中国黒竜江省档案館の公開資料

こちらの報道の件。

満州国慰安婦関連文書、「料理店の仕事とだまし、慰安婦を強要」

2015/8/18 7:22
1940年代、日本軍が韓国人女性約2000人を一度に慰安婦として連れて行ったことが中国政府が保管する文書で確認された。当時、日本軍は料理店の仕事だと嘘をつき、韓国女性たちをだましたことも分かった。
17日、半官営の中国新聞網によると、黒竜江省の档案館(記録保管所)は最近、日本の傀儡国である満州国慰安婦関連文書を公開し、「1941年10月、日本軍が牡丹江綏陽県の寒葱河地域に軍慰安所を設置し、韓国人女性数十人を連れてきて慰安婦を強要した」と明らかにした。
档案館が公開した第890号、第1064号文書には、1941年10月20日、日本軍綏陽国境警察隊寒葱河隊の高橋隊長が同部隊の綏芬河隊長に部隊の事情を説明し、「この女性たちは韓国から強制徴用した約2000人の一部」と明らかにしたという内容が記録されている。特に、これらの文書は、日本軍が徴用された韓国女性に「寒葱河地域に『日本軍専用の料理店』を開く」とだまして連れて行き、慰安婦を強要したと暴露した。文書には、料理店を装った軍慰安所の設立過程と設立日、階級別の相手と許された「娯楽時間」まで書かれている。
黒竜江省档案館が今回公開した「慰安婦」関連内容は、生体実験で逮捕された人々の輸送に関する「特殊輸送」と「強制移民」を含む96件の資料の一部で、慰安婦関連は計7件だ。
黒竜江省档案館の斉秀娟館長は、「今回公開した慰安婦文書は日帝が傀儡国である満州国に伝えた文書の中から発掘したもので、世界戦争史でも唯一のこの性奴隷制度は、女性の人権を侵害し肉体・精神的に略奪した点で最も残忍で悪らつな戦争犯罪だ」と指摘した。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015081845448

黒竜江省档案館が正式に発表しているコメントが以下です。

鄢龙江省档案馆公布一批日本侵华罪证档案 作者:超级管理员 来源: 更新时间:2015-08-14

8月11日上午10时,鄢龙江省政府召开的新闻发布会,由鄢龙江省档案馆向社会公布日本侵华罪证的档案,展示部分公布结果。鄢龙江省档案馆馆长齐秀娟作主旨发布,并回答记者提问,鄢龙江省政府新闻办公室副主任新闻发言人沙育超主持新闻发布会,中央电视台、人民日报、新华社、凤凰卫视、鄢龙江电视台、鄢龙江日报、哈尔滨新闻等近50家媒体的记者参会。会后,齐秀娟馆长接受了中央电视台、鄢龙江省电视台、哈尔滨电视台等媒体采访。
本次发布会向社会公布的馆藏日本侵华罪证档案资料,共分三个部分。
一是日本移民侵略鄢龙江档案。1906年到1945年间,日本在军事侵略中国的同时,有计划、有组织、有步骤地向中国东北地区殖民。为推行移民侵略政策,日本在进行移民的同时,强行霸占中国农民土地和私有财产的暴行屡屡发生,成为日本侵华的严重罪行之一。为揭露日本移民侵略鄢龙江的罪恶行径,此次通过整理研究馆藏日本移民档案,以编辑出版《日本移民侵略鄢龙江》书籍的形式向社会发布利用。此书收录了96件档案,其中21件是首次对外公布。内容分为移民政策法令、入殖种类、计划与实施、移民土地、移民危机等5个部分,时间跨度自1932年3月至1946年2月。
二是侵华日军关东宪兵队“特殊输送”档案。此次公布的是新发现的20件档案,涉及被害人4人,时间自1939年6月9日至1941年7月25日,内容包括新京宪兵队、关东宪兵队司令部、警务部、半截河宪兵分遣队、东安宪兵队、北安宪兵队、林口宪兵分队、哈尔滨宪兵队对苏联谍报员孙连生、高凤章、尚开明、李忠发进行监视、逮捕、审讯、移送等情况的报告、处理情况通报和已被确定特殊输送的苏联谍报员病死情况的报告,为七三一部队滔天罪行再添一笔新证。由于侵华日军一直将细菌武器的研制列入“绝密”加以掩盖,因此该档案是记录关东宪兵队和731部队相互勾结共同实施罪恶活动的原始文件,是历史的真实记录。
三是日军“慰安妇”档案。本次公布的反映日军强征“慰安妇”档案共7件,是从鄢龙江省档案馆馆藏日伪档案中发掘而来的。其中6件是伪牡丹江省绥阳县绥阳国境警察队对当地日军设立慰安所情况的调查报告,包括3件绥阳国境警察队绥芬河队与寒葱河队关于当地日军设立慰安所情况的“特秘”调查报告和3件当地国境警察队特务对设立慰安所的调查与搜集当地餐饮娱乐业的反应。时间自1941年10月20日至1941年12月11日。另外1件是东安宪兵分队关于日军设立军事警察专门负责军中“特殊慰安所”、“特殊慰安妇设施”相关事务的报告,时间是1942年6月。从档案中可以看出绥阳地区设立慰安所形式为军督民办,所谓的鲜人料理店,就是日本军方设立和指定的专为军人服务的慰安所,而且女招待是“从朝鲜募集的二千名日军大陆派遣部队专用慰安妇中调集约十人到南天门”,另外在东安宪兵分队的情况报告中,明确记载“按照军部的要求,严格管理军中特殊慰安所”,又因为发生“各种违法行为”,“对于特殊慰安妇的设施,在军方迫切要求的基础上,交由宪兵队负责”,说明侵华日军在绥阳以外的地方也设立了慰安所,而且是由军方直接设立,具体由关东宪兵队负责管理。“慰安妇档案”具有最原始、最真实的特点,揭露了侵华日军在绥阳县(现绥阳镇)等地设立慰安所的历史真相,证实了慰安所的开设是有目的、有计划的日本军方行为,有力回击了日本右翼势力有关“慰安妇是商业行为,与日本政府及军队无关”的谎言。
公布的这批档案资料都编有专题目录,以供社会各界查找利用。中华人民共和国公民持本人身份证、工作证或介绍信,即可直接到鄢龙江省档案馆查阅利用这部分档案。外国组织和个人,须经中国有关主管部门介绍并提前向鄢龙江省档案馆提出申请,经批准后可以利用这部分档案。
附:日本侵华罪证档案专题目录(公布时间2015年8月11日)

