ETV特集「長すぎた入院」[字][再] 2018.02.08

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(女性)もったいないよ〜。
(時男)ハンサムでないよ。
最初は信じられないんだよ。
最初「ほんとかな?」と思って「うそかな?」と思って。
統合失調症と診断され精神科病院に39年入院していました。
時男さんの退院の日は突然やって来ました。
(女性)まだ病院?うん入院してた。
7年前に起こった…時男さんが入院していたのは原発から5キロ圏内にある病院。
すぐに避難指示が出ました。
ところが避難先で「入院の必要なし」と診断され退院したのです。
時男さんのように原発事故をきっかけに精神科病院を退院した人は数多くいます。
長期にわたって入院生活を送ってきた患者たち。
その取材を進めていくと精神科病院の驚くべき実態が見えてきました。
時男さんもそもそも長期入院の必要はなかった。
そう語るのは退院後の時男さんを見守ってきた精神科医です。
薬を飲み穏やかに暮らす時男さんと話す度その思いを強くするといいます。
なぜ長すぎる入院をする事になったのか…。
退院を阻んできたのは一体何だったのか…。
空白の40年をたどる旅路から知られざる精神医療の実態を見つめます。
群馬県で一人暮らしをしている時男さん。
今遅れてきた青春を取り戻そうとしています。
ハハハ…太陽じゃないよ。
地域での友人もできた時男さんですが入院生活であまりに多くのものを失いました。
今の住まいは家賃3万5,000円。
生活は月8万円の障害者年金でやりくりしています。
(一同)おはようございます。
5年前に退院した時男さん。
その後の生活は戸惑いの連続でした。
病院で閉ざされた日々を送っていた40年間に社会は大きく変化しました。
(女性)ちょっと待って。
見える?
(時男)見える。
(女性)そうですそうですそうです。
押して下さい。
ほら。
はい入れて下さい。
銀行のATMの使い方や切符の買い方など生活に必要な事を一つ一つ覚えていきました。
最近になってようやく落ち着いた暮らしを取り戻しつつあります。
しかし人生の喜びや苦労を分かち合える人はかつての入院仲間しかいません。
(時男)山口貞二さん。
病院で長い時間を共に過ごした親友はどんな思いで暮らしているのだろう。
訪ねたのは福島県内の高齢者住宅です。
こちらになりますね。
(ノック)失礼いたしま〜す。
おお山口さん。
いや元気か?46年もの入院生活を経ておととし退院しました。
原発事故以来の再会です。
長い事精神科病院での生活しか知らなかった2人。
(時男)ほんとだな。
うん。
今ようやく得た自由をかみしめています。
ちょっと硬いな…。
(笑い声)笑顔で。
チーズ!時男さんたちに転機をもたらした7年前の原発事故。
原発の近くには5つの精神科病院がありました。
しかし事故によって病院は機能を停止。
入院していた1,000人近い患者の多くが県外の病院に転院する事になりました。
その中で福島に戻りたいという患者たちが集まってくる病院があります。
お疲れさまでした。
こんにちは〜。
この日も神奈川県から一人の男性が転院してきました。
医者の佐藤と申します。
はい。
福島に戻ってきましたよ。
ここ矢吹病院。
避難していた患者を一時的に受け入れ入院の必要がなければ退院させる取り組みを行っています。
(佐藤)よろしくお願いします。
はいこちらこそ。
定期的に医師が回診して診断の見直しを行い症状が落ち着いている患者が地域に戻るためのサポートをしています。
実はこの取り組みが精神医療の驚くべき実態を白日の下にさらす事になりました。
あっハロー!
