なぜ、米国は日本に再軍備を促したのか。それは共産主義勢力に対抗するために、日本の軍備を必要としたという政治的理由が大きかった。加えて、国連憲章が例外的に「軍隊による武力行使」を認めていたからでもある。それは次の憲章第42条に記されている。
ここに示されているように、国連安保理は第41条で定めた経済制裁や運輸通信手段の断絶によっても不十分なときは、加盟国の陸海空軍を動員して、最終的手段として武力行使もできる。それから第51条だ。
他国から攻撃された国連加盟国は安保理が動くまでの間、個別的または集団的自衛権を行使して反撃できる。以上のように、国連憲章は(1)安保理が認めるか(2)安保理が動かない間は、個別または集団的自衛権の行使として武力行使を容認していた。
だから、日本が自衛隊を保有したとしても(1)か(2)の武力行使をする軍隊であれば、米国は容認できた。逆に言えば、自衛隊という軍隊は(1)か(2)以外の武力行使はできない。それ以外の軍隊は、米国から見れば「トンデモナイ存在」なのである。
以上が前回コラムで指摘したポイントだ。今回、あえて念入りに繰り返したのはなぜか。
冒頭に記したように、日本では憲法問題を考えるとき、あまりにも憲法の条文自体にこだわりすぎて「ああでもない、こうでもない」と解釈論ばかりが大手を振ってまかり通っているからだ。それでは本質を見失ってしまう。
憲法9条改正問題の本質は「日本の平和と安全をどう守るか」である。
条文解釈論が焦点になったのは、篠田教授が『集団的自衛権の思想史』(風行社)や『ほんとうの憲法』(ちくま新書)で強調しているように、多くの憲法学者があたかも「憲法はオレのもの」と言わんばかりに、憲法解釈を独占してきた事情もある。
そして、左派勢力は多数派の憲法学者による解釈を「錦の御旗」にして「9条を守れ、9条が日本の平和を守った」などと宣伝した。
脱線するが、彼らは歴代自民党政府を「対米従属」などと批判してきた。そうであるなら米国が作った「憲法を守れ」と叫ぶのではなく、彼らこそが自主憲法制定を唱えるべきだったのではないか。護憲派が政府を対米従属と批判するのは本来、倒錯している。