[翻訳] 新カースト「インド・アングリアン」の勃興
インドの最も新しく、かつ最速で成長しているカーストよ、こんにちは
2012年か13年のいつだったか、筆者の娘たちは母語のコンカニ語で話すことをやめた。何がそうさせたかは定かではないが、おそらく彼女らのムンバイの学校が生徒に家庭でもっと英語を話すことを奨励していたのがきっかけだ。あるいは他のなにかかもしれない。それは問題ではない。
問題なのは、うちがときどきの散発的なコンカニ語会話以外、ほぼ排他的に英語を話す世帯になったということだ。インド都市部の富裕層全体に我々のような多くの家族が群れをなしており、成長途上で喋っていた言語でなくもっぱら英語を話している。
これらの家族のいくらか、あるいは少なくともこれら英語を話す世帯の親たちは、英語で話すのと同じくらい母語で話そうと試みる。しかし、これらバイリンガル世帯においてさえ、英語は依然支配的である。子供たちにとって、二三の単純なフレーズ以上にインドの言語で話すことは骨が折れる。他方、英語は自然に出てくる。彼らのもつ語彙は英語のほうが大きく、複雑な思考や主張を遥かに簡単に表現させてくれる。
筆者は家庭でもっぱら英語を話すこれらの家族を指す用語なり頭字語なりフレーズなりを探していた。彼らはインドの人口動態において、あるいはむしろ心理動態において影響力のある部分である。富裕で、都市住民で、高等教育を受け、通例はカースト間や宗教間結婚をしている。筆者は彼らをインド・アングリアン(Indo-Anglians)と呼ぶことを提案する。1
インド・アングリアン
インドにおける英語を話すコミュニティの元祖であり、キリスト教徒であるアングロ・インディアン〔英系インド人〕とは異なり、インド・アングリアンはヒンドゥー教徒が圧倒的ではあるものの、すべての宗教を含む。また、インド・アングリアンは高度に都市的でもあり、インド7大都市(ムンバイ、デリー、バンガロール、チェンナイ、プネー、ハイダラーバード、コルカタ)に集中し、少数が丘陵地の小都市やゴアに散在している。
これらの都市の内部で、彼らは特定の地区に集住している。すなわち、グルガーオンおよび南デリー各地、南ボンベイおよびバーンドラーからアンデーリーにかけての西部郊外、インディラーナガル、コーラマンガラおよびバンガロール外環道のゲーテッド・コミュニティ、サルジャープラ、コーレーガーオン・パーク、カルヤーニーナガル、ガチバウリおよびハイテク・シティその他である。彼らは経済的にインドの上位1%にほぼ収まり、海外の中間層と比較可能な消費バスケットをもっている。彼らの子供たちはインターナショナル・スクールに通い、アールヤ、カビール、カイラ、シャナーヤ、ティアなどの「先進国ヨガネーム(first-world yoga names)」2を付けられている。
筆者はインドにおけるインド・アングリアン世帯の数を約40万と見積もっている。これはもちろん推測である。先行研究は存在せず、最も実像に迫る公式データは2001年国勢調査で、これは22万6000人のインド人が第一言語として英語を話すと述べている。40万世帯という見積もりの根拠は註に掲げた。3
これら40万のインド・アングリアン世帯は140万人未満にあたる(40万×3.5、これらの世帯は比較的小家族である)。これはインドにおいて第二言語として英語を話すと主張する1億3000万から1億4000万人―英語可用者(English Comfortables (ECs))とする―の約1%である。また、英語が第一言語と考えられる2500万~3000万人の約5%未満であり、彼らを英語第一話者(English First (EFs))とする。4
次の図でわかりやすくなるだろう。
インド・アングリアン世帯の大多数は、筆者のケースのように、過去10年の間に出現した。そして、これからの5年から7年で、急増することになるだろう。西洋化の進行、英語教育需要、そして、より決定的には、カースト間あるいはコミュニティ間結婚という、インド・アングリアン世帯が生まれるただ一つの最大の要因(両親の母語が異なれば、子供は普通、最終的には英語を話すことになる)の増加によって、数字の上では倍増さえありうる。インド・アングリアン世帯の急速な出現と継続的増大には、社会、ビジネス、そして政治にとって重要な含意がある。検討してみよう。
