発達障害ちゃんと赤ちゃん

37歳無職。ADHD。同い年の夫(双極性障害)と2歳3か月の息子と世田谷区に暮らす。わりといつも離婚5秒前。

ADHDと学校の勉強

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東京ではしんしんと雪が降っています。

今日は、ADHDの私の劣等感と小学生の頃のお話です。



帯電話を持ち始めてから20年以上になるが、私は自分の携帯電話の番号を覚えられたことがありません。

覚えていないと不便なので何度も何度も覚えようとしたけれど、出来なかかったのです。今も自分の電話番号は覚えていません。

3歳の息子に緊急時のために私の電話番号を教えるとすぐに覚えてしまいました。

私の短期記憶の能力は3歳児に劣るということです。

 

小学生の頃、私の机の引き出しの中はいつもぐちゃぐちゃでした。

引き出しにはいろんなものがいつもパンパンに入っているのに必要なプリントはどこにもなくて何度絶望したでしょう。

毎日毎日忘れ物をするので先生は何度も母親を学校に呼び出しました。


集団下校が出来なかった。

みんなと揃って何かすることが恐ろしく苦痛だった。

毎日毎日馬鹿みたいにたくさん配られるプリントを管理することはできなかった。

教室はただただうるさかった。

毎日早く帰りたかった。

私の机は席替え関係なく教卓の前だった。

先生は私を知恵遅れだと言った。

しかし知能検査をしても知能には問題がなかった。

それどころか平均より高かった。何度やっても。

先生は「この子はやる気がない子。何を言っても無駄。大人を馬鹿にしている」と言って私に冷たく当たるようになった。

こんな風に絶望的に楽しくない小学生生活でした。


それに私は知能検査の結果は間違っていると思っていました。

先生が私をいじめるために細工したのだと。

普通のことができない酷い劣等生だと思い込みました。

周りの同級生は私に比べたらみんな天才だと思いました。

本気で。

 

転機がやってきたのは、中学に入ってからです。

中学生になった私は勉強なんてしないどころか、授業中に黒板を写すこともなく、宿題も一度たりとも提出したことがありませんでした。それでもテストの順位は中程だったので問題ないと思ってました。

学校での舐めた態度が原因で不良っぽい子たちは友好的で、まともな子たちからは距離を置かれていました。

そんな私に危機感をもった親が家庭教師を付けました。

この家庭教師の先生に出会ったことで、私は初めて勉強というものを、何かを学ぶということを知ったのです。

先生は大学院で動物行動学を研究する研究者でした。

確か当時はモリアオガエルの研究をしてらしたと記憶にあります。

 

初めて先生が自宅に来た日、完全な劣等生として親は私を紹介しました。

「普通のことがまともにできない」といういつもセリフで。

先生は「そうですか」と言いました。そして親が自室を出て行った後、私の本棚を見て「遠藤周作安部公房が好きなの?あ、『砂の女』は私も読んだことあるよ。フランス文学も読むのか~、漫画、借りて帰ってもいい?」

「あ、大丈夫です」

「うわー詩集もいっぱいある。堀口大學ボードレール、あれ、英詩も読むの?」

「好きな作家のだけ訳して読みます」

「そうだ、私、今論文を書いているんだけど、読んでおかしいところがないか、読んでみてくれない?」

「私が?」

「そう。自分で何回も読んでると解らなくなるんだよね」

渡された論文を読み終わってから、先生は、「〇〇ちゃん、〇〇ちゃんが読んでいる本は中学一年生にしては難しい物だと思うよ。すごいよ。勉強楽しくなるよ。成績、お母さんが驚くほど上がる。私が保証するよ」と言いました。

中学一年生の私は歳よりも幼く、先生は大人の女性で、私は大人の女性に褒められた~とぽーっとなり、勉強なんてやったこともないけれどやってみようかなとぼんやり思ったのでした。

そして週一回の家庭教師の時間は私にとってとても楽しいものになりました。

先生はその後も何度も私に論文を読むように頼んだり、私が問題を解いている間はずっと漫画を読んでいましたが、先生の授業はとても楽しくて、知識を得ること、公式を覚えて問題を解くことはどんどん快感になっていきました。

そしてあっという間に母が驚くほどに成績は上がりました。

 

もしかして私は知恵遅れではないのかもしない。

そう思えました。

そして学ぶことの楽しさを知った私はその後、先生と同じように大学院に進学し、研究者の道に進みます。

今は論文の書いておらず、どこの研究機関にも所属していないので引退した形ですが、それでも、私の書いた論文を引用したいとの問い合わせがあったり、著作物(共著ですが)が増版されたとの連絡が入ると、好きなことをして痕跡を残せたことをうれしく思います。

それでも、幼い頃に感じたこの強烈な劣等感はずっと私の中にあります。

 

ADHDの当事者は能力に差があります。できることとできないことが定型者(普通の人)の基準とは全く違うのです。

そういう脳の障害です。

提出物や、授業態度、集団行動を重視する学校生活では、ADHDは私のように劣等生になりがちです。

 

キチンとすること。

みんなと同じにすること。

これができない子供に居場所がないなんて、おかしい。本当にそれが一番大事なことかしら?

