2018-02-10

容姿心の問題にはならない

ある会社採用試験を受けに行った。

筆記だけだったが、理容店で顔剃りとセットをして真面目そうな私服を着て行った。

醜い容姿を少しでもマシにしなければと感じたのだった。

別に、これ自体は大した問題にはならなかった。

ただ、相変わらず自分容姿は醜かった。

少しでも、見た目に気遣って気持ちを入れ替えろ云々言われる。

それが無意味だとは微塵も思わないが、それでも醜いものは醜いのだった。

気持ちを入れ替えろだとか、性格だとか、容姿ではない付加価値だとか自己啓発的な言葉はどこまでも空虚ものに聞こえてくる。

直球で、醜いのだろうがどうにもなはない 気にしても仕方ないとか、言われることもある。

しかし、それでも醜いから苦しむ。

どうにもならなくても苦しいものは苦しい。

最近は見てくれの良い子供が多い。

自分はどこまでも彼らの容姿を見て、抉られるのだろう。

経済的闘争性的闘争 自分はどこまでも深く容姿というもので斬られていくのだろう。

  • anond:20180210114854

    見てくれのいい人間が多いと思うのは悪い奴はみんな引きこもってるからだよ 安心して引きこもろう

記事への反応(ブックマークコメント)

 
 
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