社会
インド・アングリアン世帯の相当な部分は、異なるコミュニティ(およびカースト)成員の間の結婚を経ている。逸話的データに基づいて、思い切って言えば、インド・アングリアンの結婚の過半数は伝統的上位カースト間のものである。ただし、彼らには「支配カースト」すなわち上昇可能ながら歴史的には下位のカースト、例えばヤーダヴ出身の成員もいる。ひとたびインド・アングリアンの枠内に受け入れられると、成員たちは自身の伝統的カースト・アイデンティティをインド・アングリアン文化の中に混ぜ込む。カーストはインド・アングリアンたちの間ではめったに議論されず、カースト的、または宗教的慣習もほとんど行われない。
大半のバラモンおよびすべてのバニヤーにとっての核心的カースト規範である菜食主義を取り上げよう。インド・アングリアンの相当数が菜食者であるが、彼らは肉、あるいは牛肉さえ食べるパートナーとの結婚に反対しない。彼らはパートナーが家庭で肉を調理することや、その出前を頼むことにも反対しない。家庭で非菜食料理に異なる食器を使うこともないようだ。実際、ある世帯で、筆者は菜食者のパートナーが肉を避けるためにグレーヴィー〔ここではとろみのあるソース一般を指す〕を掘り返しているのをときおり見かける。菜食者と非菜食のために食器を使い分けることに表れる儀礼上の穢れの概念は、このようなインド・アングリアン世帯にはめったに存在しない。
このことは私にインド・アングリアンについて2つの違う見方をさせる。一つは、彼らをカーストレスな、あるいは「ポスト・カースト」的コミュニティの例としてさえみることで、そこでは伝統的なカースト・アイデンティティは新たなインド・アングリアン・アイデンティティの下に組み込まれている。もう一つのアプローチは、筆者にはこちらが好ましいが、上位の諸カーストと並び、独特の文化的規範と実践を有する一個の「カースト」として彼らを見ることである。カーストへの包摂と内婚の鍵となる基準は、高度な英語スキル(およびそれに付随する信頼)である。
インド・アングリアン世帯の成員は、もし潜在的パートナーが優れた英語を話し、インド・アングリアン・サークルに適合的であれば、非インド・アングリアン世帯の成員と喜んで結婚するだろう。この点から見れば、インド・アングリアンはインドの最も新しく、かつ最速で成長しているカーストであり5、包摂への必要条件として生まれが関係ない唯一のカーストである。筆者の考えではこれは極めて重要である。というのも、これにより、インド・アングリアン・カーストは伝統的な被抑圧コミュニティ―英語教育と西洋化された文化との接触から利益を受けてきた指定外後進カースト(OBCs)、ダリット―出身者に拡大の門戸を開いているからである。
インド・アングリアンは宗教的だろうか? 伝統的な感覚ではノーである。彼らは寺院に頻繁に通わないし、宗教的儀式も行わない。すなわち、ソフトな文化的伝統に従い、ときたま盛装する等々、彼らは筆者が呼ぶところの「ファブインディア宗教的(FabIndia religious)」なのである。とはいえ、彼らにはスピリチュアルなニーズがある。というのも、根無し草的なあり方、親族との限定的なやり取り、そしてアイデンティティ形成をキャリアに依存しているせいで、他の大半のインド人コミュニティよりもはるかに孤独で、神経をすり減らし、感情的に張りつめているからである。
これらのニーズに応えるために、彼らはシュリー・シュリー・ラヴィ・シャーンカルやサドグル・ジャッギー・ヴァースデーヴのような新時代のグルに頼る。彼らの台頭はインド・アングリアン(および英語第一話者セグメント)の出現と並行していた。あるいは彼らは創価学会のようなヒンドゥーの枠外での活動に没頭しさえする。そして、彼らの数が増えるにつれ、より多くの新時代のグルや活動がこれらの富裕でスピリチュアルな消費者たちから利益を引き出すことになりそうだ。
ビジネス
