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声優・羽佐間道夫さんが「青二プロ」創業者・久保進さんの訃報に語ったこととは?

荒川強啓 デイ・キャッチ!

TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」(月~金15:30-17:46)
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声優・羽佐間道夫さんが「青二プロ」創業者・久保進さんの訃報に語ったこととは?

野沢雅子さん、古川登志夫さん、古谷徹さんらも所属する、声優事務所「青二プロダクション」。その創業者で会長の久保進さんが2月6日、82歳で亡くなりました。

この訃報を受け、「荒川強啓デイ・キャッチ!」では、「サンキュータツオの気になる!」のコーナーで、久保さんの盟友で、声優の羽佐間道夫さんにインタビュー。羽佐間さんは初めて、メディアに胸の内を明かしました。

放送の内容はTBSラジオクラウドでお聴き下さい。
(「サンキュータツオの気になる」は28分22秒ごろから始まります)

<羽佐間さんへのインタビュー 全文>
※放送ではカットした部分も全て書き起こしてあります。

タツオ:
久保さんとのご関係は?

羽佐間:
僕が彼とともに一緒にいたのは何十年も前の話。彼は日大を出て、今の俳協に入った。そこで私たちは出会った。

タツオ:
久保さんも役者として俳協に入った?

羽佐間:
役者としてではなく、マネージャーとして入った。そこには、城達也や来宮良子など、いろんな人のなかに私もいた。俳協は集団指導制だったから、(久保氏と)接触があった。

タツオ:
久保さんについていろいろ調べてみたが、なかなか情報が出てこない。久保さんの性格は?明るい人?思慮深い人?

羽佐間:
私を含めて、思慮深い人間かどうかは分からないが(笑)、ただ、何人かで俳協を出て行って、最終的には「青二」に行き着くわけだが、「青二」では、(声優が冷遇されていたという)歴史的な背景を背負っていたわけだから、縦横無尽に仕事をして、今では押しも押されもせぬ「青二プロ」を作った。

タツオ:
柴田秀勝さんのインタビューを拝見したところ、当初、声優のギャラは役者のギャラの7掛けだったということだが・・・
柴田さんインタビュー記事

羽佐間:
確かにそうだった。ドーランもいらないし、稽古もいらない。物理的に(声優は)簡単にできるんだから「これは7掛けだ!」ということを誰かが言いだして、そういうハンディキャップがついたんだと思う。しかし、東北新社の植村伴次郎とか、そういう人たちが活躍していって、だんだん改善していった。そのなかで久保ちゃんや私たちも運動したりして、「声優」という名前の社会的地位を上げていった。彼(久保氏)の功績は大きかった。

タツオ:
「青二プロ」は最初から声優専門のプロダクションだった?

羽佐間:
そうではない。いろんな人がいたが、自然と声優が忙しくなっていった。彼(久保氏)のパートナーに「赤坂プロ」にいたマネージャーがいるのだが、そのマネージャーの影響で戸田恵子や藤岡琢也が「青二」に加わってきた。そうなると、声優の仕事がどんどん忙しくなった。さらに、(久保氏は)東映アニメーションと仲が良かったから、そこが基点となって、仕事がどんどん広がっていった。あと、日大出身も業界にいっぱいいて、作家とも仲良かったから、(それが追い風になった)と思う。

タツオ:
素人考えだが、ギャラが安い声優業だけでやっていくのは、相当大変だったのでは?

羽佐間:
我々は同じ境遇だったから、しょっちゅう集まって話はしていた。社会的地位とか権利の獲得をどうしていこうか、というのはいつもテーマに挙がっていた。彼が倒れる1年ほど前にも、ウチにあちこちのプロダクションの人たちが集まって「これは大同団結しなければいけない」と話していたが、そう言っているうちに彼が倒れてしまった。そこにはエイティワンや大沢事務所もいて、もちろん久保ちんもいたし、そうやって集まっては、ウチで会合をしていた。

タツオ:
老舗の声優事務所の経営者たちも問題意識を持ち続けていたと?

羽佐間:
もっていた。俳優と経営者という違う立場だが、お互いが話し合える場を我々はもっていた。しかし、彼が倒れてから、夢はつぶれてしまった。

タツオ:
経営者と役者、立場は違えど話し合うことはできた?

羽佐間:
久保ちゃんは20代の頃からの戦友だから「ツーといえばカー」という部分があって、多少のギャップがあったとしても、それを乗り越えられるような、そういう関係ではあった。なにかにつけては「ちょっと来て」「ちょっとおいでよ」みたいなことはしょっちゅうあった。

タツオ:
気さくな人柄だった?

羽佐間:
気さくな人。遊ぶことも好きだった。「青二」に入ってからの仲間意識はよく分からないが、「みんなでひとつの板に乗ろう」みたいなことは言い続けていた。「自分の会社を広げていって全部一緒になっちゃったらどうなるんだろう」という話はずっとしていた。もし、実現していたら大変なことだったと思う。大会社になっていたかもしれない。

タツオ:
羽佐間さんから見て「青二プロ」はどういう事務所?

羽佐間:
素晴らしく発展した事務所。青二に何かを話せば(仕事が)全部片付いてしまうような、マスメディアにとっては便利だったのだと思う。いろんなキャラクターがいるし。声優のスターもたくさんいるし。映像に関しては分からないが、声のことに関してはデパートみたいなもの。

タツオ:
昨今、声優という仕事の“枠”が広がっているが、久保さんはどう思っていたか?

羽佐間:
よく言われるだが、声優も同じ俳優。同じ俳優なんだが、なにかやっぱり意識の違いがどこかにあるのかもしれない。というのは、俳優はスターになれば、自分が一番。声優はみんなで一緒に集団で仕事をするものだから、仲間意識みたいなものが強い。結束感というか。いまも俳協でやっている連中はたくさんいるが、社会的地位とか、権利の獲得みたいな意識は声優の人たちのほうが持っている。

タツオ:
そういう中で久保さんが果たしてきた役割は大きい?

羽佐間:
大きい。たから惜しい、本当に。ここ最近は倒れていたからコミュニケーションがうまくいかないということはあったかもしれないが、本当に大きな力を失った。歴史がグッと遡ってしまった感じ。

タツオ:
最後に、久保さんに一言お願いします。

羽佐間:
(久保さんが亡くなって)万感胸に迫って、なかなか(コメントは)言えない。僕にとっての大きな柱を失った。(しかし)次の世代の人をたくさん育てているから、その人たちがこの業界を守って、うまく文化を作っていってほしいと思う。貴重な人を亡くした。

<書き起こし 終わり>