秋月櫂

わからなさ、揺らぎ、心の動を情熱的に

誰か

 

不要な人などいない。

いや、「必要」な人なんていない。

 

「なくてはならない」といえば良い響きだ。でも「なくてはならない」誰かはいつか「なくなってしまう」し、あなたにとって「なくてはならない」誰かは誰かにとっては「どうでもいい」誰かかもしれない。

 

誰かをそうしたものさしで容易く計れない。「君がいないと僕はだめなんだ」なんて言えない。仕事で「君が必要なんだ」と口説かれてもなんだかぐっとこない。

 

口にするような言葉じゃない様な気がする。

「必要」だとは言えなくてもいつだって心の中にある人はいる。僕はそれ位で十分だ。

 

職場にお荷物扱いされている50代のおじさんがいた。「仕事が全く出来ないのに俺らの何倍もの給料貰ってるなんてやってられないよな」だとか「あのおじさん1人分の予算で優秀な若手3人は配置できる」だとか。若さゆえか。恥を惜しまずそういった言葉を口走る若手がいた。

 

気持ちは分からなくもない。若手は会社に寝泊りを繰り返しながら月に半分は海外出張で疲れ切っていた。だけども、なにか違う気がした。

 

仕事は一見華やかだ。だけどもう限界だった。厳しい業界で毎日のように職場で怒号が飛び交っていた。海外でプラントを建てるというのは華やかに見えるが、プラントなんてのは一度建てたら何十年と稼動させる。同じ市場での需要には限りがある。焼畑農業のようなものだ。常に新しい市場を開拓せねばならない。

 

誰も職場の他人の心など推し量る余裕など無い。誰かが心を病むなんてのは日常茶飯事で誰も気になどしない。気にすれば自分の心も壊れてしまうからだ。

 

そのおじさんは確かに仕事はできなかった。管理職ではないから事務仕事をあてられるのだけど、エクセルもまともに使えない。プラント業界は景気の波が激しい。過去にはリストラもあった。だけど、彼は生き残った。もしかしたら管理職ではないからこそ生き残れたのかもしれない。彼には養う家族がいた。だから、どんなに居辛くても。通い続けた。とはいえ、どうしても辛いときもあった。一年に数回、休日明けに予定外のお休みをとる。だけど次の日には何もなかったかのように出社する。そんな彼の陰口を言う人は沢山いたけれど彼はさほど気にしていない様子だった。

 

ある日、どうしても会社にいけない日があった。その翌日彼にランチに誘われた。彼は辛いのかと踏み込むこともなく。もう成人したお子さんの写真を見せ、お子さんの話や家庭でのちょっとした笑い話をしてみせた。僕は最初は身構えていたけど、なんだかとてもリラックスできて気が楽になった。

 

それから彼は職場でボーっとしているように見えて、実は周囲をよく観察していること。これまで、心が壊れそうになる前に誰かの心をそっと軽くする手助けをこっそりしていたこと、を知った。きっと彼のおかげでまた頑張ろうと思い彼を追い越して出世した管理職があまたいるのだろう。

 

当たり前のことだけど、色んな人がいる。色んな尺度で「~いうひと、~でない人」とラベルを貼ることで安心する。仕事ができる人、できない人。だけど、二元的に語るというのは疲れるのだ。気づいているけど、なぜだか逃れられない。

 

僕は~な人だ。なんて要らない。僕は僕で。君は君だ。それだけだ。