奨学金破産の雇用システム的根源
朝日新聞が昨日、「奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる」という記事を一面トップで報じたようですが、
https://www.asahi.com/articles/ASL1F7SBXL1FUUPI005.html
国の奨学金を返せず自己破産するケースが、借りた本人だけでなく親族にも広がっている。過去5年間の自己破産は延べ1万5千人で、半分近くが親や親戚ら保証人だった。奨学金制度を担う日本学生支援機構などが初めて朝日新聞に明らかにした。無担保・無審査で借りた奨学金が重荷となり、破産の連鎖を招いている。
この問題については、やはりその雇用システム的根源に遡ってものごとを考えないと、表層的な良い悪い論だけではなかなか本質的な解決には至らないでしょう。
2016年9月に『POSSE』32号に載せた「日本型雇用と日本型大学の歪み」が、この問題について最低限考慮すべきことを簡潔に論じていますので、お蔵出ししておきたいと思います。
1 日本型雇用システムと雇用政策の変転
2 日本型雇用適合的教育システムと教育政策の変転
ジョブ型雇用システムを前提とすれば、労働者は採用されるために必要な資格や技能を予め身につけておく必要があります。新規学卒者が特定の職業に必要な資格や技能を身につけるためには、学校はそのための教育、すなわち職業教育を用意しなければなりません。それに対して、メンバーシップ型雇用システムを前提とすれば、具体的な職業のための資格や技能は重要ではなく、むしろどんな仕事を命じられても素直に取り組み、技能を高めていける「能力」こそが重要になります。職業教育で身につけられる具体的な職業の能力ではなく、いかなる職務にも対応できる一般的抽象的な「能力」を求める日本型雇用に応えようとすれば、その教育システムは(将来就くことになる職業の多様性に対応した)教育内容の多様性を指向するのではなく、一元的な物差しで高いか低いかのみが測られる普通教育をひたすら指向することになります。これが、乾彰夫さんが『日本の教育と企業社会』(大月書店、1990年)で「教育と社会を貫く一元的能力主義」と呼んだものであり、本田由紀さんが日本の教育における職業的レリバンスの欠如として批判してきたものです。
しかし、そうした日本型雇用に適合した教育システムは、上記雇用政策の変転に対応して構築されてきたものであるということも確認しておく必要があります。1950年代から60年代の日本政府は、ジョブ型志向の雇用政策と軌を一にして、ジョブ型志向の教育政策を唱道していたのです。上記1963年の『人的能力政策に関する経済審議会答申』は、職業に就くものは全て何らかの職業訓練を受けることを慣行化するという目標を掲げ、職業教育の重点化、多様化を求めています。当時は高校進学率が急上昇していた時期であったこともあって、焦点は後期中等教育にあり、職業高校では企業現場での実習を行うとか、普通科高校でも職業科目を教えることなどが提起され、高等教育については理工系学部における技術者養成の重要性が説かれる一方、文科系学部には言及すらされていません。
教育界はこれに対して冷ややかで、特に進歩派は職業教育を産学協同につながると毛嫌いしました。政府の職業教育主義は国民の反発で蹉跌したのです。一方、企業側は高卒者に対するOJTを中心とした養成システムを確立していき、それが日本的な「能力」主義の基盤となっていきます。1970年代以降になると、上でみたような雇用政策の転換と軌を一にして、メンバーシップ型雇用システムを所与の前提とする教育システムが確立していきます。学校で何を学んだか、何を身につけたかが問題にされず、偏差値という一元的なモノサシで評価される時代がやってきました。多様な選別を拒否した報酬は一元的な選別でしかありませんでした。
そしてその時代精神のただ中で、今度は大学への進学率が次第に上昇していきます。後期中等教育へ、高等教育へという進学率の上昇傾向は先進国共通です。これは言い換えれば大学が少数エリートのものから大衆化していくプロセスです。しかしそれが社会のさまざまな職業に対応する多様化ではなく、一元的価値観で貫かれる形で進行した点に、日本型大衆大学の特徴があると言えるでしょう。
