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懐かしの40歳定年論

日経ビジネスオンラインに、東大の柳川範之さんのインタビュー記事が載って、それがおそらくは日経BP記者が勝手につけたからだと思われますが、「日本人は全員40歳で定年退職すればいい」という炎上必至なタイトルだったもので、ツイッター上やブクマ等で早速炎上し、慌ててタイトルを「日本人に40歳定年の選択肢を」と変えたようですが、

business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/020600201/020600002/

http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/020600201/020600002/

201212 実は正直言うと、柳川さんが40歳定年論を唱えたときに、雑誌『中央公論』で海老原嗣生さんとの対談でしゃべったことに付け加えることは特にないという感じです。

これももう、今から5年以上も前になりますね。『中央公論』の2012年12月号でした。

http://www.chuko.co.jp/chuokoron/2012/11/201212_1.html

四十歳定年制の真意は誤解されている 柳川範之

「四十歳定年制」より大事なこと 管理職を目指さない自由を 対談 濱口桂一郎×海老原嗣生

実のところ、海老原さんも私もそうですが、柳川さんが40歳定年という大変ミスリーディングな言葉で表現しようとしていること自体については、よく理解できる面があるのですが、それを日本型雇用システムのニュアンスのたっぷり付着した「〇〇歳定年制」などという言葉で表現することの危なさにあまりにも無自覚でありすぎるだろうとは思っています。

この対談における私の発言からいくつか引用しておくと、

濱口 企業のミクロの人事管理のロジックからすれば、年金支給の時点まで賃金カーブを持続することは不可能です。結果的に、六十歳定年後は再雇用で、賃金を半分以下に落とすということにならざるを得ない。賃金の基本構造を変えずに、五十五歳なり六十歳から先は変えていいですよ、というのは木に竹を接ぐような対応です。でも、現実に多くの企業が欧米のような賃金制度に変える気がない以上、これが唯一可能な対応になる。
 
濱口 でも、それは局所的な合理性に過ぎないとも言える。働いている側からすれば、やはり不合理でしょう。とりわけ五十代の人が自分をどう認識しているかを考えたらわかります。他人からは大して働いていないのに高い給料貰っているように見える人であっても、主観的には自分はそれだけの値打ちのある仕事をしていると思っているものです。そういう人の処遇を落とせば、自分の本来あるべき地位から許し難い水準に落とされたと思うでしょう。数日前に高齢者の雇用状況報告が発表されましたが、再雇用を会社に拒否された人は一・六パーセントしかいません。経済学者たちは高齢者雇用義務化によって失業が増えるなどと言っていましたが、すでに六十五歳までの再雇用は量的にはほとんど達成されています。会社に拒否された一・六パーセントは、その賃金でも会社として雇いたくない人なのです。ところが同時に二〇パーセント以上が自主的にやめている。もちろんそこにはさまざまな理由があるでしょうし、自分からもう働きたくないと思ってもいいわけですが、たぶんその多くは、そんな賃金水準だったら働きたくないという理由だったのではないでしょうか。それによって二〇パーセント以上の人たちが労働市場から退出してしまっているのだとすれば、マクロ社会的にはマイナスをもたらしている可能性があると思います。

濱口 四十歳定年制という提言は、政府が進めている六十歳定年後六十五歳までの再雇用、子会社や関連会社への転籍という政策と正反対に位置するものに見えて、実は同じことをより低い年齢でやろうとしているだけではないでしょうか。提言した側は、これまでの日本の在り方を変えるつもりかも知れませんが、むしろ本質的には何も変わらないことを前提にした議論のような気がします。
 
濱口 日本は正社員であればエリートがデフォルト(初期設定)という特異な国です。欧米はノンエリートがデフォルト。そこを認識しておかないと、おかしなことになります。四十歳定年制に限らずそうですが、ここ数年の諸々の議論の基本的なイメージは、日本のサラリーマンはもっと欧米のエリートを見習って頑張れ、というものです。最近はそこにアジア諸国、特に中国のエリートが加わった。そんな階級社会の上澄みだけ取ってきて、同世代の半分以上を占める日本の大卒がすべてエリートであるかのように比較する。日本の正社員はノンエリートがエリートまがいの期待を背負わされて無茶苦茶に働かされているのです。でも、係員島耕作がみんな課長島耕作になって、社長島耕作になれるわけではない。

濱口 人間の職業人生を、ある時期までは一種の育成期と捉え、それ以降をフラットなノンエリートとして粛々と七十五歳ぐらいまで働けるよう生きていくというイメージで考えるのであれば、それはこれからの働き方を考える上で非常に意味があると思う。みんなが管理職にならなくてもいいのです。
 
濱口 私なら、最初からエリートがデフォルトではなくて、ノンエリートが途中でエリートになりうる社会の方がいい。つまり、特に何もなければノンエリートの道だけれど、本人が思い立ってがんばればエリートになる道も開かれているもっとも、本当に世界レベルのグローバルエリートは入り口から分けた方がいいかも知れませんが。係員島耕作は大体係長島耕作止まりだが、中には課長島耕作、部長島耕作と階段を駆け上っていく者もいるというイメージです。そこが今までと違う。要は人事管理の多様化であり、それが年とともに明確化されるのです。
 
濱口
 日本はこれまでみんなをエリートにすることでホワイト化してきました。これからはホワイトなノンエリートを作っていくことを考えた方がみんなが幸せになるのではないでしょうか。

ふむ、読み返すと懐かしいですな。

26184472_1 この対談がある意味もとになって、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)ではより詳細にあれこれ論じることになったわけですが・・・。

http://hamachan.on.coocan.jp/chikumabookreview.htm

 

 

 

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