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道産子ファイターズファンによる、幅広い野球雑談とか

とあるブログを読んだことで、自分というものが少しわかった気がする

こんにちは。mackeyです。

ちょっと今日は趣向を変えた記事を。

 

 

突然ですが、ブログ記事を2つ紹介します。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

mistclast.hatenablog.com

 

たまたま、このふたつの記事を読んだのですが、この2つ目の記事は1つ目の記事を読んだことで書いたもののようです。

 

 

 

一番響いたのが、子育てリスクの話でした。

これを読んだとき、ひとつ納得したことがありました。

 

というのも僕、現時点で結婚願望がないんです。いや、ないというより「結婚を諦めている」が正解かもしれません。

理由は今までわかりませんでした。でも、今回読んだ記事から何か理由が掴めた気がします。

僕はもしかしたら、無意識のうちに「子育てのリスク」を計算していたのかもしれません。

 

詳細なプロフィールを公開することは避けますが、僕自身、世間から見たら「高学歴」と称される人生だと思います。

中学までは本当に一般的な公立学校に通ってましたが、高校は地元で有数の進学校を選択しましたし、大学も名前を言えば感心されるような大学に合格しています。

もちろん、学力に自信があったからこのような進路を辿っています。それこそ、偏差値というものは僕にとって承認欲求を十二分に満たしてくれるものでした。

 

でも、高偏差値が人生の豊かさ・幸福度に直結するかどうかは話が別です。

そもそも人生の豊かさとか幸福度なんてどう定義づけていいのかわかりませんが、極端な例を挙げれば、中卒社会人でも立派に家庭を持って幸せに暮らしている人もいます。逆にどんなに高学歴であろうと、たとえば東大の博士課程まで進んだとしても職を見付けられず路頭に迷う人もいます。

学歴は武器として使えますし誰でも得られるものではないので、持っていて本来は損にならないはずです。しかしそれを使いこなせるかどうかは人それぞれ、更に言えば使うことで幸せになれるかどうかも人それぞれです。

 

話が少し逸れているので僕のことに戻しましょう。

結婚願望がない、という話です。

元々自分の性格上、相手に気遣いすぎて自分を疎かにしすぎるというバランスの崩れ方をしてしまうことから、人づきあいは得意ではないですし結婚なんてちょっと考えられないという思いもあります。

ただ、それに加えて、自分が子を育てられるのか?という不安も大きくありました。

僕は、一般的な大学院卒の方々より数年社会進出が遅れます。そこから結婚相手となる方を見付けて、結婚して、こどもが……と考えると、果たして何歳になるのでしょうか。そもそも結婚できるか怪しいわけですが、それに加えて子の将来を……と考えると更に不安しか湧き上がってこないわけです。

 

でもこの不安の大半って、僕自身の進路選択が招いたものなんですよね。悪く言えば自業自得なんです。実は、進路選択が影響して当時付き合っていた方と破局したということもありました。それでもこの進路を選びたかったのであまり悔やんでも仕方ないですが、普通に周囲と同じように学部卒で就職していれば全く違う人生だったのでしょう。ある程度は覚悟していましたが、いざこうやって人生において犠牲にしなければならない面が浮かび上がってくると、なかなかきついものがあります。

 

先ほどの精神科医の方の記事にあるように、自らのキャリアが確定しない以上は精神的成熟も難しいということもあり、結局今できることは勉強に打ち込むことしかないようです。

周囲が結婚していくことに焦りがないか、という質問以前にもはや焦りしかありません。一体自分は何をしているのか、と自己嫌悪に陥るのは日常茶飯事です。でも、置いていかれるのは仕方ありません、というか自ら一旦そのレールから外れることを選んだわけですから。

今は、キャリア確定を急がなければならない身です。だから周囲に置いていかれるのは当然であって、そもそも僕はまだ「大人」を目指している場合ではないと肝に銘じたいと思います。


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追記(2018年2月11日)


リンクした記事の著者からブックマークいただきました。

ご指摘の通り、社会に視野を拡げたとき、僕の抱えるジレンマというものが「自己責任」で片付けられてしまうと様々な問題は解決しません。


ご指摘によってひとつ頭に浮かんだのは、「結婚したい」「こどもが欲しい」と思えないのは果たして純粋な意味での自由意思なのだろうか?という点。

正直、今までは僕の性格がこういう感情を抱くことに繋がっていたと思っていました。「単純に結婚不適合者なんだ」と。

しかし、果たしてそれだけなのでしょうか。学生結婚はまだタブー視されている感すらある社会基盤において、高度に専門的な職業に就こうとすると何歳になるのかわからないという現実があると結婚から意識が遠退くのは当然です。

もちろん結婚が「善」で未婚が「悪」ではありません。ただしそれは両者の選択が自由に行われる状況が前提です。片方の選択肢しか事実上用意されていない状況ならば、その状況は是正されるべきでしょう。

本来であれば、もっと柔軟にキャリアデザインができる社会というのが目指すべき地点なのでしょう。僕はまだ何かしらの案を出せるほど考察を重ねていないので、この点については問題提起に留めざるを得ませんが、今までないがしろにされていた問題のような気がします。より一層着目し、問題意識を抱く必要はあるでしょう。