矢野眞和さんは『「習慣病」になったニッポンの大学』(日本図書センター、2011年)で、日本型大衆大学を日本型家族と日本型雇用と三位一体のシステムと捉え、その諸外国に類をみない18歳主義、卒業主義、親負担主義という3つの特徴を指摘しています。ここで言う日本型家族というのは大学の授業料を親が負担するという点に着目したものですから、それを可能にするような年功的な生活給を企業が労働者に支払うことを含意しています。かつては大学進学率自体が極めて低かったのですから、子どもが成人に達した後まで親の生活給で面倒をみるのが当たり前というのは、1970年代以降に確立したごく新しい「日本型」システムであることに留意すべきでしょう。
そして、「日本型」システムが常識化していくとともに、それ以前に世界標準に近い形で形成されていた制度は、非常識なものとして急速に「日本型」に適合するような形に変形されていきます。国立大学の授業料は1975年の3.6万円から1980年に18万円に上昇し、21世紀には50万円を超えるに至りました。私立大学は80万円を超えています。親がそれだけの給料をもらっていることを前提とすれば、まことに常識に沿ったやり方だったのでしょう。
一方、本号の特集との関係でいえば、奨学金制度を有利子による金融事業へと大きく転換させた1984年日本育英会法改正は、学校卒業後誰もが日本型雇用システムの中で年功賃金を受け取っていくことを前提とした仕組みです。1980年代の改革を後の新自由主義につながるものとして解釈することも可能ですが、日本型雇用システムへの賞賛が最盛期に達していた時代であり、その時代の精神的刻印を濃厚に受けているということを忘れてはならないでしょう。授業料の引き上げも、奨学金の金融化も、少なくともその始まった時代には「常識」に合わせるための改革だったのです。しかし、その「常識」はやがて周辺部から崩れていきます。3 日本型雇用の収縮に取り残される教育
先述したように、日本型雇用の全盛時代は1980年代を中心とした前後20年ほどに過ぎません。1995年の『新時代の「日本的経営」』を合図に、1990年代半ばにはメンバーシップ型雇用システムの収縮が始まります。
拙著『若者と労働』(中央公論社、2013年)では、バブル崩壊後学卒労働市場が急激に縮小し、そこからこぼれ落ちた若者たちが不本意に非正規雇用に追いやられたこと、それにもかかわらず、バブル時代の延長で「フリーター」という名で呼ばれ続けたために問題意識が抱かれず、2000年代になって彼らが年長フリーターと呼ばれるようになって初めて政策対応が始まったことを説明しました。勤続とともに賃金が上昇していくメンバーシップ型正社員と異なり、前時代の主婦パートや学生アルバイトといった家計補助的労働者モデルを引き継いだ彼らは、年齢を重ねても生活ぎりぎりの低賃金のままです。
しかしながら、日本型雇用の全盛時代たる1980年代に時代精神に合わせる形で有利子金融化された奨学金制度が、そこからこぼれ落ちた彼らに襲いかかります。彼らは学生時代に、メンバーシップ型正社員としての自分たちの未来を担保に入れる形でお金を借りていたわけです。しかしその未来は不確実なものでした。不確実なものを確実であるかのように見せていたものは何か。日本型雇用への信仰としかいいようがありません。その不確実性が露呈したとき、奨学金という名の(本来教育分野における社会保障政策であるはずの)制度が、乏しい収入から毎月かなり高額の利子つき返済を強いられる制度に転化していきます。
重要なのは、これがもともと悪意で作られた制度ではない、ということです。若者がほとんどみんな正社員として「入社」でき、その後メンバーシップ型正社員として年功的な生活給を享受できるはずという「常識」が国民の多くに共有されていたからこそ、その正社員としての悠々たる未来を担保に学生に多額の金を貸すというビジネスモデルが受け入れられたのです。確かに80年代改革を主導したイデオローグには、当時アングロサクソン諸国で有力であったネオリベラリズムの影響がかなり強く見られましたが、80年代改革が広く国民に受け入れられたのはそれが日本型雇用を所与の前提にしていたからです。そして皮肉なのは、90年代以降日本型雇用が収縮し、むき出しのネオリベラリズムが唱道されるようになると、学生に自分の将来を担保に利子付きの金を貸し付けるというビジネスモデルが、原理的に正しいものとして正当化されるようになります。80年代に国民的合意の根拠となった日本型雇用の収縮と入れ替わるように、今度は市場主義的な自己責任論が正当化の根拠になっていきます。経済アクターは常に合理的な計算をして行動すべきであって、いつまでもフリーターをしていて借りた金もまともに返せないような者が悪いということになるのです。