(一同)おはようございます。
(聞き手)入院は何年ぐらいされているんですか?矢吹病院に転院してきた人は5年間で52人。
実にその半数が25年をこえる長期入院生活を送っていました。
50年もの間入院している…長すぎる年月に生きる希望を失っていったといいます。
(聞き手)どういうところを?更に取材を進めると衝撃的な事実が分かってきました。
矢吹病院によると多くの患者が長期入院しているにもかかわらずその9割は入院治療の必要がないというのです。
実は…入院期間も他の先進国と比べて突出しています。
こうした日本の精神医療の状況は「人権侵害にあたる」と国連やWHOなどから何度も勧告を受けてきました。
しかしその内実はこれまでほとんど明かされる事はありませんでした。
原発事故を機にその一端が見えてきたのです。
必要のない長期入院が行われている現実。
そのありようは戦後の国の政策によってもたらされたものです。
高度経済成長に向かう1951年。
国は「精神障害者によって年間1000億円の生産が阻害されている」とし隔離収容政策を打ち出しました。
当時の国家予算は7500億円。
精神障害者による犯罪や家族が働けなくなる事による巨額の経済的損失を防ぐという理由でした。
その流れに追い打ちをかけたのが1964年に起きた事件。
アメリカの駐日大使が精神疾患の疑いのある少年に刺されたのです。
精神障害者を野放しにせず収容すべきとの主張が連日メディアで繰り返されます。
精神障害者は危険だという風潮がつくられていきました。
国は精神科病院の医師や看護師数の基準を緩和。
患者一人にかける手間を減らし病床数を増やすほどもうかる仕組みにしました。
確実な収益が期待できるようになった事で他の業種からの参入が相次ぎ病床数が急増していきます。
しかしそのころ海外では真逆の動きが起きていました。
人権意識の高まりから退院が進められます。
そして日本は世界一の精神科病院大国となったのです。
長期入院をしてきた患者たち。
中には本来精神科病院にいるはずのない人もいます。
この日東京から転院してきたのは30年近く入院してきた女性です。
疲れませんでした?はい。
うん。
(聞き手)何か精神的にありましたか?問題が。
(聞き手)今まで精神薬とか飲んできた事ってあるんですか?女性には軽度の知的障害があります。
しかし診察したところ精神疾患は認められませんでした。
(聞き手)精神科の患者さんなんですか?転院してきた患者たちの4人に1人が知的障害者。
精神疾患のない人もいました。
あっここに。
ああよかった。
(笑い声)隣のお部屋になりますからよろしくお願いしますね。
ちょっと髪を…。
統合失調症です。
長年薬で症状は抑えられていますが30年もの入院生活を送ってきたといいます。
(聞き手)最初はどのぐらいだと思われてたんですか?なぜ美千世さんは長期入院する事になったのでしょうか。
39年間入院してきた時男さんです。
退院して5年。
今改めて人生で失ったものの大きさを感じています。
あっどんぐり落ちてるわ。
これ。
この日時男さんがやって来たのは子供時代を過ごした福島市です。
両親は時男さんの入院中に亡くなりました。
葬式に参列できなかった事が悔やまれるといいます。
子供の頃に見たふるさとの姿はもうありません。
時男さんの人生の歯車が狂い始めたのは10代の頃です。
高校1年生の時時男さんは家を離れ東京へと向かいます。
時は高度経済成長真っただ中。
都会で新たな人生をスタートさせたいと希望を抱いていました。
仕事に打ち込んでいた…時男さんは東京の精神科病院に入院。
治療を受けほどなくして退院します。
その後薬さえきちんと飲めば症状が出る事もなく仕事に意欲を燃やしていました。
しかし精神障害者への差別が強かった当時入院した事で家族からも偏見の目が向けられるようになります。
(聞き手)足がつった?うん。
22歳の時父親に言われ福島の病院に転院。
稼働したばかりの原発に近い病院でした。
以来原発事故の発生まで時男さんは人生の大半をそこで過ごす事になったのです。
去年10月。
時男さんは原発事故以来初めて入院していた病院を訪ねました。
病院があった福島県大熊町は今も大半が帰還困難区域になっています。
立ち入りは制限され中で暮らしている人はいません。
(時男)ゴーストタウンだなほんとな。
病棟での日々。
その思いを時男さんは詩にしたためていました。
自分は本当に退院できる可能性はなかったのか。
時男さんは病院の関係者を訪ねました。
(チャイム)ごめんください。
松本さん。
あら〜どうもこんにちは。
お久しぶり〜!こんにちは。
松本さん元気け?元気け?元気だよ〜。
どうぞどうぞお入り下さい。
変わりないね。
なんか痩せたような気ぃすんな。
はっ?誰?私?時男さんが入院していた時の看護師です。
(時男)話し方は変わりないね。
変わんないよ。
うん。
(聞き手)どういう立場だったんですか?松本さん。
アハハハ。
(松本)アハハハ。
(聞き手)時男さんはどんな存在だったんですか?
