対話の外部部屋のⅠが50を超えますので、次のページを作成しました。 以下のリンクは当コメント記事部屋関連のものになります。
ブログ&コメント義…元記事です。この記事のコメントから始まりました。
対話の外部部屋…外部コメント用
対話の外野部屋2018年1月17日対話専用
葛西氏との対話部屋2018年1月17日対話専用
外野席部屋-Ⅳ2017年11月13日対話専用
monlingen管理人さんが「対話の外野部屋2」を作られる前から「外野部屋」のほうで コメントを書き込んでいたようで、葛西さんへのコメントを書き込ませていただいたことをこちらにも記しておきます。
他者の信心を否定できるほどの信仰生活がmonlingen管理人さんにあるのか? という趣旨の葛西さんの問いに対し、 学会活動を羅列したうえで、中傷めいた愚癡を公然と書いて相手の様子をみているのでしょうかね。 葛西さんはなにもmonlingen管理人さんが活動をしていないなどという腹積もりなど ないでしょうし、アンチさんに対して「信心のありかた」を説くという行為を責める つもりもないと思います。
monlingen管理人さんは、自己を正当化するために
>>(御本尊)を求める自分自身の「生命」の根源の場所には、 >>「信仰体験」 が隠されているのです。 >>貴方はこの事実を完全に見落としています。
と正論を述べることができるのに、なぜ批判的な学会員に対しても 「信仰体験」が隠されているとは感じられないのかと言いたいのでは。
前ページで あべひ様の慧眼素晴らしいですね について聞かれていたので一言。 あべひ様 >拙にはmonlingenさんと現役法華講員とのやりとりについて“破折が不十分ではないか?”とか“法華講員に言われっぱなしではないか”いったような葛西さん抱かれた御不満が根底にあるのではないかと感じました。> これ法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね。それに対し葛西様の返答が >①アンチから馬鹿にされる 「感得、感得」と言っていますが、 しっかり勉強をし自らの考えを言語化する努力をした上で、 「それでも理よりも体験が大事だ」と言うならよいですが、 管理人さんはそもそも論理的に話そうとされず、すぐに「感得」を持ち出します。 こんな主張をすれば、 「学会員は馬鹿だ」といわれるのは当たり前。 私も学会員ですが、管理人さんのロジックは意味不明です。> とあったので、やはりあべひ様の言う通り葛西様は学会寄りというより学会員だったのだ、あべひ様の慧眼素晴らしいと言った次第です。 このブログの感想というより管理人様への感想は前回の何となくの近況に家庭訪問行った先のお宅の子供たちにエサまいて手なずけるってありましたが酷いなと。いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。こんなのでも暖かく包括してもらえて向上できるんだから有り難い組織だなと思いました。以上
すみません、失礼過ぎるので訂正します。 >いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。 >いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。
匿名さんへ
>法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね
ご指摘の通りです。 単なるアンチなら、いちいちmonlingenさん本人の言質を細かくとりにこない でしょう。
>いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。
子どもさんになにかを与える行為は同じでも「心根」がちがえば金とウンコですね。 それと同じで、破折という行為は同じでも「心根」次第で金にもウンコにもなっています。
あべひさん
ありがとうございます。
「宗門を独善的に攻撃する人間は、 その矛先を容易に同志に向ける」とは、 非常に考えさせられました。
私も血気盛んだったころ、法論とやらをやりましたが、 当時が一番攻撃的な時期だったように思います。 また、管理人さまの「ミカツ」批判や、 コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、 アンチへの攻撃と地続きのようです。
議論はやや漂流気味で、 「感得」というテーマから逸れてしまいましたが、 引き続き管理人様と対話させていただければと考えます。
また、「感得」については、 うるとらまん氏の見解もお伺いしたいところです。 とはいえ氏もまた、「感得」や「サンプル数の少ない経験的命題」を基に主張されることの多い方のようなので、 議論は難しいと思いますが。
