えるべきだとも思っていますが)アンチ系で括ってしまうのが、一番楽だったと言う事も確かでしたので、瞬間的な反応としてその様なコメントを書いてきた,そんな事情があります。それが結果的にはこんな形になったんでしょうね。
      反論者への学会・非学会の二者択一の対応は、やはりやるべきではありませんでした。
      反省すべきですね。それは、はっきり謝ります。

      申し訳ありませんでした。

      ※以下の話は、上述のものとは全く別物として読んで下さい。

      若し純粋なアンチ学会、宗門系がいるのであれば,やはり個々の記事に対してはしっかりした「反論」は書いて然るべきだと,個人的には思っています。何故小手先だけの情け無い文章をよこすのか,非常に疑問に感じてはいます。

      貴方の意見にはとても感謝しています。
      まあ、御都合主義的ですけど、又何かありましたら御意見頂けると,有難いと思っています。

  19. monlingen より:

    ここは「ガス抜き」として設定した部屋ですが、かなりねじ曲がった方向の意見部屋になっている様な気もしています。かなりな個人攻撃用、小手先だけの中傷等々…。

    アンチ系のブログの「ご意見箱」をよく読みます。かなり雑多なコメントの類従の数々で、何を言っているのか,何が主題なのかさっぱり理解不能の状態が手一杯存在しているのを見ながら、何とか「整理」出来ないものだろうかといつも考えていました。まあ、彼等がそう言う状態のものが好きなんだと考えると、そんなものかなとも思いますが、あの世界の落ち着きの無さは個人的にはいつまで経っても馴れることはなかった想いがあります。
    それでこんな部屋を作っているのですが、余り役に立っていないようですね。

    ここでのコメントを,気になるものを中心に整理して見ます。個人的なものですので、一般化は出来ないにしても…。

    誤魔化している
    中傷、為にする批判
    閣下がどうのこうの
    古物商から買った御本尊
    俯瞰中毒者のよく理解不能の文言
    以下同類……

    何故はっきり記事へのコメントとして書かないのかも、気になる所でもあります。ここは自由なコメントを可能にしています。削除も一切していませんし、制御もしていません。下らないな…と思う文章も,そのまま掲載しています。これが悪いのかどうなのか…。
    どなたか、私の話が「的外れな方向云々」という話も載せています。確かにとも思いますが、ではどうしてこんな雑談部屋「のみ」にしかコメント寄せないのかは、理解不能の部分です。

    ある人の「提案」で、ここは閉鎖した方がいいのでは,と言う意見。読んでみて,成る程と思いました。気持ち的にはこの部屋は大事だと思っています。でも、ひとつの大事な方向でもある様な思いにもなってきます。

    「外部部屋」は、数日程「メニュー」に設置はしておきます。その後ここから外したいと考えています。コメント数がどんなに増えても放置しておきます。完全削除はしない方がいいと思いますので、そのまま浮遊はさせておきます。
    見る人や書く人はいるでしょうけど、あとは好き好きにお願いします。

  20. 台湾から より:

    コメントいただき、感謝申し上げます

    合気道云々は、あなたのこのコメントでしょうか?

    「…信心は「感得」が大きなウエイトを占めています。
    他の例を出しますね。合気武道で「合気」と言うものが存在します。この事実は経験者でないと決して理解出来ない技になります。この技を身に付けるには、武道のセンスと、武術の「感得」の高さが必要となります。感得という意味は非常に重要なものなんです。
    題目の功徳も「感得」です。御本尊への信心の深化も、当に「感得」と言えます。
    この「感得」は一般化出来るでしょうが、しかし、感得するには、全ての人が学会の話す通りの活動をしないと「感得」は決して出来ません。信心は方程式だと言われます。だとしても「数式を解く努力」をしないと、いつまで経っても何も変わらないのです。
    その典型が、彼等というわけです。故に、話は続けられなかったわけです。」

    「事実、「合気武道」の話を貴方達は理解しようと努力すらもしていません。これが貴方達の現実のすがたなのです。
    若し言葉で理解しようとすると、それこそ膨大な書籍を読む羽目になりますよ。しかし、それだとしても、多分無理だと思います。」

    これについて私なりの見解を示すと、

    ・合気道を持ち出す理由が不明
    ここで合気道を持ち出す理由は、「信心というわかりづらいものをわかりやすく説明するために、より人々によく知られた合気道を持ち出す」かと思います
    ですが、合気道の合気なるマニアックなものを出されても、
    貴殿の主張がわかりやすく理解されるのかわかりません。
    なぜ合気なるものを出されたのですか?

