聞こえますか・・・予想以上に長くなってしまったので先に伝えたいことを伝えます・・・
- 人間はみな孤独で、不安で、余裕がない
- 自分を貶す行為は、周りを無差別に攻撃するようなもの
- 「自分に自信がない」は「他人を攻撃する」免罪符ではない
- あなたと違う意見を持つあの人は、あなたを否定しているわけではない
- あなたを否定するあの人は、あなたの仲間に入りたいのかもしれない
- 誰かに傷ついたり怒った時、それを公的な場で発散する前に相手への「決めつけ」が存在していないか探す
- その「決めつけ」は、あなたが過去受けた傷と関連していないか確認する
- 不幸な人に共感しない、本当に仲良くしたいならば自分の不幸と他人の不幸をごっちゃにしない
- 所詮140文字の文章で他人の価値観など推し量れない
- 「決めつけ」と「否定」さえ行わなければ他人に話しかけた時拒否されるリスクが低くなる
- 「好きじゃない」のは仕方がないし、相手から離れる理由はそれだけでじゅうぶん
ドキッとしたフレーズありましたか?なければ以下の文章は読まなくても大丈夫です
みなさんはもし回転寿司に行って、一緒に来た友達がラーメンを食べてたら絶縁しますか?
もし友達がガラケー派だった場合、「スマホは便利だよ」と言いながらその場で友達のガラケーを叩き折ったりしますか?
しませんよね
しかしtwitter上で「くら寿司でラーメンなう!」と言うだけでブロックされるパターンはさほど珍しくありません
オタク、コミュニケーションに慣れていなさすぎではありませんか?
ここで言う「コミュニケーション」とは単に「人と喋る」「友達を作る」「集団社会でうまく立ち回る」とはまた意味が違っていて
それができない人は言うまでもないのですが、その先のお話です
twitterが流行ったので、もう「意見を発信し、会話をしなくてもじっくりと相手を吟味して近しい意見の人を選んで接する」ということが誰でもできる時代になりました
しばしば地雷がどうとか嫌なら見るな論がどうとか繊細なオタクがtwitterでキレるのは要するにtwitterが「傷つくリスクを回避できるSNS」という認識がなされているからなんですね
たしかに、主張の合わない人と仲良くするメリットって全く無いわけですよ
完全に自分のTLを快適な箱庭にしたいなどという思想はありませんが、嫌いな人を嫌いだと先んじて知ることができるし、
どこかで行われている激しい争いを視界からシャットアウトして好きな人のツイートや猫の画像がふわふわと漂っているtwitterの優しさ、自分も大好きです
死とは、孤独です
自分がふわふわと漂っていると、ついつい周りの皆さんもふわふわと漂っているものだと勘違いしてしまうのですが
いつもTLで仲良くしていると思っていたグループが自分の知らないところで通話やオフをしていたり
仲良くリプを飛ばし合っていた男女がいつの間にか結婚していたり
狭いコミュニティだと余計そういったものが意識しなくても目についてしまうものです
あれ・・・・・・・・・じゃあ誰ともオフや通話をしていない自分は・・・・・????????
こうなると優しかったはずのふわふわ世界が一転して「自分を疎外する空気」というものに塗り替えられてしまいます
実際の所リア友だったとか、同郷だとかイベントでたまたま隣だったとか、ちょっとしたきっかけがあるかないかの違いだったりもするのですが・・・
「自分を疎外する空気」を感じてしまったが最後で、あとは学生時代よろしく教室の隅で落書きするオタクの卑屈な心理状態になります
「あの人は自分のことを褒めてくれるけどいいねが一万件超えてるし、大勢の一人くらいの認識なんだろうな」
「フォロー1000件越えてる人にフォローバックしてもすぐ忘れられるだろうな」
「この人リプライでは仲良くしてくれるけど、オフには誘ってくれないな 多分自分が空気読めないからだろうな」
「憧れの人が通話募集してる人いるけど自分が話しかけてもお前じゃねーよって思われるだろうな」
「オフに行ってみたけど身内感すごくて全然話せなかったな 次からは誘われないだろうな」
現実、オフまで行けば他のふわふわ孤独ユーザーからは疎まれるくらいコミュニケーションはしているはずなのに・・・
オタクはいくらでも自分を貶すことができるものです この自尊心の低さがオタクのオタクたる所以ですね
そうしてメンタルがヘルしてしまったオタク達は「自分のほうがマシ」と思えるような闇オタクを好んでフォローしていき
集まった精鋭の厭世オタク達、陽キャの存在しない理想の国・・・自分はこれを「オタク限界集落」と呼んでいます