池田先生は常々「子供に対して一人の人格として尊重すること」と言われていました。 不軽菩薩の礼拝行じゃないけど家庭訪問に行かれるのならば、せめてそれくらいは頭に入れて欲しいですね。(人妻の家で話すのは危険な香りがするとかも書いてましたがどう思おうと勝手ですけどちょっと情けないなと) 他人の子供にエサをまくと言って憚らない管理人様は他人の仏界を冒涜して平気なのでは? 一体管理人様は何を信じているのか?感得って何だ?己心の妙法ではないのか?自分の仏性は信じても他人の仏性は信じられないのか?他人の仏性が信じられないのは何故か?等々の疑問が生じますね。
先程、葛西氏との対話部屋での管理人のコメントを読みましたが、 この人、本気でこんな馬鹿なこと書いてるんでしょうか‥
もし本気だとしたら、 本当に馬鹿、というか、彼が言うところの生来持っているはずの思考力を持っていない人ですね。
他のスレで、管理人の言動で学会を嫌いになる人が出たらという質問がありましたが、 この管理人の馬鹿さ加減はとても折伏をしてる友人には見せられない恥部ですね。
管理人はコメント主が活動してるかを気にする方のようなので記載しておくと 私は現在台湾在住の学会員。 言語の壁から現地人への折伏はなかなかうまく行きませんが、 台湾に新しく来た駐在員の奥さんを現在折伏中で、2日前一緒に三唱しました。もちろん折伏するのだから、ここ最近は毎日5時間の題目をあげています。まぁ、仕事が遅くなるときは周一程度で3時間になりますが。
日本って大変なんですか? 私には葛西さんより、管理人さんのほうが必死でおかしく見えます。
こういう人間は、少なくとも台湾sgiではお目にか買ったことがありません。久々にブログ村を見て、こういう人のブログがアウトランキングで一位なのを見てビックリしました
あらー、とうとう言われてしまいましたねぇ。
皆さん、こういう場所では プライベートな内容は書かないようにしましょう。 生贄にされますよ。 先日も多くの学会員さんが粛清されました。
前にも言いましたけど、 反応しないのも反応のひとつですよ。(*^-^*)
台湾から さんへ
今は地震による被害で大変なことと思います。 私の方からは何もできませんが、心は国境を越えて どうか一日も早い復興と御健闘を と祈りつつお題目を送らせていただきます。
葛西さんへ
>議論はやや漂流気味で、「感得」というテーマから逸れてしまいました。
台湾からの来訪とおっしゃる方が指摘されていましたが、現在、葛西さんとmonlingenさんの「感得」についての対話よりも、こちら外野部屋2のほうがブログ村ユーザーから注目されている状態ですね。 昨日はmonlingen管理人さんも本幹同時放映に参加されたそうですが、その帰宅後に 「小さな話に右往左往する」などという書き込みですから、関西の人間としてはちょっと悲しいです。 ちょうど原田会長に指導に「感得」にかかる非常に示唆に富んだ内容がありました。 折伏と個人指導は両輪だというテーマでした。 “折伏の成果は、すぐに見える形で現れるので周囲の同志から賞賛もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました”と指摘されていましたね。 monlingen管理人さんふうにいえば成果という「感得」があったのに信心が崩れる場合があると警告されているわけです。 monlingenさんは 『折伏が出来る人が、どうしてアンチなどと言う組織体に所属し続けるのか、理解不能です。そんな事実は一切存在しません。』 断言していますがそれは 彼の考える学会活動家とは単純に 唱題 と 折伏 ができているか否かで天秤に掛けられているからでしょうね。 簡単に言えば「成果重用主義者」です。ダメ幹部の典型。 仮に彼が幹部として現場でもおなじようなことをやっているなら 部員さんは可哀想です。
——-
>コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、アンチへの攻撃と地続き・・
monlingen管理人の 「貴方は,今,現在は何をしています?お題目は?折伏は? 折伏、題目を現時点で苦労しながらもやり続けている人間は、 決してアンチ系の思想は持ちません。」 と主張してます。
では アンチ“系の思想” とはなにかというと
「アンチとは何?」と言う,どうでもいい話を「対話」の主要論点に持って来る こと自体が、チンケすぎます。」
と反論する程度ですから、自分でも説明できない概念なのでしょう。 monlingen管理人さんは「創価学会に対するアンチテーゼ」と 「自分の主張に対するアンチテーゼ」が等価値、もしくは同じだと考えているらしいので、自分に対するアンチテーゼは即、創価学会全体への批判とみなしているのです。 ですが彼自身、論理展開がやや強引すぎることを自覚しているので「信心の話」とやらにもっていきたいのではないでしょうか。
