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「憲法9条を守れ」と叫ぶ人たちが見て見ぬふりする「最大の矛盾点」

改正議論本格の前に確認しておこう
長谷川 幸洋 プロフィール

「憲法学者」が正しいとは限らない

私は憲法の解釈をするなら、まず国連憲章を前提にすることが重要と考える。国連憲章こそが国際社会の平和と秩序を保つ基礎になっているからだ。この点は、これまでのコラムで何度も指摘してきた(たとえば、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38926)。

解釈の出発点は、憲法が禁止した「国権の発動たる戦争」が「国連憲章が認めた(1)と(2)の武力行使」も含むのかどうかだろう。「含む」と解釈するなら、憲法は憲章が認めた武力行使も禁じている話になる。逆に「含まない」なら、禁じていない。

私は「含まない」と判断する。同じ米国が起草したのだから、憲法も国連憲章の考え方を基礎にしている、と考えるのが自然だからだ。国連憲章を棚に上げて「集団的自衛権は違憲だ」などと叫ぶ憲法学者は根本から間違っている、と言ってもいい。

日米安保条約も国連憲章も集団的自衛権を前提にしている。とりわけ、旧安保条約は前文で国連憲章が個別的及び集団的自衛権を認めていることを記したうえで「これらの権利の行使として」日本が国内に米軍基地を置くことを希望する、と明記した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43908)。

それを違憲というなら、日米安保条約を締結し(1951年)、国連に加盟した(56年)日本政府の行為が違憲という話になってしまう。

以上を踏まえたうえで、どう憲法を改正するかは政治と国民の判断である。

 

私は現行の憲法は自衛隊を禁止していないと思う。であれば、上に述べた理由で、あえて「戦力不保持」と「交戦権の否認」を掲げた9条2項を削除しなくともいいと思う。自衛隊は「禁止された戦力」ではないからだ。

ただ、やがて国民の理解が深まって「戦力不保持と自衛隊の存在は紛らわしい」という話になれば、戦力不保持規定を外しても、もちろんかまわない。それは、もしかしたら最初の改正ではなく、2度目、3度目の改正をするときの課題かもしれない。

憲法改正論議はこれから本格化する。強調したいのは、憲法学者が専門家であるからといって彼らが正しいわけではないという点である。これも、かねてコラムで指摘してきた(たとえば、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43719)。彼らの「トンデモ論」に惑わされてはいけない。

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