    ・自分の主張が理解されなかったときの態度
    あなたの主張は、「おれはこんなにがんばって表現しているのに、なんでわかってもらえないんだ・・・!」ということかと思いますが、
    これは甘えだと思います。
    貴殿のほかの記事でのコメントを見ても、
    「読解力をつけろ云々」というのがありました。
    もちろんひどい誤読はあるのでしょうけど、
    「自分の表現が伝わりやすいものだったのか」という反省はするべきでは。
    少なくとも私には、上の合気のたとえ、意味不明です。

    ・質問への回答法
    魔の定義という質問に対して、
    「感得でわかる」という回答は、「誤魔化し」といわれてもしょうがないと思います。
    少なくとも貴殿の回答が説得力が無かったことは認めるべきでは。

    以上です

    • monlingen より:

      台湾からさんへ

      合気武道、そして「魔」の定義等の説明に関しては、理解出来ない人も多々いるだろう、と言う事も含めて、こう言う話にしています。
      何故なら、

      「信心の在り方」「三障四魔」はネット上の学会系記事で,それこそ頭がパンクするのでは,と言うぐらいの情報が氾濫しています。アンチ系もその情報は読んでいるはずです。読んでいて、尚且つ未だにアンチは増え続けています。じゃあ、彼等の様な人間に対してどうすれば良いのでしょう。
      …同じ種類の話は、無駄以外に何も残りません。

      このブログは私のブログです。そして学会のあれこれを説明するのには自分自身の「経験上」の話をしようと考えて運用しています。つまり,想像上の事項を持ち込んで「例え話」から導く「方便話」とはしたくないのです。「感得」とは「体験」だとコメント上でも再三再四、話していますが、その実際上の在り方がこの「合気武道」等の云い方になっているのです。
      はっきり言って、信心のあれこれや疑問の話は、ネットを開けば星の数程存在するブログや説明記事を読んで,判る人は判ります。判らない人は,どう頑張っても理解出来ないようです。その人達に理解して貰おうとすると、切り口を変えねばなりません。云い方や表現方法を変えて書いていくべきなのです。
      私は,そもそも論になりますけど、他の多々ある表現方法は使いたくないのです。特に、聖教新聞系のお話の仕方は…今更,と言う気持ちもあるし、自分の頭で,自分の考えで,そして自分独自の表現方法で,自分の信心を自分の言葉で表現したいのです。
      その結果が,当ブログの記事の数々なのです。

      で、問題は私のその記事を読んで理解出来ない人は、仕方ないと思っています。結構かみ砕いているのに,との不満も出てきますが、これだけ変化を付けた信心の記事に触れても駄目なら、結局もう駄目なんだろうとも…。
      しかしその中にでも、理解しようとする人が一人でも出てくれば,それでいいのです。そう言う人が現れれば、このブログの使命は終了したと,そう思ってもいます。(名前は勿論出しませんけど、それに近い数人からのコメントを頂いています)

      他の学会系ブログから比べると,かなり変化球や、また異常にねじ曲がった変な切り口記事がこのブログには数々存在しています。でも、世の中は十人十色,百人百色、万人万色…です。こんな変なブログの記事を読んで,若しかして一人か二人でも何か感じてくれれば,私は全然満足ですね。

      と言う管理人の、貴方への答えです。

  21. あべひ より:

    葛西さんへ

    どうもmonlingen管理人さんは「仕切り直し」がしたいようですね。
    2/9付のPM9:45分付けのコメントは
    “寝不足で、何を書いているのか,どうも途中で分別出来なくなっていました。”
    ということで無効にしたいようですので、葛西さんの質問を『小さな話』とスルーしたのも『「アンチとは何?」と言う,どうでもいい話』も無効ということなのでしょう。

    再度、monlingen管理人さんに対する葛西さんの 2018年2月9日 7:05 PM の3つの質問に答えていただくということでよろしいのではないでしょうか。

  22. あべひ より:

    台湾からさんへ

    せっかくの対話に水をさすようで、申し訳ないのですが
    monlingen管理人さんの「感得」について。

    一般的には「感得」といいますと

    1 感じ取ること。深遠な道理などをさとること。
    2 神仏に信心が通じ、望みがかなえられること。
    3 思いがけず手に入れること。

    の3例の意味がweblio辞書などで確認できます。
    monlingenさんのお話では「感得」とは信仰上での「体験」のことを指すようなので
    「2」が該当するかとおもわれますが、退転者の論評話の筋としては「1」を指しておられるようにも思えます。
    つまり、退転者は「深淵な道理を悟っていない」というのがmonlingen管理人さんの持論なのでしょうが、退転した人は「功徳(または活動)の経験が“ない”」と断定されているようにしか読めないところに違和感を感じられているのではないでしょうか。