インド・アングリアン人口が増加するにつれて、彼らの膨らんだ財布から利益を引き出すべくいくつかのビジネスやセクターが出現してきたが、最も注目すべきはメディア(このセグメントは独特なので、筆者はそれについて長々と書くつもりはない)および教育セクターである。教育セクターはインド・アングリアンを生み出すと同時にインド・アングリアンによって形づくられるので重要である。特に興味深いのは、インド・アングリアンの子供たちのための別個の教育経路が過去10年ほどでインド人教育企業家によって生み出されたことである。
詳しく述べよう。よりストレスの少ない探求型教授法を約束する新時代の学校は、90年代にインドのほとんどの都市に設立された。超競争的な暗記型の学習と教授のスタイルで育ってきた親たちは喜んで従った。このシステムを通じて生み出されるのは、穏やかで角のない子供たちであって、両親がそうであったような百戦錬磨の虎ではない。これは彼らが大学学部教育のために米国や英国に行こうとするなら、まったく結構なことである。インドに残った者たちは、国立法科大学やスリーシュティー美術大学、シンバイオシス大学、マニパール大学などの競争性がより低いながらも「一流」の教育機関に進む。
時とともに進歩的な学校出身の学生数は増え、法科大学やシンバイオシスなどの他の安全な選択肢さえも競争的になった。これが現在の、シヴ・ナガル、OPジンダル、ムンジャルなどの企業立大学6の新たな波の出現をもたらした。ゆえに、代替的な低競争的教育経路は全体がインド・アングリアンのニーズに応えるために出現し、ホーリスティックな学習、教養との接触、そして円熟した人格の完成を強調する。入学資格は無情な切り捨てや入学試験の成績によってではなく、ホーリスティックな評価と意図的に曖昧な規準を通じて決まる。
教育およびメディアセクターと同様に、インド・アングリアンや英語第一話者の世帯から利益を引き出そうと他のビジネスも現れてきている。これらのうち最も注目すべきはオーガニック、またはヘルシーな食品および化粧品ブランドである―24マントラ、フォレスト・エッセンシャルズ、カーマ・アーユルヴェーダ、ロー・プレッサリー、エピガミア、ペーパーボート等を想像してほしい。レストランはこれらのセグメントを狙うもう一つのカテゴリである―スターバックス、ソーシャル、ホッピポーラ等。つまり、この心理動態上のセグメントに狙いを絞りすぎるブランドは、このセグメントがたった2500万~3000万人の規模であるなら、成長が頭打ちになるリスクを冒してもいる。
過去数年における24マントラ、コンシャス・フード、プライド・オブ・カウズ等のオーガニック食品ブランドの急速な出現は、特に興味深い。これらは非オーガニックな競合品と比較して、実に高価な商品であるが、インド・アングリアン世帯はそれらが与える健康上の利点のために喜んでプレミアムを支払う。このプレミアムの支払いによって、彼らはインド人中間層の伝統的な守銭奴マインドセットから逸脱している。プレミアムの支払いに乗り気である明白な理由の一つは、これらの商品が「シグナル」商品に類似しているからである。文化的商品の使用または所有も、より広い世界に対してあなた自身のステータスを示すのであり、テスラやプリウスを運転することがあなたについて何かを伝えるのとまったく同じことである。
インド・アングリアンはシグナル商品が大好きであるが、それはこれらの商品やブランドの使用や誇示がアイデンティティの強化を助けるからである。彼らのアイデンティティは商品選びを助け、それから、それらの商品が彼らのアイデンティティを形成する。そのような、インド・アングリアンにとって重要なブランドとは、アップル、ネットフリックス、ファブインディア、アノーキー、グッド・アース、ニームラーナー、スターバックス等である。
政治
インド・アングリアン、あるいはより広く英語第一話者セグメントは、選挙に影響を与えるほど大きくない。インディラーナガルやバーンドラーやDLFフェイズVのような、彼らが集中する都市や関係する選挙区においてでさえも。筆者は、次の10年でこれらの選挙区のいくつかと1つの州(ゴア、以下で述べる)において、時とともに彼らは重要になると考えている。つまるところ、彼らは立法への干渉に関するかぎり、取るに足りないままであろう。それでは、彼らはどのようにして政策や政治に影響を与えるのだろうか?