(松本)模範の患者さんだった。
うんほんと。
時男さんずっと聞きたかった疑問をぶつけます。
俺寛解状態だったんですか。
そうそう。
あったんだよねやっぱね。
そうだよね。
退院できなかったもんな。
退院が検討されていたにもかかわらずなぜかなわなかったのか。
入院当時の院長を訪ねる事にしました。
清水允熙医師。
現在は認知症専門病院の病院長を務めています。
1974年から5年間主治医として時男さんを診ていました。
(聞き手)病院の印象というのはどういったものだったんですか?当時清水院長は医師を増やしできるだけ患者を退院させる方針を打ち出しました。
時男さんも退院の日を迎えるはずでした。
しかし思わぬ理由でかないませんでした。
その後清水院長は任期を終え退任。
時男さんの入院は続きました。
何が自分の退院を阻んだのだろうか。
時男さんは病院から2,000ページを超えるカルテを手に入れました。
入院して14年目。
37歳からの記録です。
カルテを見ると「体調がよく穏やかに過ごしている」という記述が頻繁に出てきます。
幻覚などの症状が出たのは23年間で僅か2回。
ほとんどありませんでした。
その間時男さんは繰り返し退院を訴え続けていました。
時男さんは年に一度面会に来る家族にも退院を訴えています。
家族から病院に退院を申し出てほしいと頼んでいました。
しかし父親の答えは「誰が見ても快くなったら」。
そっけないものでした。
当時退院には家族の意向が大きく反映されていました。
家族が退院を強く主張してくれればもっと早く出られたのではないか。
(花火の打ち上げ音)答えを得たいと時男さんはこの日ある人と待ち合わせをしていました。
分かる?場所分かる?あ後ろにいるの。
これお土産。
10歳余り年の離れた弟です。
いや〜疲れた。
我慢してたんだ。
一向に進まない退院。
入院患者が増え続ける状況に国連の場で非難の声が上がります。
それを受け1987年国は隔離収容政策を転換。
患者たちの退院促進を掲げます。
グループホームなど地域で自立生活を行う仕組みの整備が始まりました。
ところが精神障害者の施設がつくられる事に住民が抵抗。
各地で反対運動が巻き起こったのです。
結局多くの人は受け皿をなくし病院での長期入院を余儀なくされました。
家族からも地域からも受け入れられず人生の大半を病院で過ごしてきた患者たちにとって退院は容易ではありません。
30年近く入院してきた美千世さん。
緊張します?うん。
病状も落ち着き退院に向けた準備を始めていました。
あら。
向かったのは退院後の受け皿となるグループホームです。
本来医師の診断さえあれば退院に家族の許可は必要ありませんが退院後の生活をスムーズに送れるよう両親が同席しました。
長年家を離れていた美千世さん。
本当はここではなく実家で暮らしたいと訴えました。
美千世さんは今家族から離れ地域での生活を始めようとしています。
じゃ〜ん。
月に一度グループホームや作業所を訪ね少しずつ病院ではない暮らしになじもうとしています。
おはよう。
去年9月54年入院してきた鈴木孝一さんの退院の日がやって来ました。
おはようさん。
うん。
ああ…。
分かってっか?はい。
病院での閉ざされた生活。
その間ずっと孝一さんの身の回りの世話をしてくれた友人がいます。
81歳統合失調症の男性です。
じゃあいきますよ。
うん。
2人は共に退院を願いながら15年近く同じ病院で過ごしてきました。
ああほんとですね。
うん。
そんならいいんだけどもね。
うん。
元気でな。
元気で。
今日お別れなんだけどな。
さよなら。
はい。
うん。
さよなら。
はい。
はいどうもね。
ありがとうございます。
大丈夫?帰れる?うん。
グループホームで暮らし始めた孝一さん。
(聞き手)あおはようございます。
おはようございます。
こないだはどうも。
(聞き手)ああどうも。
(聞き手)うれしい?うん。
管理されず好きな時に外出でき好きなものを食べられるようになりました。
自由は…。
(聞き手)すごい笑顔になりましたね。
うん。
ほんとに…。
時男さんの友人たちも今次々と退院しています。
この日訪ねたのは15年来の親友です。
(時男)覚えてっか?俺の事。
1年前に退院したこの男性とは原発事故以来の再会です。
元気かい?元気です。
はい。
懐かしいね。
懐かしい。
男性はグループホームで暮らしながら自然栽培を行う作業所で働いています。
(時男)楽しい。
ハハハハハ…。
病院にいるよりいいよな。
はい。
(時男)そうだよね。
(時男)ハハハ…一人暮らしか。
はい。
はい。
はい。
頑張ります。
原発事故をきっかけに自由を手にする人がいる一方全国では今なお長すぎる入院が続いています。
2018/02/08(木) 00:00〜01:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集「長すぎた入院」[字][再]

精神科病院大国、日本。人生の大半を精神科病院で過ごした人の実態が、原発事故をきっかけに見えてきた。なぜ彼らは長期入院になったのか。当事者の証言で探っていく。

詳細情報
番組内容
精神科病院大国、日本。世界の病床のおよそ2割が集中し、長期間、精神科病院で過ごす人が少なくない。国連やWHOなどからは「深刻な人権侵害」と勧告を受けてきたが、その内実はほとんど知られることはなかった。ところが、原発事故をきっかけにその一端が見え始めてきた。人生の大半を病院で過ごした人。入院治療の必要がなかった人。番組では、患者たちの人生を追うとともに、なぜこのような事態が生じてきたのかを探る。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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