日本型雇用の収縮は年功賃金を享受してきた中高年層にも及びます。拙著『日本の雇用と中高年』(ちくま新書、2014年)では、90年代以降のリストラが中高年労働者、とりわけ管理職クラスを狙い撃ちしたこと、追い出し部屋に送り込まれ、意に反して「希望」退職を強いられたことを述べました。しかしより広範で重要なのは、ヒト基準の職能給制度を維持したまま、(本来は職務を明確に定義することが前提であるはずの)成果主義賃金制度を大幅に導入し、「成果が上がっていない」という理由で年功的に高賃金になる多くの中高年労働者の賃金カーブを引き下げようとしたことです。そのこと自体は、(手法の是非を別とすれば)合理的と評価しうる面もあります。
しかしながら、日本型雇用における中高年の高賃金とは、西欧諸国であれば公的な社会保障で賄われているはずの教育費や住宅費といった必然的生活コストを個別企業の賃金で賄うという意味がありました。だからこそ、70年代以降先進諸国と同様に高等教育進学率が急速に上昇していったにもかかわらず、その費用の大部分を公的負担ではなく私的負担で賄うことができたのです。その私的負担を可能にしたのは、学生の親(父親)の年功的高賃金でした。矢野眞和さんのいう「親負担主義」の雇用システム的基盤です。それが90年代以降企業の経営合理性を理由に攻撃対象となったにもかかわらず、それを公的負担にシフトさせていこうというような声はほとんど上がることはありませんでした。こちらもやはり、90年代以降世の中を席巻したネオリベラリズムが原理的に私的負担を正当化する方向に働いたからです。
親の年功賃金が徐々に縮小していく中で、等しく私的負担といってもその負担主体は次第に学生本人にシフトしていかざるを得ません。こうして、かつては補完的収入であった奨学金やアルバイト収入が、それなくしては大学生活を送ることができないほど枢要の収入源となっていきます。学生本人の現在の労働報酬と将来の労働収入(を担保にした借入)によって高等教育費を賄うべきという考え方は、それ自体は市場原理主義という一つの思想から正当化され得ます。しかし、それはそういう形で正当化されて成立した仕組みではありません。日本型雇用に基づく年功賃金を所与の前提とする親負担主義に立脚して作られた仕組みです。それがいつの間にか、ネオリベラリズム的な本人負担主義にすり替えられていたのです。4 職業訓練の視角からものごとを考え直す
表面の政策イデオロギーはネオリベラル化しながら、制度の基本思想はそれが作られた時代の日本型雇用に過剰適応したままというねじれ構造の下で、もはや少数エリートではなく同世代人口の過半数を占める大衆となった大学生たちは、学生本人の現在の労働報酬と将来の労働収入(を担保にした借入)によってその教育費用を賄わざるを得ない状況に追いやられています。それを増幅するのは、依然としてエリート教育時代の夢を追って、大学とは「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(学校教育法83条1項)のであるから、職業教育訓練機関のような低レベルのものにしてはならない、と頑固に主張するアカデミズム思想です。
同世代人口の過半数が進学する高等教育機関が、職業教育訓練とは無関係の純粋アカデミズムの世界を維持できていたとすれば、それはその費用が親の年功賃金で賄われていたからであり、しかも、「入社」後は会社の命令でどんな仕事でもこなせるような一般的「能力」のみが期待されていたからでしょう。大学で勉強してきたことは全部忘れても良いが、それまで鍛えられた「能力」は重要であるという企業側の人事政策が、その中身自体は何ら評価されていないにもかかわらず大学アカデミズムがあたかも企業によって高く評価されているかのような(大学人たちの)幻想を維持していたわけです。
しかしその結果、ジョブ型社会であれば当然であるはずの、大学生が卒業後多様な職業に就き、社会に貢献することになるがゆえに、その費用も社会成員みんなが公的に賄うべきという発想が広がることが阻まれました。なぜなら、大事なのはどういう教育を受けたかによって異なる個別的な職業能力ではなく、何でも頑張ればこなせる個人の「能力」である以上、教育の中身自体を公的に賄うべき筋合いはないからです。
・・・・日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです。
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