ここでいう「信心の話」とは 唱題の功徳について だったようですが 困った事にmonlingenさん自身が 「彼等アンチやミカツ、宗門系の個々の信心状態など、私にとっては何の興味もありません」などと否定していますから、彼の主張に反論を試みる「アンチ系」の人間は信心の話ですら門前払いで聞いて貰えそうにありませんね。
粛清って何でしょうか? 当方、本部批判したこともするつもりもありません。 普通に活動している一会員です。 さりげなく仲間扱いされても困るで念の為。
こんばんは
monligenさんとコメントのやり取りをされてる方や創価批判をしてる方々の全員がmonligenさんの文章は整合性がとれてないと言う趣旨の発言をなさってるように感じます。
どの場面で発言したかは調べるのに時間かかりますから調べません
すべてmonligengenさんの文章です。
ケース1 A 私に、ゆっくりやりましょう と書いてます。
B 創価批判をしてる方や創価を破門した宗門を激しく厳しく攻撃してますよね monligengenさんは唱題が好きなようで、10時間唱題をしたことがあるのかと他の学会員によく質問されてます。
ケース2 A 個々の信心の状態など興味ない つまり創価組織を批判することが許せない趣旨の発言
B 創価を途中で辞める人に創価を批判してほしくない 内部アンチは学会員のくせに組織否定は許せない発言 文章の内容ではなく批判してる人間の人格否定発言
ケース3 私の友達からメールで聞いた話です。 創価を静かに去ると言うブログにコメントをなさったとか? そのブログの管理人は1~2日、monligengenさんの文章を公開しましたが削除なさったようで私は見てません。
A 私の友達の話では monligengenさんは毎日勤行唱題、会合は月1回の座談会と同中のみ、新聞推進、折伏なしで現在未活動と自己紹介
B 退会者や非活に今の創価の事はわからないはずと発言
静かに創価を去るブログのコメント者の方々から、そのブログにコメントしてる人々は元地区部長支部長、元白ゆり長地区婦人部長で 未活のおっちゃんより、私達の方が比べものにならないほど組織の事をわかってる、組織の為に時間お金、精神力、忍耐力ストレスを味わってきたとmonligengenさんを激しく攻撃されている
間違っていたらごめんなさい 間違ってますと書いて下さい AとBは正反対で矛盾してます。 私にはその時思った事を書いてるだけのような印象を受けます。 誤解なら誤解を解いて下さらないと、訳わからない、意味不明と言われて全てがお互いに徒労に終わるように思います。
いつも楽しく拝見しております。 過去に本尊義について管理人様に ご教授を頂きました創価アンチの輩です。
随分、管理様への 厳しいコメントが、 御座いますね、、。
そもそも麗しき創価の庭では、 自由闊達な意見があれば健全。
凡夫同士で在る事を 忘れてはいけないと。
感得でも、何でも、良いです。
創価学会に入信して 私は、 これだけ幸せに成りました! 池田先生のお陰です!と、 幸せ自慢(現証)をされたら?
良質なブログを目指していた ブログ主様の当初の目的が 達成されないのは悲しい事です。
駄文コメント失礼致します。
単純化してお話しします。
揚げ足取り…文章の根本的な意味を理解もせずに、途中にある気になる言葉に激しく反応すること。
この意味に於いて全員とは勿論言いません、ある種の人々はどうでもいい、またこちらの意図の逆を取り込んで必死に攻撃するものの、本当の論点に対しては完全に黙秘する事って、対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?
言い訳では無く、当ブログの一つひとつは自分の作品と考えています。それらに対しての「意見」であればともかく単なる中傷ばかりするのは,余り健康的な人間のする行為とは言えません。それに対する真正面の、賛否は問いませんが、批判をして行くべきだと考えます。そんな「意見」に対して私は頑否定したことは,一度もありません。
その意味で考えてくれる人はいると思っています。中心を探る話がしたいのです。 ここでの私の「提案」、誰一人としての回答はありません。これは不思議の現象と言えますね…。
monlingen管理人さんへ
葛西さんとの対話にも共通していることですが、貴殿が造った「抽象的な概念」 をもちいて物事を説明しようとしたり、特定の人物をささず「抽象的な三人称」を もちいて葛西さんとの対話と無関係の提案をもちかけ回答を求めるような進め方こそ、 葛西さんとの対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?
