目撃!にっぽん「家族たちのインパール」[字] 2018.02.11

112月 - による admin - 0 - 未分類

戦争に行った主人がビルマインパールの敗戦等くわしく記した物があります。
どうしたらよいでしょうか。
NHKに寄せられた元兵士の家族からの手紙。
こんにちはNHKの梅本です。
こんにちはご苦労さまです。
送り主は90歳の女性でした。
亡き夫から戦場の体験をつづった手記を託されていました。
夫が従軍したのは太平洋戦争で最も無謀といわれるインパール作戦でした。
去年8月NHKではインパール作戦の実像に迫る番組を放送しました。
戦死者はおよそ3万。
傷病者は4万ともいわれている
番組の放送後NHKに届いた手紙やメールは300通。
家族がインパール作戦に参加したという人からも多く寄せられました。
父の戦争体験を一緒に調べてほしいと手紙を寄せた60代の男性。
インパール作戦を生き延びた父は謎の紙を遺したまま40年前に亡くなりました。
父や夫は戦地で何を目撃し心に何を抱え戦後を生きたのか。
家族の記憶をたどる人々の姿を見つめました。

(砲撃音)日本軍はインドとミャンマーの国境地帯でイギリス軍との激しい戦闘を繰り広げていました。
3つの師団9万人の将兵がビルマの大河や山脈を越えイギリス軍の拠点を目指しました。
インパール作戦です。
日本軍は3週間でインパールを攻略する計画で十分な食料や弾薬を携行していませんでした。
(砲撃音)重装備で迎え撃ったイギリス軍。
日本の兵士たちは貧弱な武器で突撃を命令され次々と倒れていきました。
しかし司令官の牟田口廉也中将は作戦中止を進言する部下の声に耳を貸さず撤退を許しませんでした。
3週間で制圧するはずだったインパール。
結局誰一人たどりつけぬまま作戦は4か月後に中止となりました。
インパール作戦で犠牲となったのは3万人。
赤は作戦中主に戦闘で亡くなった人を表します。
青は作戦中止後に亡くなった人。
そのほとんどが飢えや疫病によるものでした。
全戦死者の6割が撤退中に亡くなるという痛ましい戦場でした。
NHKに寄せられた300通の手紙やメール。
その中にインパール作戦で家族はどんな体験をしたのか知りたいと手紙を寄せてくれた人がいます。
インパール作戦に参加した父は昭和53年12月に他界いたしましたが戦争のことはほとんど何も話さなかったと思います。
父の戦争体験を調べたく何かご教授お願いいたします。
千葉県に住む山下博行さんです。
インパール作戦に参加した時24歳。
数十人の部下を率いる陸軍中尉でした。
雄三郎さんは南からインパールを目指した第33師団指揮下の連隊に所属していました。
連隊の7割にあたるおよそ2,600人以上がインドやビルマで戦死しました。
過酷な戦場を生き延びた雄三郎さん。
戦後妻や3人の子供に戦争の記憶を一切語る事なく亡くなりました。
父の死から40年。
山下さんがずっと気になっていた事があります。
雄三郎さんが遺した一枚の紙です。
「インパール作戦指揮官自決陸軍少将水上源蔵」。
厚紙に筆で記されたある陸軍少将の最期。
しかし水上少将は雄三郎さんとは別の部隊を率いていた人物で戦時中2人に接点はありませんでした。
父は戦地で何を体験しなぜこの紙を遺したのか。
私たちの取材で雄三郎さんの戦友の遺族が三重県に住んでいる事が分かりました。
すいません突然。
こんにちは。
戦友の娘伊藤敏子さんです。
(鈴の音)戦友の修さんは16年前に84歳で亡くなっていました。
修さんはインパール作戦の時26歳。
雄三郎さんと同じ部隊に所属していました。
これがやっぱしいろんな本ですのやわ。
こんなん買うて読んどってんね。
修さんは戦場で敵に囲まれた時の体験を回顧録につづっていました。
そこには修さんら部下の命を懸命に守ろうとする雄三郎さんの姿が記されていました。
山下中尉が来て「皆よく聞け。
我々三十六名は聯隊と離れてしまった。
何処へ行くのか判らないが静かに隊を離れないよう一丸となって行こう」と命令された。
遠いとこね来て頂きましてすいませんでしたわ。
ありがとう。
気ぃ付けて帰られて下さい。
ありがとうございました。
当時24歳だった父は死と隣り合わせの戦場で部下と共に生き抜こうとしていました。
やっぱり何て言うんかな…。
初めてかいま見た戦場の父の姿。
しかし戦後大事に持っていた「水上少将自決」と記された紙の謎はまだ解けないままでした。
番組の感想を寄せた人の中に亡き父の戦場の記憶を語り継いでいる人がいました。
亡くなった父が「多くさん死んでしもた。
生きて日本に帰ってこられたのは十人に一人やった」と涙声で話すのを子供の頃からよく聞いていました。
中野さんは父から聞いた体験を若者へ伝える活動を続けてきました。
この日は京都の大学を訪れ学生たちと対話しました。
医師だった父親の信夫さんは33歳の時軍医としてインパール作戦に参加しました。
信夫さんが所属していたのは北からインパールを目指した第31師団。
作戦が長引く中師団は武器や食料の補給を再三にわたって要求しました。
