インターネットの上ではhmskと名乗っている者です。現在はアメリカはサンフランシスコにあるIndiegogoという会社で、同名のクラウドファンディングプラットフォームサービスに関するソフトウェア開発に従事しています。
Indiegogo: Crowdfund Innovations & Buy Unique Products
私が初めてアメリカを訪れたのは、2009年。大学4年生のときでした。その後、特に留学や出張の機会、海外志向があったわけでもなかったのですが、キャリアの分岐点で進む方角を何となく選んでいるうちに、今の場所に辿り着いていました。
サンフランシスコ、ひいてはシリコンバレーでのソフトウェア開発の仕事と聞くと、今ならとても高い給料や家賃が話題の中心になるかもしれません。初めて私が訪れた当時は、Apple、Google、Dropbox、GitHubといった会社が集まるこのエリアは、ウェブやプログラミングの世界が好きな私にとっては聖地のような、漠然とした憧れを持つ土地のひとつでした。
このコラムでは、その漠然とした憧れが運良く現実になりつつある、変な経路を辿ったソフトウェア開発者の一例を紹介できればと思います。読者の方にとって、何かしらキャリアや働き方について考える材料となるものがあれば嬉しいです。
ウェブとシリコンバレーと私
私の詳しい経歴はLinkedInにある通りですが、ちょっと複雑なので、大まかに簡略化して並べてみます。
- 2002年 高専入学。在学中にインターネットで知り合った友人と、レンタルサーバ事業を創業
- 2007年 大学へ編入学し、上京
- 2008年 株式会社はてなにインフラエンジニアのアルバイトとして入社
- 2010年 大学院在学中、クックパッド株式会社にインフラエンジニアとして入社(大学院は翌年に退学)
- 2012年 友人のスタートアップに入社し、渡米。決済サービスWebPayの開発・運営に携わる
- 2016年 Indiegogoにソフトウェアエンジニアとして入社
パソコンが好きで入学したはずの高専は、私の下調べが甘く機械系中心の学科だったためコンピュータに触れることがあまりなかったのですが、幸い趣味の時間を多く取れたため、その中で本来の欲求を満たしていました。これがウェブ開発者としての経歴の始まりです。
しばらくして、本屋で出会った『ウェブ進化論』という新書で語られたインターネットの世界に興味を持ち、上京を決め、本にも出てきたはてなにアルバイトとして入り込みました。
シリコンバレーへ渡ろうという興味が出たのは、はてなで働いているころ、よく話に聞くようになってからでした。
現地で行われたカンファレンスに参加し、周辺の企業等を訪問して回ったのが、冒頭の「初めて訪れた」機会です。そこで見聞きしたことにすっかり当てられてしまったものの、海を渡るには実力が見合わなくて具体的なアクションも取れず、それから淡々とチャンスをうかがうように過ごしていました。
その後、興味のあったクックパッドから誘いを受けて、大学院を辞めて働きはじめました。しばらくして、シリコンバレーで友人が創業していたスタートアップへ転職し、図らずも渡米が現実のものとなります。そこで生活のほとんどを自分の作るサービスに捧げていたら、会社が期待していたよりも早くに買収されて状況がまったく変わってしまい、離れることを決意しました。
アメリカに住んでいたとはいえ、結局は日本に関わる仕事にほとんどの時間を費やしていた身。英語もままならず、なかなか辛い現地での転職活動(しかもこれが人生初めて取り組んだいわゆる就職活動でした)を経て、ようやく掴んだオファーのひとつが、現在勤めているIndiegogoからのものでした。
毎日違う言語とカルチャーにヒイヒイ言いながら、もう1年半が経とうとしています。
キャリア自体が意識できていなかった
こう振り返ると、業界は変われど16歳のころから、ウェブサービスに関わる者として生きてきました。仕事のため、初めてウェブアプリケーションのコードを書いて今年で15年になること、その割に大して成長できていないことに少し驚いています。狙ってこのような経歴を描いたわけではなく、都度現れる分岐点において自分の指針を実直に追った結果でしかありません。
伊藤さんのようにしっかりと積み上げられているキャリアに比べると、飽きっぽいような、あるいは、それぞれの選択がいささか大胆なようにも見えるかもしれません。キャリアという文脈で自分の記憶を辿ると、高専進学後しばらくは、どこかの電機メーカーに勤めるものだと思い込んでいました。
大学のキャリア指導でも、70歳くらいまでの自分が5年おきにどうなっているかを書いてみる課題で、就職したあと30歳以降がまったく書けなくて、Wikipediaで見つけた誰かの人生を書き写していました。
キャリアの分岐点において大事にした6つの指針たち
