フィリピンにおける日本軍による強制連行・強制強姦の事例

「戦争と性 近代公娼制度・慰安所制度をめぐって」川田文子、1995年4月30日初版、P122、より引用。

 軍政下におかれたフィリピンの女性に対する性蹂躙は、住民虐殺、近親者の殺害などと同時平行的に、拒否すれば殺されるといった、きわめて直截な武力の威嚇を受け、駐屯地などに連行され、監禁されて行われているのが特色である。そのような被害の実態はまさに「性的奴隷化」以外のなにものでもない。それまで海外報道では、日本軍側からみての表現である「慰安婦」を直訳してcomfort womenが一般的であったが、フィリピン被害者の提訴以来sexual slaveryとなった。
 「性的奴隷化」がどのように行われたか、証言と訴状によってみてみよう。
 アナスタシア・コルテスさんは、軍人であった夫が捕虜収容所から脱走、マカピリ(日本軍協力者)に密告され、夜間、トラック二台に分乗した日本兵が家に来て捕えられた際、一緒にサンチャゴ要塞に連行された。夫はコルテスさんの目前で裸で逆さ吊りにされ、頭皮をカミソリでそがれ、爪をはがされるなどの暴行を受け、死亡した。その約一ヵ月後、コルテスさんは独房から小部屋に連れだされ、将校や兵に継続的に輪姦された。
 ロザリオ・チャリング・ノブエトさんの場合、夫がゲリラと接触、軍事教練で不在のおり、家族や近隣の男性約五十人が丘に集められ、斬殺された。残った女性や子どもは、フィリピン軍少佐の家に押し入れられ、火をつけられた。ノブエトさんはその家に入れられず、助かったが、日本軍駐屯地に連行され、性的虐待を約三ヶ月間受けた。