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ここ2週間、目まぐるしく東奔西走しています。 6月21日(日)は、”放送部の甲子園”と呼ばれる「NHK杯・全国高校放送コンテスト」の広島県大会の審査のため、広島に行きました。昨年度に引き続き、「ラジオ・ドキュメント部門」の専門委員として、1日がかりで作品の審査と講評をおこないました。 高校生たちの清々しい青春に触れ、制服姿の眩しさに心が洗われた矢先・・・6月27日(土)は、早稲田大学で開かれた「ヤンキー文化を考えることの可能性」というシンポジウムに、パネリストとして登壇しました。ベクトルが真逆ですよね・・・。 ■ 『ヤンキー文化論序説』の出版に併せて、この連載でもヤンキーについて触れましたが、その後、多くの新聞や雑誌で、ヤンキーブームについて考える特集が組まれています。ごく最近でいえば、『日経エンタテインメント!』7月号の特集「I LOVE ヤンキー –エンタ界を席巻するワルメン&ギャル」、『SPA!』6月23日号の特集「大マジ検証 “ヤンキー魂(スピリッツ)”のスゴい経済効果」などが挙げられます。 なお、『サイゾー』7月号においては、『ヤンキー文化論序説』の共著者のひとりである速水健朗さんが、「『ヤンキー論』に必ずつきまとうナンシーの影を追っ払え!」という表題で、このブームを見事に総括しています。この記事は以下から全文を読むことができます。 http://www.cyzo.com/2009/06/post_2173.html
さまざまな雑誌記事において、『ROOKIES』や『クローズZERO』に代表されるヤンキー映画のヒットを背景に、「ミーハー/オタク/ヤンキー」といった類型化のもとで、”ヤンキー消費”(=経済効果)のポテンシャルに関するマーケティング的な考察が多くみられる一方で、この不景気だからこそ、身の丈にあったヤンキーの生き方に学ぼう!という趣旨の記事も目立ち・・・速水さんが分類するところの「ヤンキー絶滅論者」の立場からすると、こうした語られ方に対しては眉を顰めてしまいます。 なぜならば、(凋落するヤンキー文化に対して)現在の若者たちを魅了するさまざまなストリート文化が、流動化した若年労働環境と親和性が高いという問題について、近年の教育社会学や労働社会学のなかで精緻に議論されてきた経緯があります。たとえば、新谷周平さん(千葉大学)は、ストリートダンスに取り組む若者たちに密着し、「彼らが『地元』と呼ぶところの、近隣の中学の同級生・先輩後輩というつながりを基盤にし」、「そのつながりによる共同的関係(=場所・時間・金銭の共有)を、職業的達成よりも重視している」ことを明らかにしています。その結果、「フリーターであることによって場所や時間の共有が可能となり、場所や金銭を共有することでフリーターでの生活が可能になる」というのです(1)。また、田中研之輔さん(法政大学)は、スケートボーディングに取り組む若者たちに密着することで、それが若者たちに生きる「意味」を供給するひとつの文化になっている反面、「労働者としての若者たちの『周辺化』を無意識のうちに促進する可能性がある、また、日々の不安を隠蔽する作用を持っているがゆえに、若者たちがそうした『周辺化』を進んで受け入れる事態を招く可能性がある」ということを指摘しています(2)。 こうした議論を念頭に置くならば、90年代以降における若年雇用の流動化は、逸脱行為からの「卒業」の機会を若者たちから奪ってしまったという見方ができ、”ヤンキー的な生き方”を安易に称揚することによって、現代の若年労働環境の構造的な問題を隠蔽してしまっていないかということについて、細心の注意を払う必要があるのではないでしょうか。 ■ そうした危惧を抱いている反面、ヤンキー文化論ブームの意義についても、前向きに考えています。ブームとしてはこれから終息していくでしょうけれど、一過性の議論で終わってしまってはもったいないと感じていることがらもあります。話が長くなってしまったので、そのことについては次回に述べたいと思います。 (1)新谷周平「ストリートダンスからフリーターへ –進路選択のプロセスと下位文化の影響力」『教育社会学研究』第71集、2002年 (2)田中研之輔「若年労働と下位文化 –スケートボードをする若者の日常」伊藤守編『文化の実践、文化の研究 –増殖するカルチュラル・スタディーズ』せりか書房、2004年
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