私の母親は、明治生まれの祖父母の年齢を計算するのに、明治が四十五年で、大正が十五年で、今年は昭和何年だから、これでは数え年になるから1を引いて、誕生日が来ているから1を足して、などと言って、複雑怪奇な計算を二十分くらいかかってやって、必ず間違えて、役所に書類を持って行くと訂正されていました。見ていて、日本で人の年齢を数えるのはこんなにも難しいものなのかと思ったものです。
前元号の末年と次の元号の元年をダブルカウントする上に、昔の数え年と満年齢の違いが正しく理解できていないので計算があわないのです。
昭和64年生まれの私の姪、母親から見れば孫ですが、私は今年で28歳だと思っていますが、母親は平成の元号と同じだから29歳だと主張しています。ここでも昭和64年と平成元年をダブルカウントしているのですが、本人はどうしてそれがダブルカウントになるかということすら理解できません。
人間の年齢を計算するという最も基本的なことが、元号では正確に行えない人がいて、人によって意見が分かれてしまう状態になっているのです。今回も年の途中の改元なので、元号で年齢を計算すれば必ず間違える人がでてきます。
変わったら1年から数えなおしという仕組みは、年代計算にも不向きであり、永正14年が何年前か元号のみを用いて計算せよと言われた場合に、物凄く大変なことになりますが、西暦を使えば一瞬で500年前と分かります。
元禄時代とか享保の改革などと言われるので、西暦がないころの昔の人は元号を日常的に用いていたと思われがちですが、ころころ変わる元号を用いていたのは公文書のみであり、庶民は干支で年を数えていました。干支は一巡するのに60年かかるので、当時の平均寿命がすると、一巡して前後を混同することは在り得ず、こちらの方が元号よりもずっと便利でした。
戦後に昭和は法的な根拠を失い、慣例として使われているだけだったので、本当はそこで自然消滅させるべきだったのですが、国民の多くが元号のような不便なものの法制化に賛成してしまって、平成のあともさらに使用を強制されるような状態になっています。
このような指摘をすると、日本人であれば元号を使うのが当たり前だ、元号の使用が嫌であれば元号の無い国に行けば良いと言われてしまうのが、今の日本の現実となってきています。
記事に賛同の方は下のバナーをクリックして下さい。
賛同できなかった人も読んだのですからクリックして行って下さい。
人気ブログランキング