元レースクイーン 廃止論争で「自分を否定されたよう」と号泣
モータースポーツのフォーミュラワン(F1)は世界最高峰自動車レースとしてだけでなく、サーキットを盛り上げるレースクイーンなどの華やかな女性たちの姿が見られることでも知られている。しかし1月31日、レース前にドライバーの看板を掲げるなどしている「グリッドガール」の廃止がF1公式サイトで発表されると、次はチームなどに所属するレースクイーンも廃止が現実になってしまうのではないかと恐れられている。ライターの森鷹久氏が、元レースクイーンの女性に今回の決定に対する思いを聞いた。
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F1からレースクイーンが消えるかもしれない──。そんな驚くべきニュースに、日本だけでなく、世界中が揺れている。というのも、以前から「性差別」だとの指摘がされており、それらの要望に「忖度」した形で「現代の社会規範にそぐわない」とグリッドガール廃止が決定されたからだ。次はレースクイーンが廃止される可能性が高まったとファンは心配し、実際に、日本国内で開催されるローカルレース大会においても、レースクイーンやコンパニオンを廃止する動きがすでにあるのだという。
「自分を否定されたようで悲しい……。この(グリッドガール廃止の)決定をした人、そして私たちの仕事を”差別”"女性蔑視”だという人たちに、直接会って聞いてみたい。私たちの仕事は、卑しくもないし、恥ずかしいものでもありません」
こう話すのは、レースクイーンを経て、現在はアパレルブランド広告や雑誌モデルとして活躍中のHさん(30代)だ。誇りを持ってやってきた「レースクイーン」という仕事について「性差別の対象」との理由で廃止が検討される可能性が高くなった。そう知った時に思わず、人目もはばからず号泣したのだという。
「芸能界にも、レースクイーン出身の方々はたくさんいます。ただ美人でスタイルが良くて、ニコニコして立っていれば良い……そう思う方がいるのも事実でしょうし、男に媚びる、性的な仕事だという人もいます。でも、決してそうではない。モータースポーツ界の発展のために、エンターテインメント的な側面から盛り上げていこうと、私たちは頑張ってきた。体型維持に努めたりウォーキングや立ち方の勉強をしたり、話し方や振る舞い方の教室にだって通った」
実際に、男性ドライバーやスポンサーの中年男性に媚を売り、イベントを盛り上げる技術ではなく、処世術のみを駆使してレースクイーン界で生き残った女性もいる。しかし、それはどんな世界でも起こりうること。男性であっても、仕事のスキルではなく処世術だけで世間を渡っている人はいる。にもかかわらず、女性だけがその手法を否定されるのならば、女性であること自体を否定していることにならないか。さらに続ける。
「こうした判断がなされること自体、私たちの権利が侵されていると感じます。この判断をした方々は私たちのことを”下品で汚いことをやっている”と指摘しているかのように受け取れます。本当に許せません」
実際に、レースクイーンやレース会場のコンパニオン役の女性は、日本国内でもこの数年で激減した。もちろん、不況からくる人員削減という面もあったが、様々な団体から「要請」が日々突きつけられ、レースを放送するテレビ局、広告代理店にも同様の「意見」が寄せられ、そのほとんどは「性を売り物にするな」という指摘だったという。だが、その指摘は一体、誰のためなのか。女性の権利のためだというなら、その女性がみずから勝ち取った仕事を奪おうとする「意見」には矛盾がある。
執拗に目につくものに向かって「性差別だ」と言い続けたら、それこそ個々人の権利や主張がぶつかり合い、生きにくい世界が形成されるのではないか。別の現役レースクイーン・Mさん(20代)も、世の中の流れに危機感を持っている。
「こういった世論を受けて、レースクイーンが登用される機会が少なくなっていたのは事実です。最初は衣装が過激だと言われ、そのうち”勝負の場にそぐわない”と言われたかと思うと、今度は仕事自体が”蔑視”だと。私たちを否定する人たちは、私たちに何か恨みでもあるのでしょうか? レースクイーンだった私達は、今後どうすれば良いのか? それは誰も教えてくれません」
差別だと批判する人がいるから、と忖度し続け、このような行き過ぎた表現規制の先には何があるのか。さらなる「女性達の危機」が待っているのかもしれないと、声を震わせる。
「反対派の皆さんの言う通りにしていけば、グラビアアイドルもダメ、モデルもダメ、芸能人だってダメ……と言うことになりかねません。男女の差別を無くそうなどと言っておきながら、やっていることは女性の自由な生き方を制限しているようなもの」
レース関係者に話を聞いても「世界的なことだから」「この流れには逆らえない」と言葉少なめだ。もちろん、レースクイーン否定派の主張には一理も二理もあるかもしれない。だからと言って、これまでレースクイーンであることに喜びを感じ、誇りを持って生きてきた人々を前にして「女性蔑視」と言い切ってしまうようでは、反対派がいう「権利」や「差別」は薄っぺらで、ポジショントークめいたものにしか見えないのだ。