インフルエンザ旋風が終了
中学校の学級閉鎖と合わせて、娘とインフルエンザでこもる事、約2週間!
今日久しぶりに、娘は笑顔で登校しました。長かった~~~!!
一応病人ですから 部屋で軟禁状態でしたので、娘にタブレットを占領されたり、私は小間使いの様な対応で 大変疲れました。
久しぶりに格言!
子どもは 元気で 学校へ行ってくれ!
引きこもりマンガ NO4
もし初めてご覧になる方がいらっしゃったら、毎週更新しているマンガブログの意味が分からないかと思います。
私は約4年前に3か所のガンが見つかり、20時間にもわたる手術の後、失声障がいという後遺症が残りました。その後、約2年くらい引きこもりをしていました。
今でも「腸ろう」による栄養補給で、ほぼ引きこもりですが、気分の持ちようが当時と違います。その変化をマンガにしてみようと、ヘタクソが毎日少しづつ描いては週一度、ブログで発表しています。
今回は、私の引きこもりについての4回目です。
前回は体調が安定しなかったり、抗がん剤などの辛い治療を受け入れられず、親との確執も重なった「怒り」が、幼い娘へと向かってしまった話を描きました。
今回はその「怒りの根源のひとつ」を、自ら引き離すように起こした行動について、マンガにしてみました。10ページあります。
先ずは読んでみて下さい。
詳細はマンガの後に記します。
NO4
イラストについて
何だかイラストについて記すと 言い訳くさいですね。
以前 母親が私の「声」(人工喉頭器を使用します)について語った言葉に、私が大変憤慨した話をマンガにしました。その時に母親の顔を、部分的にイラストにしました。
それを見たおっと~が「見る人に怖い印象を与える」と指摘がありました。
そう言えばマンガのキャラクターは、顔が命で、その表情などで 性格や雰囲気のイメージが決まってしまいます。
それを反省して今回は、若々しい可愛らしさを残した母親を描きました。
私の方が年寄りに見えますね。
事実と比較して
マンガに記したことは、ほぼ事実です。
メールも電話も手紙も、ただ無視したのではなく、返信をしない理由は説明の上での行動です。特にメールは、母親はEメールやLINEが出来ませんから、その設定を私がしなかったという事です。
セリフもほぼ事実で、「あなたの為だから、悪しからず」という言葉も、高価な機械を買おうとした時、それを断る私の言葉に反応して、ハガキに書いてきた言葉です。
当時 母親は74歳で、父親がアルツハイマーを発症した不安もあったと思います。また可愛がっていた初孫たちが、大学へ進学といった寂しさもありました。
兄夫婦はフルタイムで仕事をしていましたし、日中は父親と二人きり。それが母親を「私へと」向かわせた要因だと思います。
一人で病院に通う体力のなかった私に、母親が付き添いを申し出てくれました。
私の退院後は、おっと~の仕事が山積みで、どうにも休みが取れなかった時期ですから、それを有難く受けました。しかし付き添いが3回4回と重なるうちに、私の世話が「生きがい」になってしまいました。
母親目線と私目線
このマンガは、私目線から描かれています。作者が私だから当たり前ですが、これを母親目線から描くと、きっと話の展開は全く違います。
夫(私の父)がアルツハイマーになり、息子夫婦は多忙、孫は成長し自分も歳を取ります。その時に48歳の娘が重症のガンになれば、サプリメントや癌に効くと言われるモノなら、何でも買い与えたい!死なせてなるものか!
通院の付き添いに準備をして、新幹線で一緒に出かけて、一緒に食事をして、待合室で娘(私)に愚痴を話すときは、きっと充実していた事でしょう。
その気持ちは、私は本気で理解します。私だって娘がいますから。
心配は毎日、助言もします。叱咤激励と言えば、言葉が良すぎます。
では何が私の重荷になったのか?
それは「共存意識」です。
つまり母親が「必要なモノ」「大切なモノ」「価値観」イコール 私の「必要で大切な価値観」であるという「思い込み」です。
母親が良いと思うのだから、娘も良いと感じる。
母親がダメだと思うのだから、娘もダメ。
例えば「私の声がうるさい」と母親が感じたら、私も「うるさい」と感じるはずだから「あなたの声だけが大きく聞こえる」と教えてあげないと・・・という訳です。
それで私が傷つくとか、否定的に考えるとは、夢にも思っていません。
母親を拒否する娘の存在は、恐らく母親の頭には存在しません。
そういう時代の人です。私と同級生位で、きっと同様のお母様をお持ちの方は、多いのではないかと思っています。
毒親と溺愛
私の親は、一般的に話題の「毒親」ではないと思います。
毒親の本を読みましたが、多かれ少なかれ、親は子どもをコントロールしようとしたり、マイナス思考を植え付けたり、暴言を吐くモノでしょう(限度は要自覚!!)
我が親も 虐待やネグレクトはなく、昔はちょっと引っぱたく位は普通でした。アルコールや金銭的な問題も皆無です。社会的にも認められ、小綺麗で協力的で愛想もよく、納税を果たし年金を納め、子ども二人を立派に成長させました。
しかし溺愛というのか?偏愛というのか?
私の親は私を愛すると同時に、いつまでも離さず、共存を強いた関係でありました。
それを普通は、少なくとも成人に達するころには、ゆっくりと手を放すモノです。
しかし私の両親は、むしろ今でも無自覚に、いつまでも「娘は娘、親を否定なんかしない」と思い続けて生きてきました。
そしてそれを数年前まで、疑問を抱きながらも許していた私に、私が抱える「怒り」の責任があろうと思います。
3年間とその後
私が病気を期に両親から脱している間は、両親の事以外で、心底怒りを感じる事はありませんでした。(娘のテストでは、よく怒りますが)
父親は私の複雑な思いの中、先月に他界しました。
父が亡くなる前に、私の顔を見て笑った様に見えた時、その顔で全てを水に流すと決めました。それは以前にブログにも書きました。
しかしマンガのオチのようですが、3年ぶりの母は何も変わっていません。少々身体は小さくなりましたが、悪気もなく言葉を発しては私を驚かせます。
きっとこれからも変わりません。
気がついたら、長々とスイマセン!!
私事を読んでいただいて、本当に感謝しています。
もう両親の事は、マンガにしない方が良いかな?世の親孝行の方たちに怒られそうかな?ちょっと不安の中での更新です。
来週は父の法要やPETがあるので、更新は少し遅くなるかな?コメントやTwitterの返信が出来なかったらごめんなさいね!少し待ってやってくださいww
では また来週(@^^)/~~~
※PETの結果はきっと大丈夫!身体の変化はありません!5年まであと少しです!