運が良いだけの青年が経歴を語るさまはあまり清々しいものではありませんが、これらの経歴の中で私がどういう方針を持っていたかについて触れてみたいと思います。
私たちソフトウェアエンジニアにとって、キャリアの分岐点と呼べそうなものは、きっと毎日のように目の前にあるはずなのです。何かを作れるエンジニアであれば、いま新たな採用の機会に巡り合わないわけがありません。
今日もし魅力的な転職先に出会ったら、その時に転職を決意するかもしれません。その瞬間は、他の選択肢や現状を採点する処理が頭の中を巡るでしょう。その処理の中で、自分が採点する際に重要視する基準を検証する指針があるのではないでしょうか。
私にとっての指針は以下の6つでした。
- 自分がユーザになるサービスを作っているところへ行く
- 自分よりすごいと思える人ばかりがいるところに行く
- 迷ったらしんどい方を選ぶ
- 直感を尊重する
- ないものねだりを許す
- 他のプロジェクトを持つ
1. 自分がユーザになるサービスを作っているところへ行く
せっかく生きている時間の多くを充てるのだから、コードを書いてお金をもらうということ以上の意味を、そこに持たせたくなります。
私の場合は、自分が作ったサービスのユーザに、自分がなり得ることを条件にしています。はてなやクックパッドは入社前から利用していましたし、WebPayは自分が使いたかったもの、Indiegogoもユーザですし、ほかに米国で受けた企業も使ったことがあるサービスがほとんどでした。どうせ作るものなら、ユーザの気持ちが少しでもわかるもの、自分自身の生活が少しでも豊かになるものに関わりたいです。
余談ですが、クックパッドで出会ったエンジニアのポリシーで、「お母さんが幸せになるものを作る」というのを聞いたときに、すごく感銘を受けた覚えがあります。私もそうであったらいいかもしれないなと思ったものですが、ほどなくしてクレジットカード決済のAPIを提供するサービスを作ることが仕事になったときに「お金をあっちからこっちへ送る仕事」としか認識してもらえないことに悲しくなった覚えがあります。
2. 自分よりすごいと思える人ばかりがいるところに行く
これは定番かもしれません。優れた人のそばで必要な情報を吸収できる状況というのは大きなチャンスです。もっとも、集団の中でも自分が劣る場所にいることは、ときどき劣等感に苛まれ、辛いこともあるのですが、呼び起こされた焦りは自分の早期の成長を促します。
私にとってはてなという会社は、ウェブ系の企業が多くないころから優れた技術者ばかりがいるところでした。その後選んだクックパッドでも、ユーザにサービスを提供することについて、ちょっと心配になるくらい考え抜いている人ばかりでした。
スタートアップに移ったときは、年齢がほぼ同じ人たちがまったく想像できない挑戦をしていました。今の会社では、1日かけてオフィスで行われた面接でインタビュアーとして出会った人たちを知ったことが、決め手のひとつです。
3. 迷ったらしんどい方を選ぶ
これも似た考えを見かけますが、「しんどい方が結果としてエキサイティングである」と説明されていることが多いように思います。
きっとそれが正しいのですが、「しんどい方」というのは「多くの人が選ばない方」だともいえます。 人と異なる選択をすることは、選択自体に精神的な負荷が大きいし、選択後は想像通りのしんどさに加えて、選んだ人が少ない故に事前に知り得なかった問題に遭遇する可能性も高いものです。
私は、高校に進学せずに高専、大学院を修了せずに就職、勢いのあった会社を離れて渡米と、分岐の上ではより少ない人数しか進まなさそうな方を選びがちです。
それは、高校・大学進学、就職活動から定年に至るまでを一貫した線で描いていくような世界観の中で育んだ感覚が強く、「ヨーイドン!」の合図とともに人と競っているような気持ちになってしまうのです。学力をはじめ何で競っても1番になったことがない私は、違うものを選ぶというところだけは頑張って、それら順位付けの上にいる人たちと正攻法で戦わないことを良しとしました。
ファーストペンギンというと言い過ぎですが、予想通りでも予想外にも辛い思いをしながらも「しんどい方」には何か良いことがあると信じています。
直近ではアメリカにそのまま残り、転職に挑んだのはまさに「しんどい方」でした。ありがたいことに、私のことを評価してくれる方々が日本での新たな仕事に誘ってくれていたのですが、そこに甘えて帰国するのは、挑戦する機会を避けているような気がしたのです。
転職活動は文字通りしんどかったのですが、学歴も職歴も、あまり現地の就職で有利になるものが少ない状態から、いちソフトウェアエンジニアとして純粋にオファーをもらえたことは、私にとっては大きな収穫となりました。
生存バイアスかもしれませんが、「しんどい」ものとして選んだ方に行ったからこそ、割とうまくいっていると思える人生を過ごせています。もし大学院を修了し、新卒で就職して日本にいたら、この記事を書く機会をはじめ、こんなに多くのことに恵まれていなかったかもしれません。
