インドネシアが独立宣言文に日本の「皇紀」を採用した想い
NEWSポストセブン / 2018年2月10日 7時0分
〈我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、三百五十年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡智なスパイ網と、強靱な武力と、過酷な法律によって、圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である〉(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)
◆“黄色い人が白い人を追い出す”
インドネシア人の日本軍歓迎は、地元に伝わるある予言を抜きには語れない。
“ジョヨボヨの予言”だ。
1942年(昭和17年)1月11日、蘭印攻略戦の第一歩となる海軍落下傘部隊によるセレベス島メナドへの空挺作戦が行われた時、日本軍部隊は地元の人々に大歓迎された。というのもこの地方には“白い人に長い間支配されるが、北の方から黄色い人がやって来て白い人を追い出す”“わが民族が危機に瀕するとき、空から白馬の天使が舞い降りて助けにきてくれる”という予言が語り継がれていたからだ。これは12世紀に東ジャワのクディリ王国の王・ジョヨボヨが宮廷詩人に命じて古代インドの民族叙事詩をジャワ風に翻訳させたものが元になっている。
つまり地元の人々は、空から舞い降りてくる黄色い人=日本軍落下傘部隊を救世主の到来と捉え大歓迎したのだった。翌月2月14日に行われた陸軍落下傘部隊によるスマトラ島パレンバンの製油所に対する空挺作戦のときも同様だった。
さらにジャワ島のスラバヤ攻略戦に参加した戦車第4連隊第3中隊第1小隊長・岩田義泰中尉は、かつて私にこう語ってくれた。
「……地元の人々は我々を大歓迎してくれました。それには、こんな理由もあったんです。“インドネシアが困ったときには、北の優秀な民族が応援に駆けつけてきてくれて治めてくれる”といったような伝説が残っていたんです」
もちろん日本軍の蘭印侵攻作戦の最大の目的は、ABCD包囲網で輸入できなくなっていた石油など工業資源確保であり、日本の国家存亡をかけた戦いであった。だが同時にこの戦いは、350年にもおよぶオランダの植民地支配を終焉させ、後にインドネシアを独立させるためでもあった。
日本軍最高司令官の今村均中将の軍政は、オランダ支配下では考えられなかった地元民に対する教育および医療制度の整備、インドネシア語の普及、そして後の独立に向けた人材育成のためインドネシア人の政治意識の醸成に力を入れた。日本軍はオランダを降伏させるや、ただちに政治犯として獄中にあったスカルノとハッタを救出したことからも、日本が後にインドネシアを独立させようとしていたことは明らかだろう。
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