それともこちら(外野スレ)に書き込みのされたことのないどこかのブログの誰かに 「提案」されているのでしょうか。 拙は基本的に、特定の誰かに対する返答であることを意識してコメントを書くように しています。 理由は、第三者が読んだ場合でも「自分のこと」を指して批評をしているのではない と理解しやすいようにするためです。 monlingenさんは、あえて特定の誰かを明示せずに呆れてみせたり嘆いてみせたりすることで批判責任を回避したいようですが、逆効果です。 突っ込まれた時に「あなたのことではありませんよ」とか「そう感じたのならあなたのことでしょう」などと逃げれるとお考えなのかもしれませんが、そういった逃げ道を造っておくこと自体、対話に積極的ではない証拠でしょう。
“誰一人として回答がない”のは不思議でもなんでもありませんよ。 葛西さんとの対話の行く末を見守る方にとって、突然降ってわいた関係のない 「提案」ですからね。 「誰一人」の中に含まれれるであろう、monlingenさんファンの「うるとらまん氏」や「ちよ」さんからも回答がないのは不思議には感じないのでしょうか。
monlingenさんが、批判的意見を書き込む連中がいかに不誠実で不健康であるのかを印象つけるための伏線があの「提案」であったことは、ちょっと討論慣れしている方ならわかりそうなものです。 だから、あれだけ援護をしてくれる「うるとらまん」さんも「ちよ」さんも示し 合わせたようにスルーされているのだと愚考してます。
まぁmonlingen管理人さんが学会アンチではなく「アンチ系」の思考をもつ学会員 にたいする「新説」をまとめあげて記事にでもされた折には、ホトボリが覚めた頃に しかこない彼や彼女らが提灯コメントをいれて祝いでくださることは容易に想像ができます。
ともかく、管理人さんは葛西さんとの対話で粗相がないように真面目に「作品」に とりくむことを優先なさってください。
管理人さん お二人が集中するためにこちらは閉鎖した方が良いと思います。 管理人さんの提案は絶対に回答する人はいません。
「提案」とやらですが、拝見しました。下記に反論してみろ、ってやつですよね?
___________________________________________ 〇「謗法厳戒の日蓮正宗の不思議」…アンチや宗門系からの「反論」が一切ありません。明確な、誰にでも納得出来る「反論」を期待します。 〇「本当の師弟不二の話」…師弟の在り方を中心にアンチ側(皆さん)に立った反論、そして私の記事の間違いを正して頂けると、有難いですね。 〇「学会と宗門の信心の相違」…古い記事なんですけど、未だに宗門系(含アンチ)からの反論のない記事です。皆さんにこの記事の瑕疵を正して欲しいと思っています。 〇「【対談集について】のお話」…アンチ系は兎にも角にも先生の対話に対して難癖を付けます。どうしてなんでしょうか?これも大きな疑問点ですので、宜しくお願いします。 ___________________________________________
上記に反論する人がいない理由は、 「宗門寄りの人間がコメント欄にいないから」ではないでしょうか。 (恐らく空伽羅おじさんくらいでは)
管理人さんは、コメント欄の反応が自分に不利になったのを見るにつけ、 「ここはアンチだらけだ!」と決めつけたようです。 しかし、自分に不利なコメントを書く人=アンチではありません。 またあらゆるアンチが宗門にシンパシーを覚えているわけでもありません。
さらに付け加えるならば、宗門のHPをちょこちょこっと見ただけの記事に、 わざわざ真剣に反論する法華講員も少ないと考えられます。
まぁ要するに、そもそもこのコメント欄にいる人間を宗門寄りだと断定した時点で、 的外れなのはあなただと思います。
この「自分に敵対した人間は、宗門の人間だ」「信心のある人なら、俺の主張をわかってくれる」という自信がどこから来るのか大変興味がありますね。
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monlingen管理人さんが「対話の外野部屋2」を作られる前から「外野部屋」のほうで
コメントを書き込んでいたようで、葛西さんへのコメントを書き込ませていただいたことをこちらにも記しておきます。
他者の信心を否定できるほどの信仰生活がmonlingen管理人さんにあるのか?