ただ、人とは違う変なことをすればいいとか、既定路線を外れれば良いと言いたいわけではないことだけはご理解いただけると嬉しいです。
4. 直感を尊重する
私が入ろうとした会社の第一印象はすべて「なんか好きだな」から始まっていました。
「なんか好きだな」と思ったときに、具体的に何が良かったのかを説明できることはもちろん大事なのですが、そうして説明する過程で「それは間違っていた」とも「やっぱり合っていた」とも思えてしまうこともあります。
そんなときに、最初の「なんか好きだな」が正だと信じることは、自分の中では悪くない選択でした。チラついた選択肢に対しては、思いを巡らせて計算をしてしまうものですが、結局は最初に打算なく思ったことに純粋な価値観が眠っているように思います。
先日、永世七冠を達成された羽生善治さんの著書『決断力』の中で「直感の7割は正しい」という言葉が出てくるのを読んでから、(羽生さんと同様に直感で精度高く判断できるかのように言っているみたいで恥ずかしいのですが)とても大事にしている考え方です。
5. ないものねだりを許す
そのときの環境が原因で「どうやってもできない」ことを選ぶときには、自身がわがままを言っているような、現状の不満に対して「ないものねだり」をしているだけのような思いがして、判断が揺らぎがちです。
しかし、これはエンジニアとしての性質でもあり、知らない分野を知りたいという好奇心だと、受け入れるのが良いように思います。結果としては、知見や精通する分野が増え得る機会なので、もし新たな選択ができるときには、大事にしたい価値観です。
おそらく「やったことがないものを選ぶようにする」とも言いかえられるでしょう。
私自身は、インフラからアプリケーション、上場企業からスタートアップ、開発者向けサービスからコンシューマ向けサービスといった切り替えをするたびに、継続できないことに自己嫌悪することが多かったのですが、尊敬するソフトウェアエンジニアが、新たな会社を選んだ理由を尋ねた私に「前職のビジネスがC向けだったので、今回はB向けを選んだ」と言ったときにハッとしたことがあります。
逆に、ずっと同じ分野を掘り続けることが望ましい場合ももちろんあるでしょう。どのレベルでの「ないものねだり」なのかはよく考える必要がありそうです。
6. 他のプロジェクトを持つ
例えば、現状の不満から局所的に逃避するため、新たな機会を過大評価してしまうことはありがちです。そんな過大評価を防ぐには、自身の状況や心情を冷静に認識しやすくしておくこと、不安定な状態にならないことが重要です。
いつだって客観的に自身を見られるのであれば問題ありませんが、私はそう強くはありません。夢中になっている目前の仕事でうまくいかないことが起きて、生活すべてが暗くなる、そんな気分と付き合うのはとても大変でした。それを防ぐため、クックパッドに勤めている途中から、外のプロジェクトやフリーランスとしての仕事を持つようにしました。大学の講義のティーチングアシスタントから、コミュニティへの参加、業務委託契約を結んでの開発までさまざまです。
当初は「一番メインの仕事に全力投球できないなんて」と考えてしまい、本業に誠実ではない気がして、こういった方針を持つこと自体に反感を持っていました。しかし、一度精神的に参ってしまい使い物にならなくなったことがあってから、ひとつのプロジェクトに没頭することはやはり危険であったのだと考えを改めた経緯があります。
サイドプロジェクトでも、許されるのであれば副業という形でも、もしかすると趣味でも良いのでしょう。何らかの形でプロジェクトが複数あると、ひとつがうまくいかなかったとしても全体のポートフォリオとして大して悪化していなければ、精神的に安定した状態でいることができます。
状況が悪いときに、つい癇癪(かんしゃく)を起こして変化を選択することは、最終的に後悔してしまうものに思えます。前節で尊重した「直感」や、許した「ないものねだり」が、狼狽して起こした悪手とよく似ているけれど違うものであることも忘れないでおきたいです。
おわりに
この記事で私が堂々とやってしまっているように、後になって勝手に「ドットが繋がった!」と意味を付けて正当化することも、逆に全部を後悔することも、いかようにも考えることができますが、このコラムでは「こうやったらいいですよ!」というお話をしたかったわけではありません。
都度の選択に、自分が信じられる方法やポリシーを持って向き合えたら、キャリアというものを積み上げるための頼れる道具になるんじゃないですかねという、私のまばらだったドットを都合良く無責任に繋げてみた一例でした(もし、他の解釈があったら教えていただけると嬉しいです)。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。