小野塚知二『経済史』
小野塚知二さんより『経済史』(有斐閣)をお送りいただきました。ありがとうございます。早速通読させていただきました。大変面白かったです。
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641165151?top_bookshelfspine
経済はなぜ成長するのか? 人類はいかにして生存してきたのか? 経済はいかに成長してきたのか? これらの問いを入口として,近代前から,分業,市場,貨幣といった経済学の用語のみならず,権力,文化,共同体等人文科学の基本的な概念も用いて俯瞰する歴史。
一応教科書的な本なのですが、中身はそれをかなり超えて、現代社会を歴史的に考えてみようという人にとって、いろんなところで考えるヒントを提供してくれるような本だと思います。
「はじめに」に「本書の使い道」が3つ書かれていて、第1は経済学部、経営学部の経済紙、経営史の講義用教科書で、そこでも
本書は経済史への「入門」-その反対は「破門」-という大げさなことではなく、ちょっと経済史という分野を齧ってみようという方のための教科書・・・
と、やや韜晦気味の言い方をしていますが、いやいや下手すると「破門」かもしれませんよ。
第2は大学の様々な学部の一般教養における経済学、歴史学の教科書ないし副読本だといって、まあ確かに労働法をはじめとする法学を勉強する人は、これくらいの知識は頭に入れておいてほしいという感じです。
第3は、著者がひそかに重視しているというもので、学校教育をすでに終えて、現在は社会人として生きている方々に、現在を知り、未来を切り開くために読んでもらいたいという使い道で、そういう意味で本書はよくできていると思いました。
序章 経済史とは何か
Ⅰ 導入──経済,社会,人間
1 経済成長と際限のない欲望/2 欲望充足の効率性と両義性
Ⅱ 前近代──欲望を制御する社会
3 総説:前近代と近現代/4 共同体と生産様式/5 前近代社会の持続可能性と停滞/6 前近代の市場,貨幣,資本
Ⅲ 近世──変容する社会と経済
7 総説:前近代から近代への移行/8 市場経済と資本主義/9 近世の市場と経済活動/10 近世の経済と国家/11 近世の経済規範/12 経済発展の型
Ⅳ 近代──欲望の充足を求める社会・経済
13 産業革命/14 資本主義の経済制度/15 国家と経済/16 自然と経済/17 家と経済/18 資本主義の世界体制
Ⅴ 現代──欲望の人為的維持
19 近代と現代/20 第一のグローバル経済と第一次大戦/21 第一次大戦後の経済/22 第二次世界大戦とその後の経済/23 第二のグローバル化の時代
終章 「現在」「未来」をどう生きるか
読む人の関心によって、取り上げたくなる部分も実に様々でしょうが、ここではいささか斜め横的な視点から、いくつか気になったところを、
なんというつまらないところに目をつけるのか、と思われるかもしれませんが、私が読み進めながらやたらに気になったのは、「労指関係」という字面でした。「労資関係」でも「労使関係」でもなく「労指関係」。「指」は指揮命令者の「指」なんですね。なまじ労働法的感覚からすると、それは「使用者」の「使」とどこが違うのかということになるのでしょうし、日本型雇用システムを前提とすると、「使」は」結局個別企業の使用者であって、「指」と大して変わらないことになりますが、「労使関係」を英語に直すと「Industrial Relation」であって、企業を超えた使用者サイドと労働者サイドの関係なんですね。ただ、そこのところをきちんと説明してくれていないので、読者がどこまでこの字面の意味を理解できるのかな、という感じもしました。
あと、最後近くのところで、ネオ・リベラリズムについて論じているところで、こう述べているのは、本ブログでも何回か指摘してきたところです。
介入的自由主義への忌避感の蔓延こそが、ネオ・リベラリズムの支持基盤を形成してきたのです。この忌避感は、「個人の尊厳」「自立・自律する個」・・・「自分の生き方は自分で決めたい」・・・などの言説に表現されてきました。そして、この忌避感は、じつは1980~90年代に初めて表明されたのではなく、1960年代末の世界同時多発的な学生・労働者反乱において原初的には表明されていました。この反乱・暴動の直接的な原因は各国の状況に応じて多様ですが、共通点は介入的自由主義の社会における主体性の形骸化への反発でした。しかしこの時の異議申し立ての論拠となった諸種の左翼言説も、また介入的自由主義の指導者原理の色彩を強く帯びていたため、提起された問題を解決できずに「挫折」しました。その後を引き取る形で、ネオ・リベラリズムは徐々に支持基盤を拡張し、1970~90年代に先進諸国が高い成長率を維持する可能性を喪失する過程で、大きな影響力を発揮したのです。
本ブログでは、もう10年近く前ですが、トッドの議論に触発される形で、こんなことを書いたことがありました。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-3b5a.html (1968年がリバタリアンの原点)
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コメント
先生御紹介のとおり、とても勉強になる文献かと思います。
でも、ちょっと表紙が怖いです(すみません。)。
投稿: いーちゃん | 2018年2月12日 (月) 14時05分