ネットやテレビや映画の字幕なんかで「集った」と書かれているのを見るたび、うにょーんとした気持ちになる。
「集」の訓読みは「集まる(あつまる)」「集う(つどう)」「集る(たかる)」の3つ。だから「集った」とあれば、「つどった」「たかった」のどちらかになる、そう考えるのがふつうだろう。校正の入る小説なら間違いなくそうなる。
けれども映像の世界はどうやら字数をできるだけ少なくしたいようなのだ。だから「あつまった」と言いたいとき「集った」なんて表してしまう。そして「集った」とある場合、たいていは「あつまった」と読ませたいようなのだ。
これは、困る。次のような文だとどうなるか。
パーティーに集った人たち
「つどった」でも「たかった」でも通じる。それは前後の文脈ややりとりを見てどちらかであるか判断するほかない。しかし「あつまった」と読ませたい可能性が高い……。何と読めば良いのか考えている間に字幕はもう次の会話に移っている。正解はついにわからない。
読めるのにわからない。だから私はうにょーんとした気持ちになるのである。
あつまった は、 集まっただろ