非政府組織を通じた司法的アプローチおよびアクティヴィズム、シンクタンクを通じた政策への干渉、メディア報道への影響力行使等は、政策に影響を与えるのにインド・アングリアンと英語第一話者が好むルートである。インドで生じてきたところの、立法の領域の司法への明け渡し〔=司法積極主義〕は、この点でインド・アングリアンや英語第一話者にとって望ましい。というのも、それが今日のインドにおいて彼らが政策や決定に影響を与えうる方法だからである。したがって、たとえインド・アングリアンや英語第一話者が立法をめぐる政治から完全に撤退していたとしても、司法の干渉は立法権力を補うものとして発展してきたのである。インド・アングリアンおよび英語第一話者が撤退したもう一つの領域はインド行政職(IAS)およびその他の官僚組織であるが、彼らは「プロフェッショナル」なルートを通じて、ニーティ・アーヨーグ、アタル・イノヴェーション・ミッションのような影響力のある政策形成組織に加わることで、政策に影響を及ぼしつづけている。7
立法におけるインド・アングリアンの重要性の唯一の例外はゴアだろう。そこには筆者の見積もりで(人口180万のうち)約1万のインド・アングリアン世帯がある。ますます多くの州外出身のインド・アングリアンが、他のインド・アングリアンの存在のほか、西洋化された文化、人気のレストランやビーチに惹かれて、ゴアのセカンドハウスに投資するようになっている。そこは定年後の行き先としても人気になりつつある。時とともに―おそらく20年のうちに―ゴアがインド・アングリアンの拠点に変わるのを目にすることになる。筆者が同様な希望を抱いている他の州はメーガーラヤだけであるが、中心的な都市からそこへの距離が意味しているのは、エリートのインド・アングリアンがそこに移ることはありそうにないということである。
グルガーオンは、筆者の考えでは、インド・アングリアンが選挙を左右しうるような影響力のある投票ブロックとして台頭しうる唯一の都市である。他の大都市においては、ムンバイの西部郊外やパワイ、バンガロールのコーラマンガラやインディラーナガル等のような将来的に出現するいくつかの地区(州議会、あるいは連邦議会の選挙区に等しい)があるだろう。とはいえ非立法的ルートを通じて政策に影響を及ぼす彼らの能力に鑑みて、インド・アングリアンが選挙に影響力を行使できないことに悩んで眠れないということはなさそうである。
目に見えない階層
インド・アングリアンとはパラドックスである。彼らはインドで最も目立つと同時に最も目に見えない階層である。筆者は後者のフレーズを彼らのインド社会における一個のカテゴリとしての出現という文脈で用いるが、それは多くの人の目には見えない。彼らはエリートのなかで一塊になり、通常は英語を話すエリート階層として描かれる。しかし、周知のように、すべてのエリートまたは富裕層が英語を話すわけではない。そして、必ずしも用語の厳密な意味で富裕ではないインド・アングリアンも多い。彼らは独自の嗜好、振る舞い、関心、そしてニーズを有する文化的な階層またはカーストとしてますます台頭しつつある。
インド・アングリアンたちは自らをカーストと看做さないが、カーストと看做されるための鍵となる条件を満たしている。すなわち、カースト成員の結婚制限である。カーストに加わるための基準は優れた英会話スキルと、インド・アングリアン・サークルを導いていくための信頼のみである。それは大半の成員がそのような信頼を与える特権的な出自(あるいはサヴァルナの出)であることを助長する。ただし、強固な壁があるわけではないし、今日のインド・アングリアン・カーストには伝統的には下位カーストと考えられるカースト出身の成員が十分にいる。典型的にはカースト間結婚を通じて8、ひとたびインド・アングリアン・カーストに入ると、成員たちは自らの伝統的カースト・アイデンティティをインド・アングリアン・アイデンティティに組み込む。そうして彼らは「ピープル・ライク・アス」になるのだ。
インド・アングリアン・アイデンティティはまだ完全に固まったり安定したりはしていないが、このコミュニティの数が膨張するにつれて発展しているし、その膨張は急速に起きている。このコミュニティがいかに発展し、変わりゆくインド共和国を形づくって(そしてそれに形づくられて)いくかを目にするのは非常に魅力的であることだろう。
