障害者らへの強制不妊手術を認めた旧優生保護法(1948~96年)をめぐる問題で、宮城県が62年、旧社会党系県議の求めに応じる形で手術件数を急増させたことが、県議会議事録で判明した。旧厚生省の資料などによると、宮城県で強制手術を受けた人は全国で2番目に多い1406人で、63年以降の10年間だけで887人と6割超を占めた。当時は国だけでなく、県と議会側にも強制手術を推進する意向が広がっていたことが明らかになった。【遠藤大志】
毎日新聞が入手したのは、62年10月4日の宮城県議会定例会でのやり取りを記録した「議事速記録」。
議事録によると、この県議(故人)は一般質問で「民族素質の劣悪化防止の立場からも、優生保護法の立法の趣旨から考えても、愛宕診療所(中央優生保護相談所付属診療所)を形だけ整えるというだけでなしに、これを強化してほしい」と要請。「県内で優生手術の対象者が2万4000~3万6000人くらいいるが、愛宕診療所で手術をする者は年間70人だ」と指摘し、「50年かかって(対象者の)10分の1しかやれない。このやり方では、(障害者は)増えるとも決して減少はしない」と述べた。
答弁した当時の県衛生部長は「年間100人近くの優生手術のうち、8割くらいは愛宕診療所で行われている。今後とも優生問題に重点を置き、病院機能を充実させ、十分使命を果たしたい」と手術の推進を約束した。県議の発言に対する反論などは議事録では確認できなかった。
愛宕診療所は、仙台市にあった性病治療を担う愛宕病院が改編された施設(72年に閉所)。県議の要請後、同診療所で優生手術が集中実施されたとみられ、62年の76人が翌63年に114人と急増し、65年は最多の129人に上った。
県子育て支援課の担当者は「議事内容からすると県が優生手術を推進していたとみられる」としつつ、「詳しい経緯は県としては把握していない」と述べた。
同法の問題に詳しい東京大大学院総合文化研究科の市野川容孝教授(医療社会学)は、旧社会党系県議が優生手術を推進したことについて「(同法は)保守政党と革新政党、行政の3者が無批判で合意した経緯がある」と指摘した。
解説 全都道府県、解明を
毎日新聞が入手した宮城県議会議事録は、行政側が強制手術を急増させた過程の一端を示した。しかし、国が推進し、都道府県が諾否を決めた手術は、都道府県ごとに件数の推移が違うなど事情が異なり、それぞれが解明すべき点は多い。
旧優生保護法は、前身の国民優生法(1940~48年)と違い、手術に「強制力」が与えられたのが特徴。官僚や国会議員、有識者らが委員を務める旧厚生省の外郭団体「人口問題研究会」は46年、国民優生法が手術を任意としたため強制法が必要だと提言した。当時の社会党の国会議員が47年に強制法案を提出したが、不採択となり、その後に保守系議員が提案した優生保護法案が48年に成立した経緯がある。
一方、都道府県ごとの強制手術の件数には、説明のつかない格差が生じた。旧厚生省の資料などによると、多い順に北海道(2593人)、宮城(1406人)と続くが、この2道県は3位の岡山県(845人)と比べると際立って多い。
同法施行後、全国の強制手術は年ごとに増え、55年の1362人をピークに減少していく。北海道や大阪府、大分県などがこの傾向をたどったが、宮城県は65年にピークを迎え、その前後3年間と合わせると全体の約5割に当たる670人に上っている。福島や埼玉、長野なども宮城に近い63年に最多件数を記録していた。
国だけでなく、都道府県も「過去の過ち」に向き合う姿勢が問われている。【遠藤大志】