食の安全 常識・非常識

2018年2月13日

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松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ライターに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書)で科学ジャーナリスト賞2008受賞。2011年4月、科学的に適切な食情報を収集し提供する消費者団体「Food Communication Compass(略称FOOCOM=フーコム)を設立し、「FOOCOM.NET」を開設した。

 食品添加物トレハロースが感染症流行の深刻な原因となっている、とする話題が先月、騒がれました。根拠は、科学誌ネイチャーに載った論文。トレハロースが、クロストリジウム-ディフィシレ菌(Clostridium difficile)の強毒化につながっている、とする仮説を提唱する内容で、米国の科学者が執筆しています。

「トレハロースは本当に安全か?」「致死性の感染症の急増原因」とセンセーショナルに報じられたが……

 トレハロースは糖類の一種で、でんぷんの老化防止やたんぱく質の変性防止など、食品の物性改善に働き、日本では和菓子や洋菓子、パン、惣菜等に広く用いられています。とても身近な食品添加物です。それだけに論文への関心は高く、「トレハロースは本当に安全か?」「致死性の感染症の急増原因」などの見出しが夕刊紙やウェブメディアで躍りました。海外でも報道されました。

 しかし、論文にはかなり大きな問題があり、私が見る限り、感染症の原因と言えるような根拠は、崩れ去っています。トレハロースを開発した (株)林原は、反論を始めています。ところが、論文の内容を伝えトレハロースへの不安を煽ったメディアや日本の科学者らの多くは、訂正や追加説明を行っていません。

 不安を煽るだけ煽って知らん顔、というのは許されるものではないでしょう。トレハロースは、岡山県のローカルな食品原料メーカーだった林原を、技術で勝負するバイオメーカーへと大きく飛躍させました。そのブランド価値が、論文や無責任な報道などにより、大きく傷ついています。詳しく解説します。

トレハロースを問題視する論文は矛盾だらけ

 論文は「食餌由来のトレハロースがディフィシレ菌流行株の毒力を高める」(Dietary trehalose enhances virulence of epidemic Clostridium difficile)というタイトルで、1月3日にオンライン公開され、紙で発行される雑誌ネイチャーにも掲載されました。ネイチャーは科学界のビッグネームですから、この雑誌に掲載されれば、非常に価値の高い論文と、社会的にはみなされます。

ネイチャー誌に掲載された論文。これを基に、トレハロースを危険視する記事が数多く出た

 クロストリジウム-ディフィシレ菌(日本では、ディフィシル菌と呼ばれることが多い)は、数%の人たちの大腸内に普通にいる腸内細菌の一つですが、強毒化したタイプが2000年代に入り、欧米で流行するようになりました。高齢者が病院内で集団感染することが多く、下痢などから死に至るケースもあります。米国では年間に50万人の患者が発生し、1万5000~2万9000人の死者が出ているとされています。

 論文は、強毒タイプのディフィシレ菌がトレハロースを代謝して栄養源にできることを確認し、トレハロースが欧米で食品として認可されて以降、強毒タイプの流行が起きていることから、トレハロースが流行の原因という仮説をたてました。そして、それを確認する実験をさまざま行い、その結果を仮説の根拠として説明しています。が、根拠を一つずつ見てゆくと、実にお粗末なのです。

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