しかしこの集落で行われるやり取りも先程記述したものとさして変わりません
コミュニケーション在る所にヒエラルキー在り、自分が良しとしてその激流の中踏ん張り続けない限り
良質なコミュニケーションを獲得することなどできないのだと、これを読んでいるオタクはお気づきでしょうか
悲しいかな、限界集落の所属でそこに気づくことができるのは一握りのオタクのみ
殺し合いの始まりです
まぁやはり自意識過剰のオタク達ですから殺し合いもエコロジーです
反社会的な妨害行動や正々堂々とブロックなどといった強い行動に出るメンタルは備えていません
いや、その繊細さこそが悪のコミュニケーションを「環境」として成立させてしまうのでしょうね
まず彼らは「人生の不幸な側面」で響き合った者共なので、基本他人の幸せを祝福できません
もう他人が幸せな時点で心に深いダメージを負い、正当防衛と言う名の理不尽な暴力を振るってしまうからです
だって直接言ったらストレスで自分も傷つくし、相手から反撃まで食らう可能性もあるし、良いことないですよね
例(完全に創作です)
A「今日はBさんと有名なパンケーキのお店行ってきました!おいしかったけど何時間も並ぶものじゃないな~(汗」
C(AとBの共通フォロワー)「話題のスイーツとかそういうのに飛びつく人って馬鹿なのかな。売上に貢献してるから良いじゃんみたいに言うけど、キャパを超える客が押し寄せたって店側も迷惑。」
D(Cの友達)(RT)「>RT わかる。ブームが去ってから潰れた店何件か知ってるけど、ああいう手のひら返しがいっちゃん見ててキツイな」
C「Dさんすき」(空リプ)
こうして、AさんとBさんの関係に勝手に疎外感を覚えたCさんがそれっぽい理屈をこねて周囲に同調を得ることで(同調を得るために正しい風味の論を立てるのです)
二人は息苦しさを覚えながらもどうすることもできません
なぜならCさんは二人のことを明確に攻撃したわけでないと言い訳ができるので、
反撃にリムーブなんかをするとCさんは余計に傷つき、自分は被害者とアピールし更なる同調を求め始めるからです
そうして緩やかな言論統制が行われて、幸せなツイートが駆逐されると次は意見が違うだけでも攻撃対象にされ・・・
結果として「垢消し」しか逃げ場がなくなり、「メンヘラはすぐ垢を消す」といった客観的事実が完成するのです
そして、これは「コミュニケーション」と呼べるものなのでしょうか?
誤解しないでいただきたいのは、自分はオタクや繊細な人々を批難したいわけではないということです
自分だっていつ傷つき誰かを傷つけるかわからないし、批難するのが正当であると主張する人々がしばしば想定に使う「完全な被害者」や「完全な加害者」など実在しません
現在この戦いの渦中にいる人々はそれぞれ相手を憎みながら同時に深く傷ついています
全員が「防衛行動」を取っているだけという構図なのでとっても不毛な挙句、これを指摘すれば「攻撃者」と認識されるリスクが非常に高いため増田を使用しているのですが
要するに、インターネットでくらいストレスから解放されませんか?というご提案をさせて頂いている形です
冒頭に貼りましたがすくなくとも精一杯書いたので繰り返しお伝えします
- 人間はみな孤独で、不安で、余裕がない
- 自分を貶す行為は、周りを無差別に攻撃するようなもの
- 「自分に自信がない」は「他人を攻撃する」免罪符ではない
- あなたと違う意見を持つあの人は、あなたを否定しているわけではない
- あなたを否定するあの人は、あなたの仲間に入りたいのかもしれない
- 誰かに傷ついたり怒った時、それを公的な場で発散する前に相手への「決めつけ」が存在していないか探す
- その「決めつけ」は、あなたが過去受けた傷と関連していないか確認する
- 不幸な人に共感しない、本当に仲良くしたいならば自分の不幸と他人の不幸をごっちゃにしない
- 所詮140文字の文章で他人の価値観など推し量れない
- 「決めつけ」と「否定」さえ行わなければ他人に話しかけた時拒否されるリスクが低くなる
- 「好きじゃない」のは仕方がないし、相手から離れる理由はそれだけでじゅうぶん
一人でもいいです、どうか苦しんでいるオタクに届きますように・・・
SNSで一喜一憂するくらいなら友達や愛する人、愛する自分とくら寿司に行きましょう
友達なんかいないし、習い事は年上ばかりで新しくできる気もしない。そいつらからも、薄らと拒否されてるのが伝わってくる。 友達がいるやつだって、大学卒業から時間が経つほど友...