キチンとすることが?

みんなと足並みを揃えることが?

そんなに?

そんなに?

ねえ、先生。

ねえ、お母さん。

どうか、劣等感で悲しい思いをしているADHDの子どもにこれ以上「みんなと同じにすること、普通にすること」を強要しないでほしい。

したいけどできないのです。

私にとっても家庭教師の先生がそうであったように、そんなこと大したことないから、出来ることを教えて?あなたが興味があることを教えて?そうなの、すごいね。と言ってくれる大人が周りに1人でもいると世界は変わります。

そこは居場所のある世界。自分が参加できる世界。優しい世界。

 

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  • テモ

    こんばんは。

    PMSで寝られないためネットサーフィンしてたらこのブログに!
    感動しました。うちとおなじです。
    40歳。もうすぐ3歳の息子。
    私は産後、双極性障害発症。その後ADHDグレーゾーンかも?
    お薬飲みながら子育てしています。
    多分、両親共々発達障害なので個性的な家に育ち、アダルトチルドレン、境界性人格障害なども患っているのではと思っています。
    夫も多分、アスペルガー?グレーゾーン?

    多分が多いですが(((^_^;)

    ADHDの女性がアスペルガーの男性に引かれやすいとネットで見たことがありますが、本当にブログを見たのは初めてだったので、うちと同じで嬉しくなりました(*^^*)
    また、度々訪問させてくださいm(__)m

  • はるまき (id:unohitomi)

    テモさん、こんばんは^_^
    コメントありがとうございます。
    いろいろと共通点が多いですね!
    双極性障害を治療しながらの子育て、大変なことも多いと思います。私のブログが少しでも気晴らしになれば嬉しいです。

  • テモ

    こんばんは。
    お返事頂けるなんて嬉しいです♪
    ありがとうございますm(__)m
    今日は生理で眠れません(((^_^;)
    2時までに眠れなかったら睡眠薬飲みます(((^_^;)

    ほんと、はるまきさんのブログ見てたら共通点が多くて、ホッとします。私は双極性障害になってから自分の発達障害に気がついたのですが(発達障害の診断は受けていません。私は検査して欲しいのですが、主治医が生活に支障がないなら検査しないとのことだったので、検査してくれません。なので、主治医とは「発達障害っぽい」ってことで落ち着いています(((^_^;)「ぽい」ってなんじゃいな?と思いますが、そんな感じです。つまり、グレーゾーンなんでしょうか。)今まで、何か自分は他の子と違うとずっと思ってきたから、謎が解けて、しかも、私だけが他の子と違うと思っていたら、ただの「ADHDあるある」だったので、「なーんだ」という感じでホッとします。なので、今は「あるある」を見つけるのが楽しいです(*^^*)♪
    ただ、個性かと思ってたのにただの「あるある」だった面もあるので、少し残念です(((^_^;)

    はるまきさんの旦那さんを好きになったきっかけも、文章だけで、旦那さん、私のタイプです(笑)うちの主人もそんなかんじです(笑)高倉健かよ。くらいの「コミュニケーション、不器用ですから。」みたいな(笑)主人のことは、母性がくすぐられるというか、「私だけは分かってあげられるよ」とか思いました(笑)

    夫婦喧嘩の感じとかも、「分かるー。」って感じです(((^_^;)「エスカレートがやめられない、止まらない」ってかんじですよね(笑)私だけがアタマおかしいのかと思って悩んでたけど、ただの「あるある」なんですよね(^_^)良かったo(^o^)o

    はるまきさんのブログ、全てはまだ読ませて頂けてないのですが、「ああ、ホッとするぜ」と思いながら、読ませていただきますm(__)m

    お互い、定型発達の人よりは少し大変な人生ですが、定型発達に生まれてたら見えなかった世界を見てきたと思えば、ある意味、濃い、厚みのある人生ですo(^o^)oこの経験をできれば良い意味で子育てに生かせられればと思っています。

    私は双極性障害なので、はるまきさんの旦那さんの気持ちも分かるので、急性期とかは、本当に人格変わるので、ただただ、テレビでよく見る脳の不思議を体感したという感じです。
    今は炭酸リチウム飲みながら寛解期ですが、急性期の時は本当にしんどかったです。「なった人でないと分からない」とはこのことです(((^_^;)全く子育てできませんでした(((^_^;)ゼロです(((^_^;)半年です(((^_^;)

    長々とすみません。これもADHDだからかなと思ったり(((^_^;)ではでは、おやすみなさいm(__)m

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