こんな記事が掲載された。
赤字31路線を一斉廃止へ バス会社、規制緩和に抗議
https://www.asahi.com/articles/ASL285SDXL28PTIL02B.html
非常に気持ちの悪い内容なのだが、日本ではそういう感覚では受け取られないのかもしれない。記事の概要は、『岡山県のバスの黒字路線に他社が参入申請をして、それを国が認可する方向で検討していたら、既存業者が「それなら赤字路線は廃止する」と表明した』というものである。
何が気持ち悪いって、両備グループという既存業者のやり口である。過疎地の住民の生活を人質にして、国に圧力をかけるというやり方がえげつない。規制緩和は当然の話で、市場性が高いなら、新規事業者はどんどん参入してくるべきだ。そして、そこへ客が取られそうになって、過疎地での事業継続が難しくなるなら、事業体がやるべきことは国への働きかけではなく、市場、すなわち利用者への働きかけである。「私たちの会社は、岡山県の多くの住民の生活を支えてきました。今後も、事業を継続できるように、割高ではあっても、当社のバスを利用してください」と主張するのであれば、何の違和感もない。向かう方向が国という点が気持ち悪い。これは、僕が経産省という規制緩和を旗印にしている役所で働いていたことや、自由主義社会の米国での暮らしが快適で仕方ないことにも起因しているのかもしれない。何しろ、交渉の行き先が国というのが筋悪である。おそらく、市場を信頼していないのだろう。「そんな主張をしても、結局安いバスを使うに違いない」と感じているのだと思う。
#実際、その可能性は小さくないと思うが。
このブログでは良く言及するのだが、シェイク・シャックというハンバーガー・チェーンが米国では人気である。ところが、シェイク・シャックのハンバーガーは、マクドとそう大差ない、大してうまくないハンバーガーを提供している。なぜ客がマクドではなくシェイク・シャックを選ぶのかと聞くと、「会社の雇用条件がとても良くて、社会に貢献しているから」という答えが返ってくる。市場が、会社の姿勢を評価しているのである。一方で、日本でもうまくもないシェイク・シャックに行列しているけれど、その理由は「米国ではやっているから」だろう。聞いてないけど。こうした点が、日米の社会の成熟度の差である。
こういう記事を読んで、「規制は緩和すべきではない」と考える人がいれば、いかにも村社会の人間という印象を持たざるを得ない。既得権者が優遇されて、新陳代謝のない社会には沈滞しかないし、お先は真っ暗なのだが、気がつかないのかも知れない。
#どうしても立ち行かないのであれば、公営化するという手もあるが、それはそれで時代に逆行している。ともあれ、多くの場面で、国の関与を減らしていくことが重要である。なぜなら、国の判断、あるいは官僚の判断は間違いが多いし、その上で間違いの責任を誰も取らないからである。
じゃぁ、岡山の交通事業に関して国交省の姿勢に全く問題がないかといえば、そんなこともない。タクシー業界の反対に屈してUberの参入の障壁になっているあたりは、ダブルスタンダードに感じられる。規制を緩和するなら、部分的ではなく一斉に緩和しないと、市場に歪みが生じる。って、これも、国に判断を任せた結果なのだが。
こういう話において僕のスタンスはマイノリティなので、日本が嫌になって今は米国で暮らしているのだけれど。