2018-02-11

アニメうらら迷路帖』はなぜ失敗したか徹底解説

まずはじめにいっておきたいのは『うらら迷路帖』をけなす目的でこの文章を書いているのではないということだ。おれは『うらら迷路帖』のファンではなく日常系アニメファンで、だからこそ書いておきたいことがたくさんある。

ファンの人はたくさんいるだろうけれど、人気が出なかった作品であることはファンも認めざるを得ないと思う。なぜ商業的な失敗をしてしまったのかを可能なかぎり客観的に書くことがこの文章目的だ。

作品概要

うらら迷路帖』は2017年の冬クールアニメ化された作品で、原作まんがタイムきららミラクに連載されていた四コマ漫画だ。

同じクールにやっていた『けものフレンズ』に話題をかっさらわれたばかりか、『この素晴らしい世界に祝福を! 2』『幼女戦記』といったなろう系の注目作、『ガウリールドロップアウト』『亜人ちゃんは語りたい』『小林さんちのメイドラゴン』といったファン層がかぶりそうな作品などが放映されており、それらの影に隠れてしまった感がある。

まずは良いところをあげていく

たくさんある。

キャラデザかわいい。とくに小梅のキャラデザがおれは好きだ。

OPの曲がかわいい脳内でくり返し再生される。OP映像もそれなりにいい(もうちょっとがんばれたとは思うが)。

大正ロマン風の舞台設定がいい。建物内装はもちろん、ちょっとした小物にまで配慮がある。

占い番付によって入られる場所制限される設定もいい。番付が上がる→入られる場所が増える→自然に新キャラが出せる(既存キャラリストラ自然にできる)というシステムになっているからだ。

ちょっとしたエロ要素もいい。

ここから先は悪いところばかりを徹底的にあげていく

なにがダメだったか明確にするために、日常系最大のヒット作であるけいおん』を中心に他のアニメ作品との比較で話をすすめていく。

男の占いへの興味のなさをなめている

日常系は+αなにを盛り込むかということが重要だ。

けいおん!』は軽音楽、『ばくおん!!』はバイク、『New Game!』はゲーム制作、『ヤマノススメ』は登山、『ゆるきゃん△』はキャンプなど男が関心をもつものを盛り込むのがふつうだ。

ひだまりスケッチ』や『GA芸術科アートデザインクラス』のように芸術テーマにすることがよくあるけれど、それは視聴者の関心というよりは、芸術制作によってキャラ個性を出しやすいのと、作者の漫画家としての経験テーマに活かすことができるという利点があるから採用されるのだと思う。

ところが、うらら迷路帖場合は「占い」だ。これはかなりの悪手だ。しかも、おまけ程度ではなくがっつりと話に絡んでくる。

男というのは占いにまったく興味がない。馬鹿にさえしている。占い好きの男もいることはいるだろうけど、同好の男友達を見つけようと思えばかなり苦労するはずだ。

ギターを弾いている女の子は三割増しでかわいく見えるし(=萌え)、バイクをさっそうと走らせる女の子はさまになる(=萌え)けれど、占いに興じている女の子をとくべつかわいく感じる男はあまりいないはずだ(≠萌えいかんせん興味がないし馬鹿馬鹿しいと思っている)。

あと、占い師番付が「十番占(見習い)」~「一番占(名人クラス?)」まである設定だけれど、たとえば五番占と一番占がどのくらい力がちがうのかがよくわからなかった。そういう少年漫画っぽいところは、せっかく設定を出したんだからもっと詰めるべきだ。

占い要素は、死に設定どころか死神設定になってしまっている。せめて似たような要素の「巫女」だったらまだよかったんじゃないか個人的には思っている。巫女服という制服萌え要素)があるし、エロ漫画エロゲーで培われたオタク独自巫女文化があるからだ。

キャラ関係性の構築ができていない

ようするに関係萌えができないということ。これが最大の失敗要因だとおれは睨んでいる。

メインキャラ四人は皆が初対面で、幼なじみだったり姉妹だったりするわけではないし、同じ占い学校の同期だから先輩後輩の関係性がない。だれとだれがとくべつ仲がいい設定なのかパッと見でよくわからない。あえていうなら、みんな均等に仲良し、あるいは千矢のハーレム

このおれの意見にはこういう反論が来るんじゃないかと思う。「だれとだれが仲がいいかなんて最初からからなくてもいいのではないか。話数がすすんでいくごとに徐々に関係性が構築されていく過程を楽しんでこその日常系だ」

