夏休みシーズンに入り、制服姿の小学生が街中からめっきり減った。そこではたと気付いたのは、そもそも大阪は制服を着る小学生が多いことだ。大阪府の公立小学校に通う子どもの3人に1人は制服を着ているらしい。しかも地域によって着用には格差があるという。
制服生地の最大手、ニッケに興味深いデータがあった。公立小学校の制服導入率(2012年度)の推計だ。制服を導入している学校に通う児童数が全体に占める割合にあたる。
結果は大阪府で34.5%。全国平均の15.6%より高く、東京都(2.5%)、愛知県(5.6%)などを大きく上回る。単純計算では大阪では15万人強の小学生が制服を着ており、2位の広島の約10万人をぐっと引き離す。ちなみに導入率でみると関西では奈良が59.7%、滋賀が47.3%と割に高い。
導入率が高いのは「繊維産業の盛んな地域」(衣料繊維事業本部の金田至保・販売第1部長)。岡山(98.5%)、福井(89.7%)、石川(86.7%)がそうだ。繊維問屋の多かった大阪も、この文脈でなら合点がいく。
では大阪の公立小学校に制服が広まったのはいつごろか。箕面市で約50年前から制服販売店サンコーを営む小里治さんは「各小学校に一斉に売り込みをかけたのは昭和40年(1965年)代ころ」と振り返る。
小里さんによれば、制服を着せる小学校はそれまでほとんどなかった。当時の制服の多くはウール製。成長にあわせて買い替えるには高価だった。
転機は技術革新。帝人と東レが1958年に合成繊維のポリエステルの量産化に成功した。これで破れにくく、洗濯できる制服を安くつくれるようになる。市場として小学校に目を付けた両社は65年ごろから普及に取り組んだ。
繊維事業のお膝元である大阪では特に力が入った。小里さんも大阪市内の200校にパンフレットを送り、関心を示した50~60校に導入を働き掛けた。セールスポイントは私服を毎日着替えるよりお金がかからない、学校の一体感が出る、などだった。
「商店街のある地域では受けがよかったね」と小里さん。店の朝は早く、その日の準備で忙しい。子どもに何を着せるか悩まなくて済む制服は、母親らに歓迎された。着用を強制しない「標準服」という名称で広がり、転勤などによる人の移動の少ない商店街では地域のシンボルとして住民に親しまれてきた。
登校する小学生。破れにくく洗たくの手間のかからない素材の制服はやんちゃ盛りのマストアイテムだ(大阪市中央区) 今も天神橋筋商店街のある北区、九条商店街のある西区では制服の小学校が多い。大阪府南部の泉佐野市などでは50%を超えている。逆に北部の豊中市や吹田市での導入はゼロ。保護者に提案した校長もいたが「子どものファッションを楽しみたい」という母親の反対で見送られた。
昭和40~50年代に一気に広がった小学校の制服。最近は私服に押されがちだ。没個性教育の象徴として取り上げられたり、転勤族の児童から反対の声が出たりして、廃止する学校も増えてきた。
そんななかで寝屋川市立東小学校は12年に制服を復活した。女子児童を中心に服装が派手になり、保護者や地域住民から復活を求める声が高まったためだ。「嫌がる子も一部にいたが、制服にしてよかったという児童のほうが多い」と百崎正俊校長は話す。
また公立の中学校と小学校を一貫校にするのに伴い、中学校にあわせて小学校でも制服を導入するケースもある。
中学・高校の制服はウール製が多いのに対し、小学校向けはポリエステルが主流だ。合繊メーカーが普及を主導した名残といえる。「イートン型」という襟のないブレザーが男女とも大半で、色は紺。地域の特性はほとんどない。
「では大阪人は何がきっかけで派手好きになるのか」との疑問が頭をよぎったが、その調査は別の機会に。
(大阪経済部 花田幸典)
[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2013年7月24日付]
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