註
「インド・アングリアン」という語の既存の用法は、「インド・アングリアン文学」の文脈のもので、英語で書くインド人を指す。この用語は従前のように広く使われてはいない。 ↩︎
Mintの記事"The classof Kaira, Shyra and Shanaya in Bollywood“による。 ↩︎
筆者は40万世帯という数字にたどり着いた。最初の手がかりは教育上の選択、すなわち、年間10万ルピー超の学費を取るような、IB/IGCSEカリキュラムを提供するインターナショナル・スクールや、新時代あるいは伝統的ICSE/CBSEエリート校のような進歩的学校教育に対する需要である。筆者の見立てでは、子供を進歩的学校に送る世帯のうち、75~80%がインド・アングリアンである。2つ目の手がかりは、インドにおけるネットフリックスの有料会員数である。両方の計算が、インドにおける約40万のインド・アングリアン世帯という数字で概ね一致している。以下に詳細を添える。
まずはより単純なので、ネットフリックスからである。ネットフリックスはインドに500万人の会員をもち、その6~8%が有料会員である。ここから30万~40万という有料会員数が導ける。データはカウンターポイント・リサーチによる―リンクを参照。
進歩的学校教育の計算はやや長くなる。筆者はハイダラーバードを基礎に選び、それから全国規模の数字を見積もった。筆者はハイダラーバードから代表的な学校(名前は伏せる)を選んだ。800未満の世帯からの1300人の生徒を有し、うち90%つまり700世帯が家庭でもっぱら英語を話す(学校経営陣による計算)。したがって、進歩的学校が抱えている生徒数の50%という比率がインド・アングリアン世帯である(生徒1300人対700世帯)。筆者はハイダラーバードにおける進歩的学校の全生徒数を5万人と見積もり、したがって、2万5000世帯となる。
500万人の人口を有するハイダラーバードには2万5000のインド・アングリアン世帯がある。他の都市について見積もった数字は以下のようになる。
1. ムンバイ:2000万人、12万5000世帯
2. デリー首都圏:2000万人、10万世帯
3. コルカタ:1500万人、2万5000世帯
4. バンガロール:800万人、5万世帯
5. チェンナイ:700万人、3万5000世帯
6. プネー:600万人、4万世帯
7. ゴア:100万人、1万世帯
8. インドの他地域:1万世帯
ゆえに、全インドで計42万世帯、すなわち、40万世帯未満である。 ↩︎2001年の国勢調査は8600万人が第二言語として英語を話すとしている。筆者の調査では、この数字は2017年には1.5倍の約1億3000万人に増えている(背景には都市化、英語教育の成長など)。これら1億3000万人を流暢さのレヴェルで分類する。1億3000万のうち多数派は英語が一通り使えて、流暢に話したり返事を書いたりするが、英語第一話者、すなわち英語で考え、英語でのコミュニケーションや英語のコンテンツの消費を他のものより好む者ではない。この英語第一話者のインド人の規模を見積もるのは難しいが、筆者は1億3000万人の約20~25%がそうだと考える。すなわち、約2500万~30万人、インド人口の約2~2.5%である。2017年のインド読者数調査によれば、これはインドにおける英字紙の正規読者数と一致してもいる。 ↩︎
タイムズ・オブ・インディア紙の結婚情報欄にコスモポリタンというサブカテゴリがあることに注目すべきである。これはつまりインド・アングリアンの別名である。 ↩︎
筆者の以前の投稿”We got into IIT/IIM but our kids won’t“を参照。 ↩︎
”Niti Aayog to hire more professionals“, The Economic Times 9 November 2017. ↩︎
カースト間結婚、あるいは宗教間結婚は、夫婦の子供が英語を話すようになる可能性を大きくする。これは両親が自ら互いに対して英語で話し、子供が英語を話す彼に似たような子供がいるインターナショナル・スクールに通う可能性が大きくなるということである。 ↩︎