天才伊藤浩士先生の末の世の憂鬱ブログ

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 近代になって軍隊が西洋式の兵器を使い始めると、当初は、ヤーゲル銃とはミニエー銃とか、四斤山砲とか兵器ごとに名がついていました。

 兵器の日本人による開発が始まり明治13年に村田銃が軍に採用されると13年式村田銃と命名されました。村田銃には16年式、18年式、22年式連発銃とありますが、改善されたものが採用されるとその年の番号が与えられるので、番号を与えられた兵器は多数ありました。

 個別の名とは違って通し番号はいつ採用されたのかが一目で分かるので、便利なものでした。

 米軍の飛行機などは、試作順に番号を与えて行ったので、試作のみで採用されなかったものの番号は欠番になり、番号のみでは何年に採用されたのかも分からず、B17、B24、B29といった具合に主力大型爆撃機でも番号が飛んでいます。

 日本の場合には、97式戦闘機、1式戦闘機、3式戦闘機といった具合で、皇紀下二桁を知っていれば何年に採用されたものか分かります。

 日本軍はもともとは明治13年に採用されれば13年式村田銃、明治38年に採用されれば38式歩兵銃として元号でやっていました。38銃は明治38年に作られたと誤解している人も多いのですが、兵器としての採用年であり、38銃の場合には1941年まで生産されています。

 38銃の後継銃が99式小銃で、数字が61も増えていますが、61年後に採用されたわけではなく、ここに年号の使い勝手の悪さによる変更がありました。

 明治が45年で終って大正になると1からやり直しで、3年式重機関銃とか、4年式榴弾砲といった兵器が採用されて番号が与えらます、明治初年の兵器とは被ることがないのでこれはなんとかなったのですが、大正が僅か15年で終わると困ってしまいます。3年式と言われても、大正3年なのか昭和3年なのか分からないからです。15年程度では兵器の多くが現役なので、番号が被るものも出てきてしまいます。

 ここで軍も、短期間でころころ変わる年号は兵器の形式番号としては使えないことに気が付きます。そこで皇紀をもってきます。下二桁を形式番号にすれば一巡するのに100年かかるので現役兵器で番号が被ることはありません。

 皇紀は西暦に660を足した数字で、1928年(昭和3年)に採用された高射砲は88式高射砲になりました。その前が11年式(1922年)高射砲なので、6年しか間があいていないのに、番号は大きく飛んでいます。番号の大きな飛びは、元号を使う不便さに軍が降参したかたちになっていることを証明したものだともいえます。

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