という趣旨の葛西さんの問いに対し、
学会活動を羅列したうえで、中傷めいた愚癡を公然と書いて相手の様子をみているのでしょうかね。
葛西さんはなにもmonlingen管理人さんが活動をしていないなどという腹積もりなど
ないでしょうし、アンチさんに対して「信心のありかた」を説くという行為を責める
つもりもないと思います。
monlingen管理人さんは、自己を正当化するために
>>(御本尊)を求める自分自身の「生命」の根源の場所には、
>>「信仰体験」 が隠されているのです。
>>貴方はこの事実を完全に見落としています。
と正論を述べることができるのに、なぜ批判的な学会員に対しても
「信仰体験」が隠されているとは感じられないのかと言いたいのでは。
前ページで
あべひ様の慧眼素晴らしいですね
について聞かれていたので一言。
あべひ様 >拙にはmonlingenさんと現役法華講員とのやりとりについて“破折が不十分ではないか?”とか“法華講員に言われっぱなしではないか”いったような葛西さん抱かれた御不満が根底にあるのではないかと感じました。>
これ法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね。それに対し葛西様の返答が
>①アンチから馬鹿にされる
「感得、感得」と言っていますが、
しっかり勉強をし自らの考えを言語化する努力をした上で、
「それでも理よりも体験が大事だ」と言うならよいですが、
管理人さんはそもそも論理的に話そうとされず、すぐに「感得」を持ち出します。
こんな主張をすれば、
「学会員は馬鹿だ」といわれるのは当たり前。
私も学会員ですが、管理人さんのロジックは意味不明です。>
とあったので、やはりあべひ様の言う通り葛西様は学会寄りというより学会員だったのだ、あべひ様の慧眼素晴らしいと言った次第です。
このブログの感想というより管理人様への感想は前回の何となくの近況に家庭訪問行った先のお宅の子供たちにエサまいて手なずけるってありましたが酷いなと。いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。こんなのでも暖かく包括してもらえて向上できるんだから有り難い組織だなと思いました。以上
すみません、失礼過ぎるので訂正します。
>いやまぁ現実にはこんなのばかりかもなと。
>いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。
匿名さんへ
>法華講員への破折に不満があるのは学会寄りですよね
ご指摘の通りです。
単なるアンチなら、いちいちmonlingenさん本人の言質を細かくとりにこない
でしょう。
>いやまぁ現実にはこんな人もいるよなと。
子どもさんになにかを与える行為は同じでも「心根」がちがえば金とウンコですね。
それと同じで、破折という行為は同じでも「心根」次第で金にもウンコにもなっています。
あべひさん
ありがとうございます。
「宗門を独善的に攻撃する人間は、
その矛先を容易に同志に向ける」とは、
非常に考えさせられました。
私も血気盛んだったころ、法論とやらをやりましたが、
当時が一番攻撃的な時期だったように思います。
また、管理人さまの「ミカツ」批判や、
コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、
アンチへの攻撃と地続きのようです。
議論はやや漂流気味で、
「感得」というテーマから逸れてしまいましたが、
引き続き管理人様と対話させていただければと考えます。
また、「感得」については、
うるとらまん氏の見解もお伺いしたいところです。
とはいえ氏もまた、「感得」や「サンプル数の少ない経験的命題」を基に主張されることの多い方のようなので、
議論は難しいと思いますが。
池田先生は常々「子供に対して一人の人格として尊重すること」と言われていました。
不軽菩薩の礼拝行じゃないけど家庭訪問に行かれるのならば、せめてそれくらいは頭に入れて欲しいですね。(人妻の家で話すのは危険な香りがするとかも書いてましたがどう思おうと勝手ですけどちょっと情けないなと)
他人の子供にエサをまくと言って憚らない管理人様は他人の仏界を冒涜して平気なのでは?