この反論には実例を示すのがいちばんいいと思う。

たとえば、『けいおん!』。澪と律は幼なじみで仲が良く、軽音楽部の再立ち上げもこのふたりがはじめたことだ。担当楽器ベース(澪)とドラム(律)のリズム隊。唯は後輩の梓をとくに可愛がっており、梓はなんだか頼りない先輩である唯をどこか放っておけない(最高か!?)。担当楽器ふたりともギター。そして傍観者、紬。担当楽器キーボードというのもまたそれっぽい。

たとえば、『ご注文はうさぎですか?』。ココアは、住み込みで働いている喫茶店の娘のチノを妹のように可愛がっており、チノ困惑しつつもココアを受け入れていく。ココアとリゼは同じ喫茶店バイト仲間。ちがう喫茶店バイトしているシャロは、学校の先輩のリゼに強く憧れていて、幼なじみの千夜によくからかわれている(からかいといってもかわいらしいものだけれど)。

ふたつ例にあげた関係性は、アニメを観た100人100人が速攻で理解できる。そのキャラが出てきてから一話、長くても二話ほど観ればわかる。わかりやすものであれば十秒でわかる。鼻クソほじりながら観てても簡単にわかる。

ようするに日常系というのは、関係性をはじめから色濃く匂わせていないといけないということだ。その点で『うらら迷路帖』で関係性がちゃんと構築できているのは、佐久隊長周辺だ。

佐久とニナは幼なじみで、ニナの妹のノノを昔から可愛がっている。部下ふたり佐久に惚れこんでいる。

正直なところ、佐久隊長を主役にしたほうがよかったのかもしれない。

ストーリーがある

うらら迷路帖』が日常系扱いされていることに違和感がある人もいると思う。なにせ、ストーリーがあるからだ。主人公の千矢が母親を探すために立派な占い師を目指すという大きなストーリーと、一話完結の小さなストーリーが組み合わさって作品ができている。

しかし『うらら迷路帖』はまんがタイムきらら系列作品で、登場キャラは女しかおらず、日常系雰囲気・印象がかなり強い。なので、このまま日常系ということで話をすすめていく。

日常系というのは身も蓋もない言い方をすれば、キャラ萌えさえできればそれでいいというジャンルだ。ストーリー性は萌え女の子たちが仲良くしててかわいい)の邪魔になることが多いからできるかぎり薄くし、目的があっても自己実現趣味的)であることがほとんどだ。

うらら迷路帖』はストーリーがある。つまり萌えが付加要素になってしまっている。付加要素はいいすぎかもしれないけれど、萌え女の子たちが仲良くしててかわいい)よりもストーリーを展開させることを優先させてしまっているのは間違いない。

ストーリーおもしろければ問題なかったのだけれど、ひいき目にみてもおもしろものではなく、可もなく不可もないストーリーというのがおれの評価だ。

キャラ世界もきれいすぎる

これが、ストーリーが可もなく不可もない理由だと思う。

もう、出てくる人出てくる人、みんながきれいだ。清廉潔白道徳的に正しい。メインキャラ四人はみんなまっすぐだし、人をからかったりしないし、目立った欠点もない。このやさしい世界には悪人がいないんじゃないかと思ってしまうほどだ(警備隊なんていらないんじゃないか)。

きれいなキャラきれいな世界は当然ストーリーにも影響する。きれいなストーリーほどつまらないものはない。なんでもいいから、おもしろいと思ったストーリーものエンタメ作品を思い返してみてほしい。大きな障害があったり、殺人事件が起こったり、強大な悪人がいたり、世界のものおかしかったりすることがほとんどだと思う。

ネット配信消極的

これはおまけ程度の難点だけれど、ネット無料で観られるところが少なかったとおれは記憶している。すくなくともニコニコ動画では一週間無料期間がなく、一挙放送もなかった。萌えアニメにしてはめずらしく、ネット配信を拒んでいた印象がある(同期の仲間、ガウ亜人メイドラはそんなことなかったのに)。

おわりに

ここまで読んでもらえば、なぜ『うらら迷路帖』の失敗について書きたかったのかがわかってもらえたと思う。ここまでハズしている日常系はそうない。

もちろん、男の興味を引く題材、関係萌えの構築、ストーリー希薄さ、ちょっとだけノイズのあるきれいなキャラたち、ネット配信積極的、のすべてを満たしたところで人気が出るとは限らない。この文章に書いた『うらら迷路帖』の欠点もただのこじつけに過ぎないのかもしれない。でも、書きたかったんだもん、仕方ないじゃない。

それと、気になる反応があったら返信するつもりでいるんで、そこんとこよろしく。

  • anond:20180211123858

    3話くらいまで観て、なんか違うなぁと思って視聴をやめてしまったのだけど、 こういう説明を読むとなるほど納得感があった。 書いてくれてありがとう。

記事への反応(ブックマークコメント)

 
 
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