東京ではしんしんと雪が降っています。
今日は、ADHDの私の劣等感と小学生の頃のお話です。
携帯電話を持ち始めてから20年以上になるが、私は自分の携帯電話の番号を覚えられたことがありません。
覚えていないと不便なので何度も何度も覚えようとしたけれど、出来なかかったのです。今も自分の電話番号は覚えていません。
3歳の息子に緊急時のために私の電話番号を教えるとすぐに覚えてしまいました。
私の短期記憶の能力は3歳児に劣るということです。
小学生の頃、私の机の引き出しの中はいつもぐちゃぐちゃでした。
引き出しにはいろんなものがいつもパンパンに入っているのに必要なプリントはどこにもなくて何度絶望したでしょう。
毎日毎日忘れ物をするので先生は何度も母親を学校に呼び出しました。
集団下校が出来なかった。
みんなと揃って何かすることが恐ろしく苦痛だった。
毎日毎日馬鹿みたいにたくさん配られるプリントを管理することはできなかった。
教室はただただうるさかった。
毎日早く帰りたかった。
私の机は席替え関係なく教卓の前だった。
先生は私を知恵遅れだと言った。
しかし知能検査をしても知能には問題がなかった。
それどころか平均より高かった。何度やっても。
先生は「この子はやる気がない子。何を言っても無駄。大人を馬鹿にしている」と言って私に冷たく当たるようになった。
こんな風に絶望的に楽しくない小学生生活でした。
それに私は知能検査の結果は間違っていると思っていました。
先生が私をいじめるために細工したのだと。
普通のことができない酷い劣等生だと思い込みました。
周りの同級生は私に比べたらみんな天才だと思いました。
本気で。
転機がやってきたのは、中学に入ってからです。
中学生になった私は勉強なんてしないどころか、授業中に黒板を写すこともなく、宿題も一度たりとも提出したことがありませんでした。それでもテストの順位は中程だったので問題ないと思ってました。
学校での舐めた態度が原因で不良っぽい子たちは友好的で、まともな子たちからは距離を置かれていました。
そんな私に危機感をもった親が家庭教師を付けました。
この家庭教師の先生に出会ったことで、私は初めて勉強というものを、何かを学ぶということを知ったのです。
先生は大学院で動物行動学を研究する研究者でした。
確か当時はモリアオガエルの研究をしてらしたと記憶にあります。
初めて先生が自宅に来た日、完全な劣等生として親は私を紹介しました。
「普通のことがまともにできない」といういつもセリフで。
先生は「そうですか」と言いました。そして親が自室を出て行った後、私の本棚を見て「遠藤周作と安部公房が好きなの?あ、『砂の女』は私も読んだことあるよ。フランス文学も読むのか~、漫画、借りて帰ってもいい?」
「あ、大丈夫です」
「うわー詩集もいっぱいある。堀口大學、ボードレール、あれ、英詩も読むの?」
「好きな作家のだけ訳して読みます」
「そうだ、私、今論文を書いているんだけど、読んでおかしいところがないか、読んでみてくれない?」
「私が?」
「そう。自分で何回も読んでると解らなくなるんだよね」
渡された論文を読み終わってから、先生は、「〇〇ちゃん、〇〇ちゃんが読んでいる本は中学一年生にしては難しい物だと思うよ。すごいよ。勉強楽しくなるよ。成績、お母さんが驚くほど上がる。私が保証するよ」と言いました。
中学一年生の私は歳よりも幼く、先生は大人の女性で、私は大人の女性に褒められた~とぽーっとなり、勉強なんてやったこともないけれどやってみようかなとぼんやり思ったのでした。
そして週一回の家庭教師の時間は私にとってとても楽しいものになりました。
先生はその後も何度も私に論文を読むように頼んだり、私が問題を解いている間はずっと漫画を読んでいましたが、先生の授業はとても楽しくて、知識を得ること、公式を覚えて問題を解くことはどんどん快感になっていきました。
そしてあっという間に母が驚くほどに成績は上がりました。
もしかして私は知恵遅れではないのかもしない。
そう思えました。
そして学ぶことの楽しさを知った私はその後、先生と同じように大学院に進学し、研究者の道に進みます。
今は論文の書いておらず、どこの研究機関にも所属していないので引退した形ですが、それでも、私の書いた論文を引用したいとの問い合わせがあったり、著作物(共著ですが)が増版されたとの連絡が入ると、好きなことをして痕跡を残せたことをうれしく思います。
それでも、幼い頃に感じたこの強烈な劣等感はずっと私の中にあります。
ADHDの当事者は能力に差があります。できることとできないことが定型者(普通の人)の基準とは全く違うのです。
そういう脳の障害です。
提出物や、授業態度、集団行動を重視する学校生活では、ADHDは私のように劣等生になりがちです。
キチンとすること。
みんなと同じにすること。
これができない子供に居場所がないなんて、おかしい。本当にそれが一番大事なことかしら?
キチンとすることが?
みんなと足並みを揃えることが?
そんなに?
そんなに?
ねえ、先生。
ねえ、お母さん。
どうか、劣等感で悲しい思いをしているADHDの子どもにこれ以上「みんなと同じにすること、普通にすること」を強要しないでほしい。
したいけどできないのです。
私にとっても家庭教師の先生がそうであったように、そんなこと大したことないから、出来ることを教えて?あなたが興味があることを教えて?そうなの、すごいね。と言ってくれる大人が周りに1人でもいると世界は変わります。
そこは居場所のある世界。自分が参加できる世界。優しい世界。