一体管理人様は何を信じているのか?感得って何だ?己心の妙法ではないのか?自分の仏性は信じても他人の仏性は信じられないのか?他人の仏性が信じられないのは何故か?等々の疑問が生じますね。
先程、葛西氏との対話部屋での管理人のコメントを読みましたが、
この人、本気でこんな馬鹿なこと書いてるんでしょうか‥
もし本気だとしたら、
本当に馬鹿、というか、彼が言うところの生来持っているはずの思考力を持っていない人ですね。
他のスレで、管理人の言動で学会を嫌いになる人が出たらという質問がありましたが、
この管理人の馬鹿さ加減はとても折伏をしてる友人には見せられない恥部ですね。
管理人はコメント主が活動してるかを気にする方のようなので記載しておくと
私は現在台湾在住の学会員。
言語の壁から現地人への折伏はなかなかうまく行きませんが、
台湾に新しく来た駐在員の奥さんを現在折伏中で、2日前一緒に三唱しました。もちろん折伏するのだから、ここ最近は毎日5時間の題目をあげています。まぁ、仕事が遅くなるときは周一程度で3時間になりますが。
日本って大変なんですか?
私には葛西さんより、管理人さんのほうが必死でおかしく見えます。
こういう人間は、少なくとも台湾sgiではお目にか買ったことがありません。久々にブログ村を見て、こういう人のブログがアウトランキングで一位なのを見てビックリしました
あらー、とうとう言われてしまいましたねぇ。
皆さん、こういう場所では
プライベートな内容は書かないようにしましょう。
生贄にされますよ。
先日も多くの学会員さんが粛清されました。
前にも言いましたけど、
反応しないのも反応のひとつですよ。(*^-^*)
台湾から さんへ
今は地震による被害で大変なことと思います。
私の方からは何もできませんが、心は国境を越えて
どうか一日も早い復興と御健闘を
と祈りつつお題目を送らせていただきます。
葛西さんへ
>議論はやや漂流気味で、「感得」というテーマから逸れてしまいました。
台湾からの来訪とおっしゃる方が指摘されていましたが、現在、葛西さんとmonlingenさんの「感得」についての対話よりも、こちら外野部屋2のほうがブログ村ユーザーから注目されている状態ですね。
昨日はmonlingen管理人さんも本幹同時放映に参加されたそうですが、その帰宅後に
「小さな話に右往左往する」などという書き込みですから、関西の人間としてはちょっと悲しいです。
ちょうど原田会長に指導に「感得」にかかる非常に示唆に富んだ内容がありました。
折伏と個人指導は両輪だというテーマでした。
“折伏の成果は、すぐに見える形で現れるので周囲の同志から賞賛もされます。それによって慢心になり、信心が崩れていってしまった人もいました”と指摘されていましたね。
monlingen管理人さんふうにいえば成果という「感得」があったのに信心が崩れる場合があると警告されているわけです。
monlingenさんは
『折伏が出来る人が、どうしてアンチなどと言う組織体に所属し続けるのか、理解不能です。そんな事実は一切存在しません。』 断言していますがそれは
彼の考える学会活動家とは単純に 唱題 と 折伏 ができているか否かで天秤に掛けられているからでしょうね。
簡単に言えば「成果重用主義者」です。ダメ幹部の典型。
仮に彼が幹部として現場でもおなじようなことをやっているなら
部員さんは可哀想です。
——-
>コメントをする会員さんへの異常な攻撃も、アンチへの攻撃と地続き・・
monlingen管理人の
「貴方は,今,現在は何をしています?お題目は?折伏は?
折伏、題目を現時点で苦労しながらもやり続けている人間は、
決してアンチ系の思想は持ちません。」 と主張してます。
では アンチ“系の思想” とはなにかというと
「アンチとは何?」と言う,どうでもいい話を「対話」の主要論点に持って来る
こと自体が、チンケすぎます。」
と反論する程度ですから、自分でも説明できない概念なのでしょう。
monlingen管理人さんは「創価学会に対するアンチテーゼ」と
「自分の主張に対するアンチテーゼ」が等価値、もしくは同じだと考えているらしいので、自分に対するアンチテーゼは即、創価学会全体への批判とみなしているのです。
ですが彼自身、論理展開がやや強引すぎることを自覚しているので「信心の話」とやらにもっていきたいのではないでしょうか。
ここでいう「信心の話」とは 唱題の功徳について だったようですが
困った事にmonlingenさん自身が
「彼等アンチやミカツ、宗門系の個々の信心状態など、私にとっては何の興味もありません」などと否定していますから、彼の主張に反論を試みる「アンチ系」の人間は信心の話ですら門前払いで聞いて貰えそうにありませんね。
粛清って何でしょうか?