    深遠な道理を悟っている・・との説明として「合気」という武道における説明し難い概念を持ち出されたのでしょう。
    ちなみに、あるサイトでは「相手と一つにつながる技術」、あるいは「相手の力に自分の力を合わせる技術」と「合気」を説明されています。
    monlingenさんは説明的表現もいっさいなしで「「合気武道」の話を貴方達は理解しようと努力すらもしていません」などと突っぱねていますが、その時点で「合気の概念」からズレているようにも感じますけれどね。
    また、なぜか台湾さんとの対話においても「貴方達」という“集団”として話をまとめようとしていることからみても、非常に不誠実なものを感じます。

    幸い、葛西さんはそういった感情に訴えかける挑発には乗らず、相手が発した言葉の
    「意味」を探ろうとされる方なので、もうすこし対話の行く末を見守ってまいりましょう。

  23. monlingen より:

    お話しした通り、この部屋をメニューから削除しました(2018年2月14日 16:06)

    コメント削除はしませんが、これ以後ここには一切のメンテは入れません。

    MonLinGen管理人より

  24. あべひ より:

    >かなりな個人攻撃用、小手先だけの中傷等々…

    ブログのメニューから外してもブログ村の人気記事ランキングから飛んでくる方は
    多数おられるでしょうね。

    うるとらまん氏の提案では「葛西さんとの対話部屋」に管理人さんが
    集中できるようにとの配慮でしたが、メンテナンスをしないことで
    葛西さんとの対話がすすむのであれば放置されればよろしいのではないでしょうか。
    monlingenさんのステレオタイプな対話法に興味深いもの感じる拙としては、かなりの資料もそろったことですし、ありがたい限りです。

    かつてmonlingenさんは拙を分析してこのように述べておられました。

    >>私は対話の冒頭で、信心の対話をしましょう。
    >>題目をあげる人は、言葉に空回りは出て来ない、とあべひ氏、ちよさんにそう宣言しました・・・・

    10時間唱題を推奨し題目をあげている管理人さんの言葉に『空回りは出てこない』はずはありませんね。貴殿の言葉ですから。
    ところが実際にはどうでしょう?
    葛西さんがお尋ねのかなりシンプルな質問に対してですら論点をずらしたり矮小化しようとしているのはmonlingen管理人さんではありませんでしょうか。

    • monlingen より:

      あべひ某さんへ

      かなり時間をおいて見てきました。そろそろいい頃だと思います。
      これ以上中に入って野干の如きな吠えざまを晒すのは止めましょう。読んでいる人もいるでしょうけど,しかし私は一切見てもいません。何を書いているのかも知らないし、何の興味もありませんが、これ以上コメント欄にどうでもいい落書きをするのであれば、ここでの記載コメントを過去に渡って全て削除します。
      この言葉をどう取って頂いても特に気にしません。

      理由は、唯うるさいだけです。

  25. 台湾から より:

    管理人さま

    僭越ながら申し上げますと、
    貴殿のそういった言動が、「本当の創価学会を知ってください」と銘打たれたブログに記載されることに反感を覚えている方が多いことに気づくべきではないでしょうか。

    なぜ「見てもいない」コメントが「うるさい」のか?

    せめて論理的な反論を求めます。

    • monlingen より:

      台湾からさんへ

      これに関しては、一切の説明はしません。
      何故なら、理解しようがないからです。若し本気でこの話の「根源」を知りたいのであれば、「あべひ」氏のコメント投稿の記事類を全て読んで,それから貴方の判断を待ちます。

      理解の難解な「事実」に関しては,どんなに言葉を変化させて説明を試みても何も進まないと言う事は,それこそ嫌と言う程の「経験」済みです。

  26. 台湾から より:

    あと追記ですが、
    貴殿の私に対するコメントは「わかる人がわかればいい、というスタンスでブログをやっている」というものでした。

    しかし、ネット上で勝手に独自の感性に基づいた文章を垂れ流すのは自由ですが、
    相手がいる対話においてそんな言語を発する理由は、理解に苦しみます。

    削除、という手段しかないならば、ご自由にどうぞ。

    それが「本当の創価学会」なのでしょうか・・・悲しいです。

    • monlingen より:

      台湾からさんへ

      「体験」とは非常に個人的な部分を中心に出来ているものだと,私は理解しています。

      その「体験」「理解」は、自分自身の個人的「知識」の積み重ねだとも言えます。誰のものでもありません。自分自身のものです。それを説明する為に自分の出来るあらゆる事をここで試みています。
      多分一番抵抗の少ない形は、聖教新聞的に記していくのがいいのでしょうけど、これは自分の「意見」にはなかなかなり得ないことです。「思い」が入りづらいとも言えます。しかし、思いを入れるとどうしても「個人感情」が表に出てきやすいことも事実。

      そのバランスは,確かに難しいとも言えます。この事は確かにブログ開設当時から悩んでいた事でもあります…。

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