http://www.hljdaj.gov.cn/hljsdajxb/ltxw/sjyq/2015/08/4362.htm

満州国の公文書ということで中国語で書かれているのか、“从朝鲜募集的二千名日军大陆派遣部队专用慰安妇中调集约十人到南天门”“按照军部的要求,严格管理军中特殊慰安所”“各种违法行为”“对于特殊慰安妇的设施,在军方迫切要求的基础上,交由宪兵队负责”などの文言があるようです。

ネトウヨらが曲解するのが目に見えていますので一応言っておきますが、黒竜江省档案館サイトの文言では「募集」という言葉を使っています。ここでの意味としては、“調達”くらいの意味でしょうね。全体としては、軍による各種違法行為が頻発したことにより軍の要求で軍内に特殊慰安所が作られたこと、軍の要求であるために憲兵が責任を負ったこと、朝鮮で調達した慰安婦2000人のうち10人を南天門に集めたこと、から軍が組織的に強制売春システムを作ったことが明白になる資料ではあるでしょうね。

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  • サトぽん

    これはすごいですね。無知な有象無象の方々のために、ちょっと補足させて頂くと、この資料は日本軍の焼け残りの資料で、精査によってどういう内容の事実が明らかになるか、注視されていたものです。おそらくは「宝の山」だろうと、思われてきましたが、やっぱりそうだったようですね。

    興味深いのは、彼女達が「調達」された時期で、1942年の関特演に伴う大量の兵力増員に伴う慰安婦調達(8000人)の、一年前の出来事になります。2000人という数が、工場の増産要員等を含むか、慰安婦単独の数字か、記事からははっきりしませんが、旧満州では工場勤務の途中で慰安婦にさせられたという証言もあります(この場合は明白に軍人が関与)。

    綏芬河は第二国境守備隊の所在地。旧満州地域は、馴染みのない地名が多いのでイメージが湧きにくいかもしれませんが、ソ満国境地帯の寂しい所です。若い女性が志願して慰安婦になることを希望するような所では、絶対にありません。

  • サトぽん

    連続投稿すいません。これ、1941年の話ですから、明白に関特演の例ですね。失礼致しました。

  • サトぽん

    うーん、三連続投稿になってしまいますが、他の方のコメントもないようですし、一連のコメントと理解して頂いて、ちょっと訂正がてらご説明を。

    読み返してみると、混乱しているのが丸わかりで、冷や汗が出てきますが、関特演時の朝鮮からの慰安婦大量動員は、1941年のことです。なぜだが、こんなことを間違えたのが運の尽き。全然、わけの分からん文章になってしまいました。まあ、気を取り直して説明いたします。