当方、本部批判したこともするつもりもありません。
普通に活動している一会員です。
さりげなく仲間扱いされても困るで念の為。
こんばんは
monligenさんとコメントのやり取りをされてる方や創価批判をしてる方々の全員がmonligenさんの文章は整合性がとれてないと言う趣旨の発言をなさってるように感じます。
どの場面で発言したかは調べるのに時間かかりますから調べません
すべてmonligengenさんの文章です。
ケース1
A 私に、ゆっくりやりましょう
と書いてます。
B 創価批判をしてる方や創価を破門した宗門を激しく厳しく攻撃してますよね
monligengenさんは唱題が好きなようで、10時間唱題をしたことがあるのかと他の学会員によく質問されてます。
ケース2
A 個々の信心の状態など興味ない
つまり創価組織を批判することが許せない趣旨の発言
B 創価を途中で辞める人に創価を批判してほしくない
内部アンチは学会員のくせに組織否定は許せない発言
文章の内容ではなく批判してる人間の人格否定発言
ケース3
私の友達からメールで聞いた話です。
創価を静かに去ると言うブログにコメントをなさったとか?
そのブログの管理人は1~2日、monligengenさんの文章を公開しましたが削除なさったようで私は見てません。
A 私の友達の話では
monligengenさんは毎日勤行唱題、会合は月1回の座談会と同中のみ、新聞推進、折伏なしで現在未活動と自己紹介
B 退会者や非活に今の創価の事はわからないはずと発言
静かに創価を去るブログのコメント者の方々から、そのブログにコメントしてる人々は元地区部長支部長、元白ゆり長地区婦人部長で
未活のおっちゃんより、私達の方が比べものにならないほど組織の事をわかってる、組織の為に時間お金、精神力、忍耐力ストレスを味わってきたとmonligengenさんを激しく攻撃されている
間違っていたらごめんなさい
間違ってますと書いて下さい
AとBは正反対で矛盾してます。
私にはその時思った事を書いてるだけのような印象を受けます。
誤解なら誤解を解いて下さらないと、訳わからない、意味不明と言われて全てがお互いに徒労に終わるように思います。
いつも楽しく拝見しております。
過去に本尊義について管理人様に
ご教授を頂きました創価アンチの輩です。
随分、管理様への
厳しいコメントが、
御座いますね、、。
そもそも麗しき創価の庭では、
自由闊達な意見があれば健全。
凡夫同士で在る事を
忘れてはいけないと。
感得でも、何でも、良いです。
創価学会に入信して
私は、
これだけ幸せに成りました!
池田先生のお陰です!と、
幸せ自慢(現証)をされたら?
良質なブログを目指していた
ブログ主様の当初の目的が
達成されないのは悲しい事です。
駄文コメント失礼致します。
単純化してお話しします。
揚げ足取り…文章の根本的な意味を理解もせずに、途中にある気になる言葉に激しく反応すること。
この意味に於いて全員とは勿論言いません、ある種の人々はどうでもいい、またこちらの意図の逆を取り込んで必死に攻撃するものの、本当の論点に対しては完全に黙秘する事って、対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?
言い訳では無く、当ブログの一つひとつは自分の作品と考えています。それらに対しての「意見」であればともかく単なる中傷ばかりするのは,余り健康的な人間のする行為とは言えません。それに対する真正面の、賛否は問いませんが、批判をして行くべきだと考えます。そんな「意見」に対して私は頑否定したことは,一度もありません。
その意味で考えてくれる人はいると思っています。中心を探る話がしたいのです。
ここでの私の「提案」、誰一人としての回答はありません。これは不思議の現象と言えますね…。
monlingen管理人さんへ
葛西さんとの対話にも共通していることですが、貴殿が造った「抽象的な概念」
をもちいて物事を説明しようとしたり、特定の人物をささず「抽象的な三人称」を
もちいて葛西さんとの対話と無関係の提案をもちかけ回答を求めるような進め方こそ、
葛西さんとの対話に対する冒涜のような気がしますが、どうでしょう?
