先日、中日新聞の『考える広場』で、「元号のある風景」というお題でお話をしたのが掲載されました。小日向えりさんや、社会学者の鈴木洋仁さんがご一緒していて、個人的に触れるのが憚られていた「元気モリモリご飯パワー」について鈴木さんが正面から論じているのを見て留飲が下がった次第であります。

元号のある風景
http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=525798&comment_sub_id=0&category_id=562&category_list=562
【速報】平成の次の元号が「元気モリモリご飯パワー」に http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/52025506.html

 個人的には「元号使わなくていいんじゃないか派」です。昭和に生まれて平成になって、さらに新しい元号になるのは、パッと計算するのに詰まることも多いですからね。単純な話、公的な統計資料とかまとめてて「昭和58年から平成23年までの期間は何年ですか」って言われてもすぐには思いつかないことは多々あるし、自分含め調査をしている際に簡単な引き算足し算でもケアレスミスを誘発してしまうことだってあるでしょうから。

 もちろん、情緒はありますし、日本固有の文化なのだから、元号は引き継いでいくべきという考えも分かります。公的資料以外での必要だと思うところで使っていただく分には何も問題ないんじゃないでしょうか。

 ただまあ、この手の話をすると必ず「お前は天皇制を否定するのか」とか「効率至上主義のグローバリズムがもたらす弊害だ」などというご反応は戴くわけですよ。そういう感情も理解できないわけじゃないですけどね。「元号は日本の伝統だ」と言われても、天皇一代で元号ひとつを扱うことが決まったのは明治以降でしかないですし、和暦云々は日本固有の何かだというにはいろいろと歴史が浅すぎる感じもします。それなら太陰暦でも使いますかね?

 ひとりの保守主義者として思うのは、日本の伝統や風習を維持するにしても、日々の生活や暮らし、商いがよりよく回るために社会制度を改善改革していくという漸進的な考え方が必要だと思っています。元号をどうするのか、議論するのは大いに結構でしょう。役所の紙の形式がB5からA4にようやく変更されたのと同じように、公的な場での元号・和暦と西暦の併用を少しずつ進め、少なくとも統計資料に関しては和暦をやめるようにするだけでずいぶん違うんじゃないかと思います。

 そういう議論があってしかるべきところに、政府内では新元号の決定が「あまり早いと盛り上がらなくなる」とかシステムエンジニア殺しのようなことを仰っている方がおられるようです。

新元号の公表時期 政府が年末以降で検討 #日テレNEWS24
http://www.news24.jp/articles/2018/01/22/04383529.html

 これほんと、どうにかならないのかなあと思うんですけど、どうなんでしょうね。


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