数えで50歳になった“アジア最高のリベロ”は今、どこで何を託されているのか

2002年W杯時のホン・ミョンボ(写真:ロイター/アフロ)

本日2月12日は韓国サッカー界の英雄ホン・ミョンボ氏の誕生日である。韓国では“永遠のリベロ”、日本では“アジア最高のリベロ”とも呼ばれるホン・ミョンボ氏は1969年2月12日にソウルで生まれたので、今日で満49歳。現在も数え年を使うことが多い韓国的に言うと、今年で50歳となる。

若いサッカーファンたちの間でホン・ミョンボというと、監督の印象のほうが強いかもしれない。

2012年ロンドン五輪の男子サッカー3位決定戦では関塚ジャパンの前に立ちはだかり、2014年ブラジル・ワールドカップでは韓国代表の監督に。2015年から約1年半、中国でも采配を振るっている。

(参考記事:容赦なき抹殺批判乗り越え中国で再起したホン・ミョンボ。決断を後押した元日本代表監督とは?)

ただ、1993年のJリーグ創設時からのサッカーファンからすると、「あのホン・ミョンボが50歳?」だろうか。それだけ月日が流れたわけだが、振り返るとホン・ミョンボほど韓国と日本を熟知している人物はいないかもしれない。

1993年に韓国人選手として初めてJリーグにやって来たノ・ジュンユン以降、数え切れないほどの韓国人選手が日本にやって来て、今やJリーグにおいて韓国勢はブラジル勢に次いでもっとも多い外国人勢力となっているが、その礎を作ったひとりがホン・ミョンボだった。

(参考記事:Jリーグ25周年の今だからこそ知りたい!! 韓国人Jリーガー、あの人は“いま”)

21歳で90年ワールドカップ・イタリア大会に出場し、92年にはKリーグ1年目ながら年間MVPを受賞。93年10月にカタール・ドーハで行なわれたアメリカ・ワールドカップアジア最終予選では韓国の主力として、オフト・ジャパンの前に立ちはだかった。

このとき、韓国は日本に0-1で敗れ、「今度、日本に負けたらスパイクを脱ぐ」と語ったとされるエピソードはあまりにも有名だ。(後日、このコメントについて尋ねたとき、「ああ、そんなこともあったね。少なくとも僕が出場した韓日戦では負けずに引退できた」と冗談半分で言い返された)。1994年アメリカ・ワールドカップではスペイン戦でFK、目の覚めるような右足ミドルを決めて、“アジア最強のリベロ”と呼ばれるようになった。

そして97年7月にJリーグのベルマーレ平塚に移籍。当時はまだJリーグでプレーする韓国人選手が少なく、その移籍を反対したファンたちから血判書を送りつけられたりもしたが、「海外移籍の最後のチャンス」と覚悟を決めて日本にやって来た。28歳のときだ。

そんな強い覚悟をもって来日しただけにチームに与える影響も絶大だった。その存在感が際立ったのが、1999年から2001年までの3シーズン在籍した柏レイソル時代だろう。

韓国人選手として初めてJリーグのキャプテンを務め、レイソルのナビスコカップ優勝に大きく貢献。「日本人選手は勝敗に対して淡白すぎるし、個人主義で人任せなところがある」と言っていた彼は、徹底した勝負根性と自己犠牲の精神を訴え続け、大事な試合前になるとチームメイトを行きつけの焼肉屋に集めて、自腹を切って決起集会を開くこともあった。

本人は「割り勘文化に馴染めなかった」と謙遜していたが、ホン・ミョンボは韓国人Jリーガーがその存在感でチームに好影響をもたらすことを示した、最初の成功例でもあった。

(参考記事:日本を熟知する“韓国サッカー界のカリスマ”ホン・ミョンボが見たニッポンとJリーグ)

そして、2002年ワールドカップ。キャプテンとして韓国代表のベスト4進出に貢献し、自身もアジア人初のブロンズボール賞(記者投票で決まる大会最優秀選手賞の3位)に輝いた。Aマッチ出場135試合はいまだ破られていない韓国サッカー史上最多記録である。

まさに韓国サッカー界の“レジェンド”であるが、今は韓国サッカー界の事務方トップだ。というのも、昨年11月にKFA(韓国サッカー協会)の専務理事に就任。KFAの会長職は現代(ヒュンダイ)産業開発のオーナーであるチョン・モンギュ氏が務めているため、実務レベルのトップと言えるのは専務理事であるホン・ミョンボなのだ。

そんな専務理事ホン・ミョンボと昨年12月に東京で行なわれた『東アジアサッカー連盟15周年シンポジウム』の会場で再会したが、その席で強調していたのは東アジアサッカー交流の重要性だった。

日本と韓国で選手生活を送り、中国でも指導者生活を経験した人物だけにその比較論には説得力十分。自身もその人的ネットワークをフル活用して東アジアのサッカー交流を推し進めたいとも言っていた。

奇しくも本日2月12日からは『AFCアジアチャンピオンズ・リーグ2018』のグループリーグが始まる。

昨季、韓国Kリーグ勢は済州ユナイテッドしかグループリーグを突破できず、その済州も浦和レッズ戦で前代未聞の暴力沙汰を起こす後味の悪い終わり方で、ACLの舞台から消えた。

Kリーグ勢が準々決勝前に全滅したのは、ACLが現行方式になってから史上初めてのことだった。後味の悪い結末だったこともあって、「もはや韓国は“アジアの虎”ではなく、“張り子の虎”だ」と皮肉るメディアも多い。

そうしたKリーグの低迷はもちろん、韓国代表も先行き不安な状況にある。

ベトナムで行なわれたAFC U-23選手権で韓国は4位に終わり、E-1選手権で日本に大勝したシン・テヨン監督率いる韓国代表も1月下旬から2月3日まで、欧州組抜きのメンバー構成で12日間のトルコ合宿と強化試合3試合を行ったが、モルトバに1-0、ジャマイカに2-2、ラトビアに1-0と、2勝1敗の成績を残したものの内容的には乏しかった。ロシア・ワールドカップで韓国を待ち受ける“死の組”(ドイツ、メキシコ、スウェーデンと同居するF組)への不安は、まったくもって拭えてはいない。

そんな状況を、かつて“アジア最高のリベロ”と称賛された韓国サッカー界の実務トップはどう打開していくのか。

数え歳で50歳になった“永遠のリベロ”が、韓国サッカーをいかにマネージメントしていくかにも注目していきたい。