しかし牟田口司令官は食料や弾薬がなくても戦うのが日本軍であると要求を退けました。
信夫さんは戦後「軍医でありながら飢えと疫病で倒れていく戦友に何もしてやれなかった」と話していたといいます。
8年前に亡くなった信夫さん。
晩年には孫の健太さんにも体験を伝えようとしていました。
90歳の信夫さん。
飢えと疫病で動けなくなった兵士たちが自ら命を絶っていく様を健太さんに語っていました。
やっぱりその…信夫さんは目に焼き付いた戦場の光景を絵にも残していました。
疫病で倒れた兵士。
仲間から靴を奪われただ死を待っていました。
亡くなった兵士の肉をハゲタカがあさっていました。
(読経)夫が遺した手記を私たちに見てほしいと手紙を寄せてくれた人もいました。
インパール作戦に参加した夫の富士雄さん。
16年前に亡くなりました。
50年以上の結婚生活の中で富士雄さんが戦地の記憶を語る事は長らくありませんでした。
ところが富士雄さんががんで闘病していた80歳の時「見てほしいものがある」と翠さんに切り出しました。
ここここ。
(取材者)ここからお父さんが出してきたんですか?そう。
富士雄さんが長年しまったままにしていた古いアルバム。
そこには初めて見る戦地の夫の姿がありました。
これだけは大事に持ってた…。
そして戦死した人たちのふるさとや死因を記録したメモが挟まれていました。
戦場でつづった手記は長い歳月の間に字が薄くなりところどころ見えにくくなっていました。
富士雄さんの体調が悪化する中2人で涙を流しながらノートに書き写したといいます。
富士雄さんが遺した手記です。
辺りの者はうずくまって故郷や父母の名をつげ内地に帰ったら話してくれとか自決の手榴弾をくれ食糧をくれなどといっていた。
通信のN軍曹は目鼻口からもう蛆が出入りしている。
戦友が指一本でも持って帰ろうとしたら「まだ痛い」と言った。
野戦病院という名のジャングルの死に場所である。
書き写した手記は富士雄さんが亡くなったあと息子たちに手渡されました。
インパール作戦から生還し謎の紙を遺した山下雄三郎さん。
紙に記されていた水上源蔵少将の遺族が埼玉県に住んでいる事が分かりました。
NHKの梅本と申します。
水上と申します。
遠路ご苦労さまです。
水上少将の次男澄さん95歳。
自らも陸軍将校として太平洋戦争に従軍しました。
これがあの…水上少将は軍人となった澄さんにある言葉を伝えていました。
その水上少将が戦場で自決したのは部下の命を守るためでした。
インパール作戦と同時期に行われたビルマ東北部ミイトキーナでの戦い。
水上少将が率いる部隊は圧倒的な数の敵軍に包囲されました。
命令に従えば全滅するのは明らかでした。
水上少将は部下の命を救おうと独断で撤退を指示。
そして本人はその場に残り命を絶ったのです。
父親が遺した水上少将の紙の意味を知りたいと考えていた山下博行さんです。
私たちは水上少将が自らの命と引き換えに多くの命を救っていた事実を山下さんに伝えました。
山下さんは私たちに古い音声テープが新たに見つかったと教えてくれました。
「戦友の方々の集い」。
戦時中の部下が絶望的な戦況の中父親の雄三郎さんに命を救われたと語っていました。
上官の理不尽な命令に従うよりも部下と共に生きる決断をした雄三郎さん。
一方部下の命を救うために自決した水上少将。
同じような状況に置かれた2人の運命は紙一重で分かれていたのです。
父はこの紙を見て何を思っていたのか。
山下さんは少年時代に聞いた父のある言葉を思い出していました。
戦争について何も語らず逝った父。
その思いにようやく近づく事ができました。
この日三重県の護国神社に山下さんの姿がありました。
こちらが151連隊の碑でございます。
父雄三郎さんが所属した部隊の慰霊碑を初めて訪れました。
山下さんの手には語り得ぬ記憶を抱え戦後を生きた父の写真がありました。
インパール作戦から74年。
戦場の記憶と向き合う家族の姿です。
2018/02/11(日) 06:15〜06:50
NHK総合1・神戸
目撃!にっぽん「家族たちのインパール」[字]

太平洋戦争中、多くの兵が餓死、病死した「インパール作戦」。従軍した亡き父は「俺は一遍死んだ人間だ」と語り、謎のメモを残した。戦場の真実に迫る家族の姿を追う。

詳細情報
番組内容
太平洋戦争中、日本軍の無謀な計画によって多くの兵が餓死、病死した「インパール作戦」。去年、この作戦に関する番組を放送したところ、多くの遺族から手紙が寄せられた。67歳の男性は、亡き父が残した「指揮官 自決」という謎のメモが、ずっと心に引っかかっていたという。自決した指揮官の遺族が語った真実、そして、男性の実家から見つかった戦友の証言テープから、何も語らずに亡くなった父の戦場の記憶が浮かび上がる。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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