    秦郁彦氏の「慰安婦と戦場の性」に以下のような記述があります。秦氏は関特演時の慰安婦動員について、(3000人ですが)認めています。秦氏が引用した彼ら軍人たちの証言は、今回のこの文書の公表で、完全に裏付けられたことになります。秦氏と関特演の話なんか、中国の研究者は知らんでしょうしね。
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     さて、これら慰安婦たちを国境地帯の駅で目撃した出先の憲兵たちのなかに、関特演を機に満洲も軍専用の慰安所が誕生したと記憶する人が少なくない。その一人である本原政雄憲兵(虎頭憲兵分遣隊)は、十月頃だったか「軍特殊慰安所開設ニ関スル件通達」と題した関東軍司令部の公文書が来て、隊の話題になったと記憶する。
     主旨は、近く慰安所を開設するので、駐屯地司令部は 建設資材等の便宜供与をされたいというもので、それから間もなく、業者が書類をもって出頭、虎頭陣地の近くに五、六人を置く、「軍特殊慰安所」が開業した。
     虎頭から遠くない虎林には第十一師団司令部があり、 関特演で四万の兵力が一挙に十万へ膨張したが、秋に入った頃、師団の経理部に着任したばかりの海原治主計少尉が「虎林に四か所の慰安所を開設」と知らせる会報を見て、部下に「慰安所とは何だ」と聞きピー屋のことであります」「現に民間のピー屋が四、五軒あるじゃないか」と問答した。 そのうち巡察する番がまわり、行ってみると、アンペラ一枚で仕切った粗末な部屋が十余あり、兵が並んでいた。民間のピー屋が日本人主体なのに、こちらは朝鮮人が主だったという。軍医の話では「初検診でバージンや小学校の先生もいたので聞くと、女街か軍の酒保でサービスするとだまされてきたよし。帰ったらとすすめた 前借金があるので還してからでないと帰れないと語った」とのことだった。
     同じ時期に密山で、関東軍から配分された朝鮮人慰安婦を迎えた森分義臣憲兵は、県長や市の有志と合議して空き家を改造、二十数人を収容したという。森分は大要次のように書いている。
     一週間に一度、県公医と部隊の軍医が検診するのに 立ち会った。病気とわかると娼婦の部屋の入口に休業の赤札を掲示させ、守っているかどうかを臨検するのは憲兵の仕事・・・・・・娼婦になった動機を尋ねたら「家計を助けるために前借してきた」というのが殆どで、残りは「お金が儲かると友達に誘われたから」というものであった。 借金返済の終った者もいて、豪華な毛皮のコートを持っていた者、せっせと親許へと送金している者もいた。
     こうして、国境地帯を中心に軍専用の慰安所はふえていき、新京や奉天のような大都市にも開設されるようになるが、他地域と異なり、在留邦人の数が軍人より圧倒的に多かった事情もあってか、在来型である軍民共用の 遊里が主力であったことに変りはない。ただし太平洋戦争が始まり、関東軍の兵力転用で顧客が減ると、業者のなかには女をひきつれて中国などへ出稼ぎに行く例も少なくなかったようである。(P100)

    出典:慰安婦と戦場の性/秦郁彦 新潮社(1999)
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    今回発表された文書が書かれた時期と完全に一致します。

    以下に文書の写真があります。ねつ造だとかのイチャモンがつく余地は全然ないですね。警察隊の用箋を使ってますし。
    http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-08/13/content_36296710_2.htm

    国境警察隊と言うのは、満州国治安部に属する組織らしいのですが、なぜ、軍慰安所の話に警察隊がからむのか、書いてることから分からんものかと、写真から文字を判別しようとしたのですが、ちょっと無理でしたね。しかるべき方の解説を待ちたいと思います。

    旧満州の慰安所については、アマゾンのレビューのコメント欄でまとめています。一度、こちらでも客引きをしたことがあるのですが、興味のある方はどうぞ。さすがに自分でも分かりにくいと思いますが、実際に読んでくれる人はほとんどいないらしく、分かりやすくまとめる予定ですが、まあ、とりあえず資料集としての体裁があれば、当座はそれでいいかと思っています。

    http://www.amazon.co.jp/review/RRUIP7D16CE22/ref=cm_aya_cmt?