天才伊藤浩士先生の末の世の憂鬱ブログ

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 私が子どもの頃は、周囲の人たちはみんな元号を使っていました。末年と元年をダブルカウントして、正しく明治生まれの人の年齢が計算できなくても、年を数える手段は他に存在しないと思い込んで使っていたのです。稀にテレビなどで外国の過去の事件を西暦で言っても、1900で言われても分からないなどと多くの人たちは言っていました。

 それが変わったのは1970年、昭和45年のことであると私は記憶しています。

 大阪で開かれる万国博覧会を政府はEXPO'70と呼びました。当時としては、西暦を下二桁で言うのはもの凄く異例のことでした。それまでは、年を呼ぶ二桁数字であれば昭和に決まっている、西暦を使う時には1900を必ず付けるのが習慣でしたから、政府が名付けたEXPO'70はその慣習を無視したものでした。

 東京オリンピックのときには、39年(1964年)と書かれていたのが、万博のときには、70年(昭和45年)と書かれるようになりました。

 70年を境に、西暦は1900を取っても良くて、それまで二桁数字のみで良かった元号は、頭に昭和を付けなければいけないことになってしまったのです。年の表記として、主役と脇役が70年で交代したと私は記憶しています。

 当時の政府は、70年を境に高度成長の富が庶民にも分配されるようになり、地方から中卒で集団就職で都会へやってきた労働者も、建売住宅を購入出来て、車やカラーテレビやクーラーを持つことができる時代がそこまで来ていると宣伝し、21世紀にはこうなるという明るいばかりの未来絵図を万博で国民に示しました。

 自民党政府としては、将来はみんなが中産階級になれる時代がやってくるのだから、プロレタリア政党は日本では必要ないといった宣伝をやりたくて、70年から21世紀へという時間の流れを強調したのです。

 昭和はそのうち終ることは分かっていますし、次の元号は分からないので、元号では30年後の明るい未来絵図は描きようがなかったわけです。

 すぐにその万博で示された明るいばかりの未来絵図は嘘だと分かり、ノストラダムスだ、世紀末だ、ハルマゲドンだ、と言われる時代になって、大衆は1999年や20世紀が終ることに特別な意味があると考えるようになってきます。さらにコンピューターの2000年問題が言われて、年は西暦で示すのが当たり前になりました。

 19世紀の世紀末を当時の日本人が怖れたという記録はありません、西暦を意識しなかったからです。

 EXPO'70で西暦を政府が国民に意識させた結果として、20世紀の世紀末で騒ぎが起きて、国民の多くが過去を西暦で記憶するようになりました。

 政府は元号を廃止することなく19年5月1日から新しいものを国民に使わせようとしていますが、西暦の使用を元号しかないと思っていた国民に中に持ち込んだのは、70年当時の自民党政府であったことも忘れてはいけないと思います。

 
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