それともこちら(外野スレ)に書き込みのされたことのないどこかのブログの誰かに
「提案」されているのでしょうか。
拙は基本的に、特定の誰かに対する返答であることを意識してコメントを書くように
しています。
理由は、第三者が読んだ場合でも「自分のこと」を指して批評をしているのではない
と理解しやすいようにするためです。
monlingenさんは、あえて特定の誰かを明示せずに呆れてみせたり嘆いてみせたりすることで批判責任を回避したいようですが、逆効果です。
突っ込まれた時に「あなたのことではありませんよ」とか「そう感じたのならあなたのことでしょう」などと逃げれるとお考えなのかもしれませんが、そういった逃げ道を造っておくこと自体、対話に積極的ではない証拠でしょう。
“誰一人として回答がない”のは不思議でもなんでもありませんよ。
葛西さんとの対話の行く末を見守る方にとって、突然降ってわいた関係のない
「提案」ですからね。
「誰一人」の中に含まれれるであろう、monlingenさんファンの「うるとらまん氏」や「ちよ」さんからも回答がないのは不思議には感じないのでしょうか。
monlingenさんが、批判的意見を書き込む連中がいかに不誠実で不健康であるのかを印象つけるための伏線があの「提案」であったことは、ちょっと討論慣れしている方ならわかりそうなものです。
だから、あれだけ援護をしてくれる「うるとらまん」さんも「ちよ」さんも示し
合わせたようにスルーされているのだと愚考してます。
まぁmonlingen管理人さんが学会アンチではなく「アンチ系」の思考をもつ学会員
にたいする「新説」をまとめあげて記事にでもされた折には、ホトボリが覚めた頃に
しかこない彼や彼女らが提灯コメントをいれて祝いでくださることは容易に想像ができます。
ともかく、管理人さんは葛西さんとの対話で粗相がないように真面目に「作品」に
とりくむことを優先なさってください。
管理人さん
お二人が集中するためにこちらは閉鎖した方が良いと思います。
管理人さんの提案は絶対に回答する人はいません。
「提案」とやらですが、拝見しました。下記に反論してみろ、ってやつですよね?
___________________________________________
〇「謗法厳戒の日蓮正宗の不思議」…アンチや宗門系からの「反論」が一切ありません。明確な、誰にでも納得出来る「反論」を期待します。
〇「本当の師弟不二の話」…師弟の在り方を中心にアンチ側(皆さん)に立った反論、そして私の記事の間違いを正して頂けると、有難いですね。
〇「学会と宗門の信心の相違」…古い記事なんですけど、未だに宗門系(含アンチ)からの反論のない記事です。皆さんにこの記事の瑕疵を正して欲しいと思っています。
〇「【対談集について】のお話」…アンチ系は兎にも角にも先生の対話に対して難癖を付けます。どうしてなんでしょうか?これも大きな疑問点ですので、宜しくお願いします。
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上記に反論する人がいない理由は、
「宗門寄りの人間がコメント欄にいないから」ではないでしょうか。
(恐らく空伽羅おじさんくらいでは)
管理人さんは、コメント欄の反応が自分に不利になったのを見るにつけ、
「ここはアンチだらけだ!」と決めつけたようです。
しかし、自分に不利なコメントを書く人=アンチではありません。
またあらゆるアンチが宗門にシンパシーを覚えているわけでもありません。
さらに付け加えるならば、宗門のHPをちょこちょこっと見ただけの記事に、
わざわざ真剣に反論する法華講員も少ないと考えられます。
まぁ要するに、そもそもこのコメント欄にいる人間を宗門寄りだと断定した時点で、
的外れなのはあなただと思います。
この「自分に敵対した人間は、宗門の人間だ」「信心のある人なら、俺の主張をわかってくれる」という自信がどこから来るのか大変興味がありますね。